第4話 丁妓公共商工組合②
雷は適当なことを言っている。蘭児も自分が品定めされているとあって何度も頷いた。
自分にできることを考えたが、家事、山菜取り、農作業、牛馬の世話、子守りくらいしか思いつかない。それ以外のことをさせようというのなら、一から教えてもらって覚えるしかない。
雷は前借り金の話もした。蘭児の父から頼まれたらしく、銀貨四百枚は欲しいと言った。
売人が蘭児をもう一度見、あっさり「五年縛りで百五十だな」と言った。丁として五年働いて銀貨百五十枚である。希望額の半分以下だ。
「待て、いくらなんでも安すぎる」
と雷は抗議したが、売人は首を横に振った。
「周りを見てみろよ。時期が悪いから仕方ないが、今は人が余りまくっている。こいつは痩せているし、技能もない役立たずだ。一人前に仕込むまでそれなりに金がかかる」
「お前たちが仕込むわけじゃないだろ」
「そうだが、毎日人を売ってりゃわかるんだよ。手間ばかりかかる小僧を欲しがる旦那は少ない。しかもこれから冬だ。寒くなりゃ、財布の紐を解く指もかじかんじまう。百五十、これ以上は無理だ」
蘭児は会話を聞きながら素早く計算した。
自分の値は百五十で、売れればその半分が家族に届く。貨幣の価値も相場もよくわからないが、銀貨が七十枚あれば家族は冬を越せるだろう。
売人たちはにやにや笑っている。
蘭児は「それでいい」と言おうとして口を開きかけた。そこで雷と目が合った。やめろと彼の目が言っている。出しかけた声をぐっと呑み込んだ。
雷は蘭児の値に納得できないと言い、しつこく食い下がった。交渉は半刻半(三十分)ほど続き、結局は「五年縛り、銀貨二百八十枚」で決着がついた。最初に言われた額より大幅に上がっている。
交渉が成立すると、売人は札に蘭児の値段を書きつけた。
雷が声を潜めて言った。
「お前の親父の希望は銀貨三百枚だった。少し下がっちまったが、そんなに悪くはないだろ」
蘭児もようやく理解した。
人の売買においても、値段なんてあってないようなものなのだ。まずはふっかけて、買い叩かれ、食い下がって上げてもらってを繰り返し、じりじりと落としどころを探る。
ある程度の相場はあれども、値は交渉によって決まる。余計なことを言わなくて本当によかった。この後も、自分は黙っていようと思った。
「しかし、不景気なんだなあ。去年の話だが、女の丁の相場は三百以上と聞いたんだ。四百は無理としても三百五十はかたいと踏んでいたんだが」
雷はぼやき、首をひねっている。
札を書き終えると、売人の一人が蘭児を奥の事務所へ連れていった。
事務所は広く、中央に大きな机と椅子が置かれている。机の前には、堂々たる体躯の事務官が座っていた。縦にも横にも大きいが、太っているわけではなく、衣服の上からでも筋骨隆々の体躯が見てとれる。尻の半分は椅子からはみ出してしまっている。身体が大きすぎて家具が合わないのだ。
机の上には硯や筆、朱墨汁が入った大きな皿などが置かれ、分厚い正方形の板が積み上がっていた。
「おおい、銀郎。売約だ。割符を作ってくれ」
「承知」
銀郎と呼ばれた事務官は野太い声で答え、蘭児の情報が書かれた札を受け取った。
銀郎は札を注意深く読んだ。
机上に積んである正方形の分厚い板を取ると、それに文字が書き始めた。蘭児は板の上から下に向かって書かれる字を見つめた。
銀郎が書く字は、彼の太い腕や指に似合わず繊細だった。きっちり四方が角ばっていて、大きさも揃っていて、縦も横も定規で線を引いたかのようにまっすぐである。
売人たちの流し書きとは違って、漢字の点や、トメ、ハネ、ハライも手を抜かず、力を入れるところは一点入魂のごとく、抜くところはふわりと手を浮かせて優雅な強弱をつける。
綺麗な字だと蘭児は感心した。緻密な文様のようにも見えた。意味はわからない。最初の方に書かれている二文字「蘭児」がどうやら自分の名前であるらしいのを、確信もなく眺めるばかりだ。
彼は札の内容を丁寧に写していたが、あるところで手をとめると顔をあげた。札を見、蘭児を見た。それを二回繰り返した後で、彼は言った。
「……これは女ではないのか?」
銀郎の疑念に、売人は笑った。
「女だって? これから売りものになるってのに、女を殴る阿呆がどこにいるんだよ」
銀郎は、むうと唸った。
得心のいかない顔をしつつも、「失礼した」と神妙に言った。そのまま頭を下げそうな勢いである。売人が慌てて言った。
「いいんだよ。見間違うのも無理はねえ。俺もとんと女を見ないんで、どういう顔だか声だか忘れちまいそうだ。家に母親や姉妹がいるやつはいいよな」
銀郎は下を向いて、再び書き始めた。板一枚を文字でびっしり埋め、もう一枚も同じ内容を書いた。
二枚とも完成すると、蘭児の手のひらを朱墨汁の皿に漬けさせ、それぞれの板の中央に手形を押させた。
朱墨汁は水で薄めてあり、手形の下から文字が浮かび上がる。さらに法務局商工所と組合の印を押した。
板が乾くと、銀郎は一枚を持って立ち上がった。身長は六尺半(約二メートル)ほどもある。蘭児は事務官よりも兵士の方が似つかわしい巨体に圧倒された。
銀郎は机の端に板を半分乗せると、左手で押さえた。そして太い右腕を振り上げた。こめかみに青筋が浮く。
「とおぅ」
と彼は叫んだ。次の瞬間、パアンと乾いた音がして板の半分がはじけ飛んだ。蘭児は呆気にとられた。板は大きく弧をえがいて部屋の隅に落ちた。
「割符だ」
と、机上に残った左半分を蘭児に渡しながら、銀郎は厳かに言った。
「ここにお前の身分を登録し、証明する符を二枚作成した。一枚はこちらで保管する。もう一枚は割って、左半分はお前が持ち、右半分はお前を買った主人が持つ。年季が明けると、主人はお前に割符の右半分を返してくれる。そうなれば自由になれる」
蘭児は、割符をおそるおそる受け取った。板はすっぱりと綺麗に割れていた。側面は鉋をかけたようになめらかである。
銀郎は、道具も使わず手刀で板を割った。中央に押した朱色の手形もきっかり半分になっている。とんでもない怪力であり、正確無比な技でもあるが、こんなことに使うのは少々勿体ないような気もする。
「割符は大切に保管せよ。誰かに見せたり、渡したりしてはならない。ただし、官が要求したときは別だ。すみやかに出して、己の身分を証明するように」
銀郎は至って大真面目である。売人は後ろで細かく肩を震わせ、笑いをこらえている。
「はい……」
蘭児は返事し、割符は懐に仕舞った。手巾に続いて得た二番目の持ち物である。
登録を終えて案内所へ戻ると、雷が待っていた。
彼は彼ですでに組合から四人分の運び賃を受け取っておりホクホク顔だった。
二人は外へ出た。蘭児は正式に丁となり、売れるまでは組合の預かりとなる。雷とは停車場でお別れだった。
「ありがとう、おじさん。手巾や食べ物をくれたり、交渉してくれたりして。妓にならずにすんだのは本当に感謝している」
蘭児は礼を言った。雷は御者台に乗りこみながら言った。
「いいんだよ。女は貴重だしな」
「私が女だから助けてくれたの?」
「そりゃ野郎よりは気を使うさ。男は放っておいたってどうにかなるが、女はそうじゃないからな。俺は、この世の中は希少なものほど大事にした方がいいと思っている。銀は銅よりも、金は銀よりもとれる量が少ないだろ。だから金が一番高い。女は男より少ないんだから大事にされて、気楽に生きられるといいんだがな」
「そうだね」
相槌を打ちつつも、女が貴重というのは正直よくわからない。都ではあまり女性を見かけないのと関係があるのだろうか。何にしても、蘭児は雷の言葉を嬉しく思った。胸に温かなものが広がる。
「売れるまでは組合が面倒を見てくれる。メシももらえるし、寝るところもある。案外ちゃんとしてるんだぜ。男と女じゃ寝る場所も違うはずだ。色んなやつがいるし、色々あるだろうが元気で暮らせよ」
「雷おじさんもね」
雷は愛想よく笑い、馬に鞭をくれた。
雷を見送ると蘭児は数日ぶりに、いや人生で初めて一人ぼっちになった。
いよいよ一人で生きていかなくてはならなくなった。




