第23話 天国幽閉③
豪華すぎる朝食が終わると殿下は立ち上がり、部屋を出ていった。寧が付き従う。
二人の姿が完全に消えるのを待って、蘭児は残り物が入った料理の皿や食器を御膳房へせっせと運んだ。
料理人たちは蘭児から皿や鍋を受け取ると、残った料理を粗末な木皿や端の欠けたどんぶりなどに移し替えた。それらをすべて外へ運んだ。
隆善が入り口から顔を覗かせた。
「おう、お前が生きて戻ったということは大丈夫だな。メシにすっぞ」
蘭児は呼ばれるままに外へ出た。
御膳房の入り口の脇には巨大な木製の長机と長椅子が置かれていた。机の上には早餐用に作った料理が大皿に盛られ、所せましと並んでいた。
めいめいに木の椀と箸が配られる。
料理人十数名と蘭児が腰かける。上座なのか、長机の短辺に隆善が腰をおろした。
「じゃあ、朝メシをいただくとすっか。皇太子殿下のご健康を祈願して乾杯」
「乾杯」
とみなも叫んだ。とはいっても酒は禁止らしく、白湯か龍眼の出がらしで淹れた薄い茶を飲んでいる。
食事が始まった。蘭児は信じられない思いでいた。
毒見のひと口だけでもめくるめく至福のひと時だったのに、まさかそれと同じものが賄いで食べられるとは思わなかった。
蘭児は羊肉の串焼きを椀にとると、思いきりかぶりついた。香辛料が染みた肉から、濃い肉汁があふれる。うまい。肉の形が揃ってなかったり、少し焦げていたりするが、味はまったく同じである。それなりの数を作り、その中で一番出来がいいものだけが殿下の御膳に乗るのだ。
きくらげと豆腐と卵の湯もすすった。うまい。水餃子もとった。酢もつけず、煮汁ごと飲むように食べた。具だけでじゅうぶん味がする。うまい。
蘭児は賄いを食べるほどに恥ずかしくなった。
この繊細かつ奥深い味に比べたら、自分が作っていた粟や稗の粥や川魚を焼いたものなんて料理のうちに入らない。寧は蘭児の料理の腕に何の期待もしてなかっただろうが、料理人の見習いにされなくて本当によかったと思った。
みな大皿から思い思いのものを取って好きに食べている。調味料や薬味の小壺も回ってくる。
どれも好きなだけ使い、味の変化を楽しめる。
早餐のために用意した調味料や薬味は賄いで全部使い切ってしまう。食材の傷みを防ぐため、毒の混入を防ぐためでもある。午餐は、午餐用にすべて新しいものを用意する。
「どうだ、蘭児。うめえだろ」
隆善が言った。
「うん、とってもおいしい。ありえないくらいおいしい」
蘭児は言葉を尽くして感嘆した。
どれも殿下のために作った料理の残り物であり、残飯といえば残飯である。
しかし殿下は、蘭児が毒見し取りわけた小皿のものしか食べなかった。
料理が乗った皿に直接箸をつけたわけではないし、そもそも選ばれず御膳に乗らなかったものも多い。
手つかずの新品といえば新品だ。器こそ粗末だが、蘭児は今まぎれもなく、皇族しか食することができない豪華な宮廷料理を味わっているのだった。
「あったりめえだ。殿下に変なもの出してみろ、今頃首と胴体が離れて都の辻に晒されてらあ」
と言いつつも、隆善自身は料理にがっつくことはなく、ひと口ずつ慎重に味わっていた。そして時々声を荒げた。
「おい、迅。てめえ、湯に入れるごま油が多いじゃねえか。ちゃんと計ってんのか。味がもたついてんだろ」
「すんません」
蘭児の隣に座った迅が、食べながら平謝りする。
「平、大根はきちんと真四角の賽の目切りにしろつってんだよ。形をきっちり揃えろ。一分もずれんじゃねえ」
「すみません、気をつけます」
平と呼ばれた男も謝る。
蘭児には何もかもおいしく思えたが、隆善の鍛えられた繊細な舌は違う感想を持つらしい。残り物を食べることによって、料理の品評やダメ出しも兼ねている。
蘭児は素朴な疑問を口にした。
「隆善、御膳房の料理人になると、こんな豪華な料理が食べられるの?」
「あ? そんなわけねえだろ。俺たちに許されるのは、料理を出す前の味見くらいだ。皇族方、それも皇太子殿下と同じ食事なんてしたら一発で打ち首だ」
「じゃあなんで食べてるの」
蘭児はびっくりして箸を取り落としそうになった。
これは盗み食い、窃盗なのではないかと思うと背筋が凍る。
「そりゃあ、殿下が慈悲深くお優しい方だからだ。殿下はご自分のために作られた食事の残りは、みなで食べてもいいとおっしゃったんだ。もちろんこの宮だけの話だぜ。華餐も間食もだ。だから俺もお前も食えている。あ~ちくしょう。自分で作っておいてなんだが本当にうめえなあ。食材の質が段違いだからな」
迅も言った。
「知ってるか。御膳は、究極の薬膳なんだ。身体によい食材のみを使い、身体によい料理しか出さねえんだよ。おかげでここへ来てからは、風邪一つ引きゃしねえ。この宮で一番健康なのは、間違いなく俺たちだな」
途中から厨房へ戻っていた料理人が、湯気をたてる大きな鉄鍋を持って出てきた。
「おーい、焼き飯ができたぞ」
と言い、大皿にざあっと焼き飯をあけた。
米、火腿、卵、葱を豚の脂で炒め、早餐で出した湯の残り汁を入れ、余った薬味で適当に味つけしたものだった。
蘭児は仰天した。
「賄いで米も食べられるの?」
「米は米でも、古米なんだよ」
隆善が言った。
「炊いても固くなるし風味が落ちるから、殿下のためには使えねえ。冷や飯に油を吸わせて炒めて誤魔化すんだよ。味は悪くないが、御膳にはとても出せない下品な代物さ」
「そうなんだ……」
蘭児は焼き飯も食べてみた。
米は脂を吸ってパラパラとし、適度に汁を吸って旨味もある。口の中でさっくりとほぐれた。うまい。何がいけないのかさっぱりわからない。そもそも、自分の貧しい舌では新米と古米の味の区別もつかない……。
正月は年に一回だからご馳走の米が食べられるのに、ここでは賄いで米が出るという。もう毎日が正月みたいなものじゃないかと思えば、嬉しいを通り越して空恐ろしい心地がした。
温めなおした胡餅と果物の残りも出てきた。
蘭児はそれらもちびちびとよく味わって食べた。毒見をした際にもっと食べたいなと思ったものを、全部味わうことができた。
腹がくちくなってくる。こんなに腹いっぱい食べたのはいつぶりだろう。ほんの数日前まで飢えに苦しんで水ばかり飲んでいたのが嘘みたいだった。
隣の迅が、腹を叩きながら言った。
「は~食った食った。本当にここは天国だぜ。これで煙草が吸えて、女がいれば言うことないんだが」
料理人たちは勤務後に酒を飲むことができたが、煙草は禁じられていた。
料理に匂いが移ることを隆善が嫌ったのと、煙が殿下の身体に障るということで段先生が止めたのだった。
「ここは天国なの?」
蘭児は迅に尋ねた。
まだ入ったばかりでよくわからないが、少なくとも隆善を始めとした料理人たちに悲観の色はない。
毒を食らう可能性はあっても、命の危険を冒してまで宮の外に出たいとは思ってないようだ。段先生のように、若い自分に憐れみの視線も投げてこない。
迅はあっけらかんと答えた。
「ああ、そうだ。今どき、三食腹いっぱい食える勤め口なんてどこにあるよ。ここでも金があれば大抵のものは手に入るしな。女は無理だが、どうせ外へ出れたって嫁は貰えねえんだ。めぼしいのは上のお歴々がかっさらっていっちまうし、妓女なんて高くて買えねえ。ならここにいた方がいい」
確かに、と蘭児は思った。
女云々はともかく、賄いで米や菓子や果物が出てくる時点で、ここは当たりも当たりの大当たりすぎる職場ではないのか。




