第22話 天国幽閉②
蘭児は作法通り、平台の前で中腰になり、毒見用の小皿に素早く前菜を取り分けた。毒見の順番は上の皿から始め、右回りでこなす。
煮卵を割ると口に運ぶ。一口食べてみて彼女は驚いた。
恐ろしくうまい。煮卵は鳥ガラの汁で茹で、塩と醤油と沙糖で味付けされている。
白身はぷりぷりと弾力があり、中の黄身は半熟濃厚でとろりとしている。なんだ、これは。何をどうしたらこんな味になるのかさっぱりわからないが、とにかくうまい。こんなおいしい卵は生まれて初めて食べた。
蘭児は雷に打たれたような衝撃を受けながら、鶏肉とくらげの酢醤油あえも口に入れた。
こりこりしたくらげと鶏肉のしっとりとした歯ごたえが楽しく、酢醤油と胡麻が味を引き締める。
乾酪は、牛の乾酪には塩と蓮の実、羊の乾酪には干し葡萄、山羊の乾酪にはなつめ、クコの実をくだいたものが入っていた。全部味を変えてある。一見すると固そうに見えたが、口に入れると柔らかくなめらかにとけた。木の実や干し葡萄の食感、甘酸っぱさが実に乾酪に合う。
蕪と大根の香のものは賽の目状に切られて見た目も美しく、赤紫蘇と酢でさっぱりとしている。紫蘇の爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。
蘭児は思わず口を手で押さえた。
「どうした?」
寧の問いかけに、蘭児は感動に震えながら答えた。
「おいしいです」
なんとも形容しがたい微妙な空気が流れた。
「……お前は何を言っている」
寧の声が険を帯びた。
「あっ、申し訳ありません。大事ございません」
蘭児は慌てて言った。
箸と皿を置くと大皿を食卓に運び、前菜の皿を殿下の前に並べた。配置も決まっており、毒見した順番どおりに右から置いてゆく。
殿下は皿を眺め、手を横に振った。すべて所望されている。
蘭児は菜箸で皿に六種類の前菜をとって盛りつけ、殿下の前に置いた。殿下は象牙の箸を取ると、ゆっくりと口に運び始めた。
蘭児は、次に龍眼茶を淹れた。
木の椀に干した龍眼となつめ、クコの実を入れる。白湯を注ぎ、塩を少量入れる。
それも一口飲んで毒見した。塩の効いた白湯に龍眼やなつめのほのかな甘みと香りが広がる。
「大事ございません」
今度はしっかり言えた。
陶磁器の茶碗に改めて茶を淹れ、殿下の左上に置くと、次の料理を取りに行く。
御膳房の炭焼きのかまどには土鍋が用意されていた。
小葱や火腿、卵焼きを細切りにしたものを盛った小皿と、専用の椀やれんげが銀盆に置いてあった。
蘭児は火傷しないように注意しながら主食の土鍋を銀盆に乗せ、進膳房へ戻った。土鍋を開けると、熱々の米の粥だった。
蘭児は息を呑んだ。米は南部でしかとれない高級品で、村では一年に一回、正月にだけ食べられる代物だった。
粥は、水と塩と干した帆立の貝柱を入れて炊かれていた。
蘭児は恐る恐る木の椀に粥を一口分入れ、小皿の葱や火腿を散らした。
匙を使って口に運ぶと、柔らかくねっとりとした米粒が舌の上で躍る。続いて貝柱の滋味がふんわりと広がる。うまい。
「大事ございません」
おいしさのあまり声が掠れた。
土鍋を食卓へ持っていき、一度殿下に中身を見せる。
殿下は特に何も指し示さなかった。蘭児は椀に粥を半分ほど盛り、付属する小皿のものを少しずつ散らして出した。
次は羹だった。きくらげと豆腐と卵の湯が出た。
干した海草と小海老を煮出し、塩、大蒜、生姜、酢で味をつけ、片栗粉でとろみをつけている。蘭児は喜んで湯をすすった。うまい。
さらに主菜が続く。沢蟹を油で揚げたものを卵でとじた餡かけ、鴨肉の燻製と白菜の蒸し煮、香辛料に漬けた羊肉の串焼き、虹鱒の酒蒸し、空心菜と砂肝の大蒜炒め、豚肉、筍、椎茸、香菜が入った水餃子が出た。どれも恐ろしくうまい。
蘭児は夢でも見ているかのような心地になった。
毒見のたびに「大事ございません」と言ったが、彼女にとってはすべての料理が一大事だった。
なぜ自分が取り乱さずに給仕できるのか不思議なくらいだった。
大鉢に入った水餃子を食卓へ運ぶ。小皿に酢を入れて出した。椀に餃子を二個ほど入れて、殿下の前に置いた。
カシャンと音がした。蘭児がハッとして見ると殿下が箸を取り落としていた。
右手の指が微細に震えている。殿下は、左手で痙攣する右手を押さえた。しばらくすると震えは収まった。蘭児は床に落ちた箸を拾い、替えの箸を用意した。
殿下はじっと右手を見つめたが、やがて諦めたように手を引っ込めた。右手に麻痺が出たようだった。
彼は左手で、蘭児から箸を受け取った。
今度は左手を使って食事をしようとしている。
蘭児は咄嗟に、水餃子の皿と酢の入った小皿を持つと左側へ移動させた。作法とは違うが、左側に置いた方が食べやすいだろうと考えた。大丈夫かと伺うように寧を見ると、彼は黙って頷いた。それでいいと言っている。
殿下は、利き腕ではない左手で食事を再開した。
慣れないのか、箸でうまく餃子がつかめない。蘭児はれんげを左側に置いた。
殿下はれんげに持ち替えて餃子をすくった。蘭児は酢の入った小壺をとり、小匙でれんげに直接酢をたらした。殿下はそれを慎重に口に運んだ。蘭児はホッとした。
主菜が終わると、菓子と果物が出た。
小豆の餡と牛酪(バター)の入った焼きたての胡餅(月餅)と葡萄、梨、杏、柘榴の盛り合わせが用意されていた。蘭児はこれらも毒見した。
焼きたての胡餅は香ばしくさっくりとした食感で、たっぷり入った餡の甘さが口いっぱいに広がる。蘭児は頬が緩むのを感じ、慌てて引き締めた。
果物類も、村で食べるものとは明らかに違った。とても甘く瑞々しい。殿下には、国じゅうから取り寄せてさらに厳選された一級品のみが供されている。
殿下は胡餅を一つと葡萄を少し食べた。
彼は、蘭児が皿にとったものをすべて食べた。蘭児は再度龍眼茶を淹れて、殿下に出した。
「医務室へ行け」と寧が言った。
蘭児は医務室へ行き、段先生から薬湯の入った茶壺を受け取った。段先生も夜明けと同時に起床しているようだった。仕事だからというより老人の習性かもしれない。
進膳房へ戻ると、薬湯も毒見した。……これはすこぶるまずかった。
蘭児はうっとえづきそうになった。鼻が曲がりそうなほど臭い。苦くて吐き出しそうになるのを堪える。
薬湯も殿下に出した。殿下は上品な手つきで薬湯を飲んだが、やはりまずいらしく少し顔を顰めた。
それでも、白湯と龍眼茶を交えつつ全部飲んだ。それで早餐は終わりだった。




