第7話 女人禁制の宮①
馬に乗った子鳴が、都の大通りを往く。
蘭児は彼の隣を歩かされていた。縄こそ打たれていないが、都を引き回される囚人のような気分だった。二人から少し離れて、従者がついてくる。
子鳴は蘭児の沈む横顔を眺め下ろし、惜しむように言った。
「女なら傍に置くんだがな」
声には執着が滲み出ている。
蘭児は、背中がぞわぞわした。悪寒が止まらない。
やはり彼は、自分を性的な玩具にするために買ったのだと思った。
「男なのがつくづく残念だ。……さて、お前をどうするか」
子鳴は蘭児を男だと思い込んでいる。蘭児は女である。
当初女だと思った子鳴の目に狂いはないのだが、公的な証明書はこの国でもっとも信用に足るものだ。組合の登録を信じたのも無理はない。
子鳴は大通りを北に進み、宮城に近い地区へ入っていった。
貴族や士大夫が住まう長大な四合院が立ち並んでいる。
子鳴はそのうちの屋敷の一つへ入った。
突然の訪問に老いた家令が出てきた。子鳴とわかるとその場に跪いた。どうやら知己の家らしいが、家令の顔に歓迎の色はなかった。
扉を抜け中庭へ入っても、子鳴は下馬しなかった。
貴人の邸宅を訪ねて、馬から下りないのは失礼な行為である。なのに、家令も他の使用人も誰も咎めようとしない。どういうわけか子鳴は傍若無人な振る舞いを許されていた。蘭児は従者たちと共に後ろに控えた。
家令に案内されて、主人らしき壮年の男が出てきた。
立派な身なりで藍色の冠をかぶっている。官、それも高官である。
主人は子鳴に丁重に挨拶を述べた。
「李家の若さま、当家に何の御用でございましょうか」
「林大人、ご苦労。だが貴殿に用はない。崔夫人を呼んでくれ」
相手が高官であっても、子鳴はぞんざいな口を聞いた。
大人は、士大夫に対する敬称である。林大人こと林太博はいぶかしんだ。
「はて、奥に?」
「ちょっとした余興だ。呼べばわかる」
太博は夫人を呼びに行かせた。
しばらくして奥から、彼の妻である崔夫人が婢を伴って出てきた。都風のゆったりとした上衣と裳袴を身にまとし、長い裾を引きずっている。
崔夫人は馬上の子鳴を見て、露骨に眉を顰めた。
「李家の若さま、お久しゅうございます。わたくしに御用がおありと伺いましたが」
品のよい、しかし突き放すような声だった。
子鳴の訪問は迷惑そうな口ぶりである。
冷淡な反応は予期していたのか、子鳴は皮肉っぽく笑った。
「はい、本日は伯母上に面白いものをお見せしたく。無聊の慰めに参った次第です」
崔夫人は目上に当たるのか、子鳴の口調は急に丁寧になった。
蘭児は内心驚いた。組合では馬鹿だ、阿呆だと散々な言われようだったし、彼の乱暴かつ横柄な言葉遣いにはうんざりしていたが、こんな上品な口上もできるらしい。
下劣なようで、高尚な一面もある。彼は一体何者なのだろう。
「蘭児、出てこい」
子鳴に命じられて、蘭児は進み出た。
促されるまま、彼の馬の前に立った。
「どうです、この者をご覧ください。いかにも懐かしい心地がしませんか。伯母上ならば格別のはず」
蘭児を見た夫人は、あっと声をあげた。
顔からみるみるうちに血の気が引いていく。彼女はぶるりと震え、口を長い袖で覆った。
太博も身を乗り出して蘭児を見、夫人と同じく驚いている。まるで蘭児を前から見知っているかのようである。
「これは、この者は一体……」
夫人の声はひどく掠れた。
その悲痛な顔を見て、子鳴は得意げに言った。
「丁として売られていたのを買いました。初めて見た時は驚きましたよ。まるで運命に弄ばれているかのような出会いです。これはぜひともあいつに見せてやりたいと思いまして、これから円華宮へ連れていくところです。その前に、折角なので伯母上にも見ていただこうと思い立ち寄りました」
「なんと……悪趣味な」
夫人は子鳴をきっと睨んだ。静かな怒りが伝わってくる。
「この哀れな卑賎の者を、殿下に会わせてどうしようというのですか。今更に殿下を苦しめて、それであなたは満足なのですか。つまらない嫌がらせはおやめなさい。恥をお知りなさい」
夫人に叱責されても、子鳴は冷笑を浮かべるばかりである。
蘭児はわけがわからないまま、一同の前で立ち尽くすしかない。初めて会うはずの高官夫人が、どういうわけか自分を見て嘆いたり怒ったりしている。自分の一体何が、彼女の心を揺さぶったというのだろう。
夫人を制するようにして、太博が割って入った。
「お待ちください。円華宮は女人禁制です。立ち入りが厳しく制限されているのは、若さまもご知のはず。まさか太后さまのご命令に逆らうというのではありますまいな。女人を入れたと知られたら、ただでは済みませんぞ」
「これは女ではない。……男だ」
子鳴は自分で言いながらも、諦めきれない情念のようなものを滲ませた。
「なんですと」
太博は目を見張った。
「証拠もある」
子鳴は懐から、組合と交わした契約書を取り出した。
家令が受け取って、太博に差し出した。
太博は契約書を読んだ。確かに、書面によると蘭児という丁は男である。法務局商工所の印まで押してあるからには、正式な証明書である。
読み終わるのを待って、子鳴は言った。
「大人、俺はこれをあいつにくれてやるつもりだ。斉の共公の故事にもあるじゃないか。公の忠臣・揚薛山は美桃児を失った主人の悲嘆を癒すべく何年も全国を巡った。そしてとうとう美桃児にそっくりの男児を見つけ出して献上し、公をおおいに喜ばせたと。まさに忠臣の鏡だ。俺もそれに倣ってみようと思う」
「ご冗談を。蒼旻妃は男ではないし、あなたは殿下の臣ではない。若さま、戯れに人と人の心を弄ぶのはおやめなさい。蒼旻妃を通してあなた方は深く繋がっている。殿下を傷つけようとすれば、あなたも傷つくのです。殿下にやいばを振り下ろしたところで、すべてあなたに跳ね返ってくるのです」
太博は嫌悪の情を隠すことなく、それでもできるだけ穏やかに言い諭した。
子鳴は虚を突かれたような顔をした。
「黙れ、お前たちに何がわかる」
「わかりませぬよ。あなたの心の闇は、誰にも」
太博は、つける薬はないとでもいうようにゆるゆると首を振った。
子鳴は悔しそうに歯噛みすると、しぶしぶといった面持ちで「出るぞ」と言った。
嫌がらせに立ち寄って、林家の平穏をかき乱すことには成功したが、林大人の説諭は耳に痛かったようだ。蘭児は黙って後をついていくしかない。
背後から「奥さま」という悲鳴が聞こえた。
振り返ると、崔夫人が倒れているのが見えた。
太博や婢が夫人の細い身体を支え、助け起こそうとしている。
子鳴の訪問は夫人に甚大な精神的苦痛を与えたようだった。
いや、子鳴ではなく、蘭児がと言うべきかもしれない。




