第25話 珂家襲来①
蘭児が円華宮で暮らし始めて数日が経過した。彼女は、毎日粛々と御膳番としての務めを果たした。
食事時以外に内院に入ることは許されなかった。
内院に常駐、もしくは自由に出入りできるのは寧と段先生だけだった。この二人は、殿下が円華宮に移った時から仕える古参だった。
五日目以降になると、進膳時に寧が侍ることはなくなった。蘭児一人で大丈夫と判断したようだった。
進膳を繰り返すうちに、蘭児は料理人たちが殿下を敬愛する理由がわかった。
殿下は、華餐で出てくる料理にはすべて口をつける。蘭児が小皿にとったものを実にきれいに食べる。
料理人にとって、一生懸命作った料理が手つかずで戻ってくることほどがっかりすることはない。少量であっても、作ったものを必ず食べてくれるというのは大いに励みになるらしかった。
蘭児は給仕をしながら、注意深く殿下の表情を見守った。
いつも無表情、無感動な面持ちだが、必ず時間通りに進膳房へ来るし、出てくるものに好悪は見せず、ひと皿ひと皿に向き合って味わって食べている。
皇太子なのだから食べ物に好き嫌いがあってもいいし、好きなところに運ばせて食べてもいいと思うのだが、一切そういう素振りは見せない。しきたりを遵守する。勝手をして使用人たちを振り回さない。
蘭児は、殿下は至って真面目で誠実な人だと思った。声が出せないからこそ、彼の凛然とした所作は際立った。
食事以外の生活も非常に規則正しかった。
夜明けと共に起きる。身支度を終えると進膳房で早餐をとり薬湯を飲む。
朝食後に段先生の診察を受ける。午後に入ると、進膳房で午餐をとり薬湯を飲む。その後は一刻ほど昼寝をする。
夜は居室で間食を少しつまみ、薬湯を飲む。風呂に入る。
昼寝も風呂も殿下の健康促進のため、つまり治療の一環だった。
殿下は時々右半身が痺れ、手足が思うように動かせなくなることがあった。その時は段先生が呼ばれて入念に按摩した。下十ツ刻(午後十時)頃には寝所に入って就寝する。この繰り返しである。
蘭児は、食事時以外は大抵御膳房で過ごした。
いつ殿下が飲食を所望しても動けるように待機した。自然と料理人たちと話すことが増えた。
彼らと話すうちに、蘭児にもこの宮の運営の仕組みや人員構成がわかってきた。
円華宮には皇太子、その身の回りの世話をする近侍、料理人、医師の他に日常の雑務を行う雑役夫が数十人いる。もちろん全員が男である。
雑役夫はその多くが老人で、紺色の麻の制服を着ている。
顔は柔和でのっぺりしている者が多く、髭はなく、妙に声が高かった。
彼らの業務は近侍以上に細分化されていた。水汲み、風呂焚き、各部屋の火ともし、物品や食事の運搬、内院以外の部屋の掃除、洗濯、ごみ回収、厠の糞尿の汲み取りなどありとあらゆる雑用をこなした。
護衛という名目で邸内に兵士がいるが、宮城から派遣された者で、珂太后および太后の実家である珂家の私兵だった。
彼らは殿下を守るためではなく、幽閉し続けるための見張りだった。常に邸内を巡回し、円華宮から逃げ出そうとする者がいれば容赦なく斬り捨てた。
宮に住まう者向けの理髪師や仕立師、靴や家具などを作る職人、庭園を管理する庭師や鯉師などの専門職もいた。
彼らはなんらかの罪を犯した罪人で、入牢する代わりに宮に送られてくる。
庭師や鯉師などは寧の立ち合いのもと、決められた日時に内院に入って樹木や池の手入れをした。
雑役夫と罪人は、南の正門近くの雑居房で寝起きしており宮殿に通ってくる。もしくは宮殿外の作業場で仕事をしている。
蘭児は当初、御膳房で皿洗いをしようとした。
御膳番の手が空いた時は、水仕事をするものと思ったのである。
ところが、隆善に「お前の仕事じゃねえ」とこっぴどく叱られた。調理補助も申し出たが断られた。それは料理人の仕事であって、近侍がやることではなかった。
御膳房の水汲みや皿洗いなどの水回り、食器の管理は雑役夫が行う。器番と呼ばれる数人の係が殿下用の食器を丁寧に洗い、拭いて器部屋の専用の棚に仕舞った。どれも高価な物であるので、いかなる小物もしっかり数えて管理していた。
朝から晩までよく出入りしているが、寧は蘭児に「雑役夫とは関わらず口も利いてはいけない」と釘をさした。寧は用事がなければ、料理人たちとも口を利かない。
料理人たちも雑役夫とは口を利かない。いてもいなくても気にせず、空気か何かのような扱いだった。
宮の中にも明確な階級があり、住み分けが徹底されていた。同じ階級の者以外とは基本的に関わらずに暮らしている。
蘭児は、宮の内情を知れば知るほど近侍になれた幸運を噛みしめた。
寧の部屋を使っているため、夜は一人で眠ることができる。
これが雑居の大部屋だったら、あっという間に女だとバレてしまっただろう。
丁は、雑役夫よりもさらに下の身分だ。もし丁であることが知られたらタダでは済まないだろうし、隆善たちは蘭児に騙されたと思うだろう。




