第24話 天国幽閉④
賑やかな食事が終わると、夜勤の数人は御膳房に隣接する雑居房へ引き上げた。料理人たちは大部屋で寝起きし、共同生活を送っていた。
昼勤の面々は最低限の片付けをすると、すぐに午餐の仕込みを始めた。
早餐は前菜六品、主食一品、羹一品、主菜六品だが、午餐は前菜十二品、主食二品、羹二品、主菜十二品と倍の品数になる。午餐こそが本番であり、料理の腕の見せどころだった。
隆善は近侍のための朝食も作った。
皇太子よりは下がるが、そこそこいい食材を使う。食事は各自の部屋に届けられる。寧は内院に持ち込んで仕事の合間に食べているようだった。
隆善は「おめえは御膳番だし、メシをいちいち作って届けるのも面倒くせえから、俺たちと食うか勝手に持ってけ」と言った。蘭児はそうすることにした。
午後になり、午餐の時間が近づくと早餐と同じように進膳房に入って支度した。配膳の際、蘭児は象牙の箸を正面に横にして置いた。利き腕側に縦に置く作法と異なるが、これならどちらの手を使っても取りやすい。
右手に痺れが出て動かなくなったら、左手で食べればいい。寧は蘭児の独断に何も言わなかった。
午餐の時間になると殿下が進膳房へ現れた。
品数は増えたが手順は変わらず、蘭児は配膳や給仕をそつなくこなした。殿下はほぼひと口分や一切れずつではあったが、どの料理にも口をつけた。
蘭児は、午餐は毒見だけでお腹がいっぱいになってしまった。午餐が終わると、寧は進膳房を閉めた。
夜は日が暮れてから一刻(二時間)ほどすると、間食を運ぶことになっていた。特に殿下から所望があるわけではないので、この間食を仮の夕食としている。
軽食であり、銀盆に具のない汁、肉や野菜、漬物、餡などが入った点心、火腿、干し果物などの乾物、甘い粥、乾酪、蜂蜜をかけた凝結乳(ヨーグルト)、菓子など食べやすいものを盛る。
間食は進膳房ではなく、殿下の在所へ届けることになっていた。蘭児は銀盆を持って内院を歩いて回り、居間で彼を見つけた。籐を編んだ安楽椅子に腰かけて書を読んでいる。蘭児は傍へ行き、円卓に間食を置いた。小皿に入れて手早く毒見をした。茶を淹れて出し、医務室へ薬湯を取りに行った。
内院では他の近侍も見かけた。
把田は衣類や寝具など汚れものを回収していたし、亮は誰もいない部屋を掃除して回っていた。彼らが殿下のいる部屋に入ってくることはなかった。寧に入室および接触を禁じられているようだった。
殿下は間食を少しつまんだ。薬湯も届け、殿下が飲み終わると蘭児はそれらを下げた。これで御膳番の仕事は終わりだった。
御膳房に食器をすべて下げてから外に出ると、寧が待っていた。
彼は時々御膳房へもやってきて、進膳房以外での蘭児の仕事ぶりも見ていた。
「よくやった」
と寧は開口一番に言った。
「殿下も、お前の仕事ぶりは問題ないとおっしゃっている。明日以降も御膳番を務めるように」
蘭児は驚き、そして困惑した。これまでは家事でも農作業でも、何をしても褒められたことはなかった。できて当然だったし、できなければ容赦なく叩かれた。
御膳番の仕事は忙しいものではないし、運ぶのは食器や鍋、料理だ。それも一人分だから軽い。重労働でもなんでもない。果たして、自分は褒められるに値することをしたのだろうかと思った。
寧は寧で、蘭児の働きぶりには感心しきりだった。まったく期待していなかったが、これまでいた御膳番の中でも一番優秀かもしれないとさえ思った。
まず抜群に記憶力がいい。一度教えたことを忘れない。
宮廷の細かいしきたりや御膳の作法も、絵で写し取ったように完璧に覚えて実践できる。
目がとてもよく、現場をよく見ている。細かいことに気がつき、意欲的に動く。小回りがきく。
初めてなのに右手に麻痺が出た殿下を慮って、食べやすいように配膳を工夫してみせた。
粗探しをしようにも、粗相といえば早餐でなぜか「おいしいです」と料理の感想を述べたことくらいだった。
寧はしごく真面目な顔で言った。
「お前は無知文盲ではあるが、地頭はすこぶるよいようだ。真面目に勉強したら、郷試くらいは通るんじゃないか」
蘭児は目を丸くした。
郷試とは科挙の三回ある最初の難関試験である。科挙を受けるなんて考えたこともなかった。そもそも女は受験できないと言おうとして、慌てて言葉を呑み込んだ。危ない。
「どうした。ぽかんとして」
「いや、ちょっとびっくりして。そんなこと言われたのは初めてだから」
「初めて? お前はここに来る前も、それなりに働いていたんだろう」
寧は、蘭児は雑役や使い走り等で働いていたと思っている。
家事や育児をしていたとは考えない。それは女の仕事である。少なくとも女がいる世界では。
「……うん、でも褒められたことはなかった」
「随分と了見の狭いやつらのところにいたんだな」
寧は呆れたように言った。
二人はなんとなく北の住居房へ向かって歩き出した。
蘭児は周囲に誰も人がいないのを確認し、気になっていたことを尋ねることにした。
「兄さん、殿下は……耳は聞こえているよね」
「ああ」
寧もさすがにそこはあっさり認めた。
「お声を発することはできない? わざと唖の振りをされている?」
寧は沈黙した。
蘭児は寧が言葉を発してくれるのを辛抱強く待った。寧は迷った挙句、重い口を開いた。
「……出すことはできる。だが掠れたりしゃがれたりで聞き取ることが難しい。無理をすると喉を傷める。段先生は喉の神経が麻痺しているのが原因と言っている」
「なぜそんなお身体になったの?」
「毒の後遺症だ」
「毒?」
寧はさらに声を潜めた。
「十年ほど前になるが、殿下は毒を盛られた。俺は現場にいなかったから、仔細わかりかねるところもあるが」
「誰が毒を盛ったの?」
「珂太后とその一味だ。状況的にもそうだし、殿下が死んで一番得をするのは彼らだからな」
「でも殿下は亡くならなかった」
「そうだ、死の淵を彷徨われたが命はとりとめた。太后たちは暗殺が失敗したと知ると、偽の廃嫡令を出して殿下の廃嫡を宣言した。のみならず病床にあった殿下を無理矢理円華宮へ移して幽閉した。俺や段先生ともどもな」
「廃嫡したんでしょ。幽閉する必要はないのでは」
「それには複雑な事情がある。殿下を生かさず殺さず閉じ込めておくしかない事情だ」
今の寧なら色々話してくれそうだ。蘭児は質問を変えることにした。
「この宮が女人禁制なのはどうして?」
「殿下の心をお騒がせせず療養に専念していただく……ということになっているが、まあ嫌がらせだろうな」
「嫌がらせで女人禁制なんだ」
もっと大層な理由があると思っていた蘭児は拍子抜けした。
「俺は行ったことがないからよくわからんが」
と寧はいったん言葉を切り、少し困ったように言った。
「この世は、女色に耽るほど愉しいことはないらしい。女色は快楽の真骨頂であり、花街や後宮などは煩悩の坩堝と聞く。女は騒動の種でもあるし、迂闊に置いて間違いが起きても困るんだろうが……。太后や珂家からしてみれば、殿下を閉じ込めて自由を奪い、この世の一番の悦楽からも遠ざける。殿下が絶望して生きる気力を失ってくれたら万々歳というところだろうな」
そこで寧はぴたりと足を止めた。
前方からザッザッと規則正しい足音が聞こえてきた。松明をもった兵士たちが行進している。夜の巡回だった。
蘭児、と寧は囁いた。
「お前は御膳番だ。日々の食事は欠かせず、俺に次いで殿下のお傍近くへ参る。殿下に誠心誠意仕えろ。殿下を見ろ。手指と唇は特に注意しろ。お前が信頼に値する者と判断すれば、殿下は合図を出してくる」
寧はくるりと踵を返した。蘭児を残すと、足早に去っていった。




