第20話 円華宮の同僚③
寧は蘭児を連れて、今度は宮の北東にある医務室へ行った。ここには皇太子専属の医師である段敬封、通称段先生がいた。
医務室へ入ると、部屋の四方は天井まで届く薬棚だった。どの棚も干された薬草や薬壺、治療器具らしきものであふれていた。奥に机や診察台もあった。
肝心の医師の姿は見えなかった。
「段先生、どこですか」
と言いながら、寧は奥へ入っていく。
診察室を通り抜けて勝手口から外に出ると、小さな畑があった。
畑の畝に沿って、白髪白髭の老人がしゃがみこんでいた。脇に篭を置き、薬草らしきものを摘んでいた。
「先生、お邪魔しますよ」
段先生は振り返り、寧を見ると億劫そうに立ち上がった。
蘭児に気づくと、目を細めた。
「はて、これは誰じゃ」
「蘭児です。本日、ここに入りました」
「わしは小童など要望しておらんわ」
「違います、殿下の近侍ですよ」
はあと段先生は大きくため息をつき、肩を落とした。
「寧、わしも歳じゃ。建前上の患者は殿下のみとはいえ、何もかもを一人でこなすのはきつい。もう何年も宮城の医務官を寄こせというておる」
「わかっていますよ。私も何度も人手が足りないと陳情しています。ですが、中央が医科の者を寄こす気配はありません。まあ、世捨て人の願望でもなければ来たがる者もいないでしょうし。毎回、判を押したように先生一人で対処せよとの返事です」
「やれやれ、殿下に回復されても困るからであろうが」
と段先生は空を見上げながらぼやいた。
「実は先生があまりにお困りなのを見かねて、弟を呼びよせました。これから進膳時は、蘭児が薬湯を取りに来ます。時間がある時は助手としてお使いください。畑仕事や薬草をすり潰すくらいのことはできますよ」
寧はいけしゃあしゃあと言った。
「弟か。似とらんのう」
「腹違いでして。兄弟と判明したのもごく最近です」
寧は呼吸するがごとく、口から出まかせを言っている。
おそらくは今思いついたことを適当にしゃべっているだけだろう。蘭児は冷や冷やしながら、嘘の設定が積み上がっていくのを黙って聞いた。
「老い先短いわしはいいが、これは随分と若い。一度入ったら出られないと知りながら、この宮に入れるとは……むごい兄よの」
「外で野垂れ死ぬよりはましですよ」
「おぬしは平素からそうじゃが、身内にも冷淡じゃな」
寧は段先生の非難も一切気にする風はなかった。
蘭児にとっても、これは当然の反応に思われた。
寧は弟でもなんでもない他人の、しかも事故同然に置き去りにされた丁の面倒を見る羽目になったのである。
いい迷惑だろうし、李子鳴による嫌がらせの一番の被害者でもある。
医務室を出ると、寧は一度内院へと戻った。
奥まで行くと左へ曲がる。突き当たりに内側から閂をかけられる扉があり、開けると細い石畳の小路が続いていた。
皇族専用の厨房である御膳房への直通の道だった。
内院へ入るには、南側の鳳凰が彫られた黒の鉄扉か、西の御膳房から出入りするかのどちらかになる。
小路を抜けながら寧は言った。
「さっきも言ったが、お前は殿下の御膳番になる」
「うん、どんな仕事?」
「本来は毒見役だ。殿下が召し上がるものすべてを毒見する。それだけじゃない。配膳や給仕もお前がやれ。殿下の飲食回り全般が仕事になると思え」
「調理も?」
「それはしなくていい。料理人がいる」
二人は内院を囲む塀も越えて、大きな平屋である御膳房に入った。
中はむっとして熱かった。
大きなかまどが幾つも並び、すべてに火が入っている。天井からは鴨やあひる、鶏、豚、羊などの肉の塊がぶら下がっている。
長方形の大きな卓が幾つも並び、多種多様な野菜や果物、大小の卵が山盛りになっている。棚には調味料や酒壺が、床には油や水の大瓶が並んでいる。
外へ出る入り口付近には、食材が入っているらしき樽や木箱が大量に積んである。
数人の男が鳥をむしったり、野菜を刻んだり、鍋をかきまぜたりと忙しく立ち動いていた。
「隆善」
寧が大声で呼ぶと、大柄な男が包丁を置いてこちらへやってきた。御膳房の料理長である隆善だった。
隆善は首にかけた手拭いで汗をぬぐいながら言った。
「おうおう、どうした。菓子か、果物か? なんでもそろってるぜ」
「違う。新入りだ。弟の蘭児だ。明日から働く。今から御膳番の仕事をみっちり仕込んでくれ」
寧は蘭児を前に押し出した。蘭児は簡単に挨拶した。
「おうよ。こいつは長生きするといいな」
隆善はガハハと豪快に笑い、蘭児の肩をぽんと叩いた。
蘭児はドキリとした。御膳番は自分以外にもいたが死んだ、そんな風に読み取れる。
蘭児は寧に尋ねた。
「兄さん、私以外に御膳番はいるの」
「いない。お前の前には五人いたが全員死んだ。御膳番は一人で担当する。歴代の三人は毒見で死に、一人はここを逃げ出そうとして斬られた。もう一人は刺客で殿下のお命を狙ったので俺が斬った」
寧は物騒な事実を淡々と告げた。蘭児は肝が冷える心地がした。とんでもないところに来てしまったと思った。
隆善が言った。
「毒なあ……料理人も三人ほど巻き添えで死んでんだよなあ。今は鍋や皿から目を離さないようにしているし、味見もそれなりにしているが、ぶっちゃけ宮に入れる者なら誰でも混入できる。実際入れられたらどうしようもねえ。外で食材に塗布されて搬入される恐れもあるしな。俺たちも命がけっちゃあ命がけだが、毒との戦いは御膳房の宿命だからな」
人死には慣れているのか、隆善の口調も軽い。
「ま、殿下のお命さえ守れりゃいいんだよ。そのための御膳番、そのためのお前だ」
「……うん」
蘭児は頷いた。
毒見役なのだから、毒が入ったものを口にすれば当然死ぬ。それはわかる。
蘭児は毒を知らないわけではなかった。山で獲れるきのこや山菜、草花の実、魚に毒があるものもあるし、腐った食べ物は毒を生む。実際毒のある動植物をうっかり食べて死んだ村人は何人もいた。毒虫、毒蛇に噛まれて死んだ者もいる。
毒は常に身近にある。ただ、ここでは事故ではなく、人を殺めるために故意に毒が混入されるという。正直にいえば怖かった。
寧が内院の方を振り返りながら言った。
「では俺は行く。そろそろ戻らねばならん」
隆善が尋ねた。
「今夜の間食はどうするよ」
「俺が運ぶ。明日の早餐から蘭児の担当だ。悪いが、朝も起こしてやってくれ」
寧は蘭児を残すと、来た道を足早に戻っていった。
隆善は蘭児の前にでんと仁王立ちした。
「おうおう、じゃあ始めるか。まずは料理の名称と順番と、それを入れる器や金物を覚えるところからだ。ここは皇太子殿下のための御膳を作るこの国一番の美食処よ。すっげえ細かい決まりがあるからな。心して聞けよ」
「お願いします」
蘭児は覚悟を決めた。
毒のことは、今は考えないことにした。
ここで暮らしていくからには、なんでも覚えてなんでもこなしていくしかない。




