第19話 円華宮の同僚②
蘭児は内院を出て左に進んだ。
小門を出ると東屋があった。幾つも部屋が並んでいるが、ひと気がなくしんとしている。
部屋に沿って歩いてゆくと、一つだけ戸が開いているところがあった。
覗くと床には敷物が敷かれ、反物や厚手の布地、動物の毛皮、毛布などが大量に積み上がっている。
巨大な卓があり、その上には色とりどりの糸や鋏、針刺し、定規などが所せましと並べられていた。卓の端に、男の丸まった背中が見えた。
蘭児は思いきって「あの」と声をかけた。
「ここで制服をもらうように言われたんだけど」
男が顔をあげた。蘭児とさほど歳が変わらなそうな少年である。手には、赤い糸がついた針と布を挟んだ丸い刺繍枠をもっていた。
寧と同じ服を着ているが、頭が一風変わっていた。派手な色をした帯状の布を幾重にも巻きつけにいっている。布の間から細かい毛が飛び出している。布で増した大きな頭の下に、丸く人好きのする顔があった。男は蘭児を見ると、にかっと笑った。
「お前、新入りか」
彼は刺繍枠を置くと、高い椅子から滑り落ちるようにして降りた。
蘭児の前まで来ると、ふーんと言いながら全身を眺めた。蘭児はそこで気づいた。頭に巻かれている布は白で、様々な色の糸で細かい刺繍がされていた。
「待ってろよ」
と言うと、彼は部屋の奥にある大棚の方へ行った。しばらくして両手に大荷物をかかえて戻ってきた。
「はい、これ。お前の服」
蘭児は制服を受け取った。
綿が入った新品の上衣と穿袴が二枚ずつ、帯が二枚、下着が六枚、薄手の肌着も六枚、羊の毛を編んだ靴下が六足あった。手巾が三枚、身体が拭けそうな大きめの手拭いも三枚ある。
これも制服と決められているのか頭巾まであった。
「こんなにくれるの」
信じられない気持ちで尋ねると、男は大きな木箱の中を探りながら言った。
「余ってるんだからいいんだよ。暇なんで、沢山作ってしまったし。お前が持っていけば俺には仕事ができる。また切って縫うことができる」
男の声は子供のように弾んでいる。
「これか」などと嬉しそうに独りごちながら、木箱から革靴を取り出した。
蘭児は勧められるままにそれを履いた。
靴は柔らかくしっとりとして、足にぴったりだった。革靴なんて生まれて初めて履いた。蘭児はおっかなびっくりしながら、周囲を歩いてみた。とても歩きやすい。
「よし、これでいいな。他に欲しいものはあるか」
蘭児は思案した。ここで暮らすのであれば、布はできるだけ沢山あった方がよいかもしれない。
「何か、固い布がもらえるといいんだけど」
「麻でいいか」
「なんでもいい」
男は積み上げた布の中から、麻のさらしを引っ張り出した。五尺ほど巻き取ってから切ると蘭児に渡した。
「あとで布団も届けてやるよ。被服や布関係は全部俺に言いな。袋とかも作れる」
「ありがとう。風呂に行くようにも言われたんだけど」
「ならこの先だ。湯屋はいつでも使える」
「よかった。じゃ、また」
蘭児が行きかけると、男は右手をすっと差し出した。
「俺は被服と裁縫係の西夷以依。呼ぶときは以依でいい。よろしくな。お前は?」
「蘭児。係は……これから決まると思う」
蘭児も右手を出して以依の手を握った。握手を求められたのは初めてだった。以依の手の平は固かった。
荷物を抱えて、蘭児は離れの湯屋へ行った。
外に大きな炉があり、火が焚かれている。中に入ると大釜に湯が沸いていた。水が入った大きな瓶も並んでいる。壁には錆びついた鏡までかかっていた。
蘭児は備え付けの桶で湯や水を汲み、浴槽へ入れた。
服を脱ぐとそろそろと入った。温かい湯に身を浸すとホッとした。そのまま手巾で身体を洗っていると、ガラッと音がして戸が開いた。以依が立っていた。
「ひっ」
蘭児は声を上げ、浴槽に深く身を沈めた。
「悪い。糸を渡すのを忘れちまった。髷を結うのにいるよな」
「う、うん」
「なんなら結ってやろうか。俺上手なんだぜ」
以依はそのまま湯屋に入ってきた。
蘭児は慌てた。彼に裸を見られるわけにはいかない。男でないことがバレてしまう。胸と股間を押さえながら、蘭児は必死に言った。
「だ、大丈夫。自分で結える」
「そうか?」
「うん、自分で結うのが好きなんだ。自分の髪だから丈夫だし、いつも大事」
気が動転するあまり、よくわからないことを言ってしまう。湯気の向こうで、以依は少し残念そうな顔をした。
「じゃ、置いとくからな」
と言うと、太い木綿糸の束を衣類の上に置いた。湯屋から出ていった。蘭児はそろそろと身を起こした。
危なかった……。これから風呂に入るときは、よほど気をつけなくてはいけないと思った。
誰も入ってない時を狙うのはもちろん、中からつっかえ棒でもして他の人間が入れないようにしなくてはいけない。しかし、女人禁制で男しかいないらしい宮で鍵をかけて風呂に入るのは、それはそれで怪しまれる気もする。
風呂から出ると、蘭児は薄い胸に麻のさらしをきつく巻いた。身体の線が出ないようにするためである。
といっても、痩せた蘭児の胸や腰に娘らしいまろやかな線はなかった。凶作とそこから生じた飢餓は、彼女から女らしさや娘らしさというものを根こそぎ剥ぎ取っていた。
それでも慎重を期して、下着を三枚重ねて着た。その上に上衣を着た。
次に鏡に向かって髷を結った。
幼い頃から父が結うのを見ていたからやり方はわかる。濡れた髪を拭き、束ねると頭上でくるくると丸めて団子状にした。太い木綿糸で団子の根元をきつく縛る。
その上に支給された頭巾をかぶせると、鏡には若干着ぶくれのきらいがある少年の姿が映っていた。
蘭児は決意した。
なぜこの宮が女人禁制なのかはわからないが、自分はここに男として入ってしまった。ここでは男として過ごし、男として暮らさなくてはいけない。女であることは誰にも知られてはいけない。
湯屋を出ると、寧が待っていた。開口一番、彼の声は尖った。
「遅い。身支度ごときに時間をかけるな」
「すみません」
蘭児は肩を竦めた。
「俺は基本的に内院に詰めていなくてはならん。今は外に出てくることができるが……悠長にはしてられん。ここのことを手短に説明する。ついてこい」
叱る時間も惜しいのか、寧は早足で歩き出した。蘭児も荷物を抱えたまま小走りでついていく。
寧は歩きながら言った。
「考えたんだが、お前は俺の弟ということにする」
「弟……」
意外すぎて、蘭児は戸惑った。
「この宮にいる者は、まあ色んなやつがいるが……基本的には縁故でなければ入れない。紹介とか親類とかだ。俺の弟ということにすれば、内院にいても怪しまれないだろう。もっとも本格的に調べられたら誤魔化せないだろうが。誰かに聞かれたら適当に話を作れ」
「はい」
「お前は殿下のお世話係、つまり近侍となる。側仕えの一人だ」
「はい、わかりました」
寧がさっと振り向いた。
「ここに限ってだが、近侍に上下はない。上官もいない。仕えている期間が長いか短いかだけだ。俺は近侍としては一番長いが、敬語は使わなくていい。下の者たちはもっと適当でいい。口の利き方に気をつけなくてはいけないのは、殿下と段先生くらいだ」
「うん、わかった。……兄さん」
寧を兄と呼ぶのは少し変なかんじがしたが、兄弟と偽るなら早急に慣れる必要がある。
心の中で、兄さん兄さんと繰り返した。設定を頭の中に叩き込む。自分は男であり、寧の弟であると。
北へ進むと、また別の棟が見えてきた。
棟には東屋よりは狭い住居用の房が並んでいた。寧は一番西側にある房に入った。奥に寝台があり、机に椅子が一脚、備え付けの棚に衣類が入っているだけの簡素な部屋だった。
「俺の部屋だ。お前もここで寝起きしろ。といっても俺はあまり部屋にいない。俺がいない時は好きに使っていいが汚すなよ」
「うん」
蘭児は寝台の上に、今日一日だけで随分と増えた私物を置いた。
これまで着ていた父の服は丸めて枕にしようと思った。組合にもらった草鞋は室内履きにいいだろう。
寧は蘭児を連れて外へ出ると、他の房に向かって「亮、把田、出てこい」と言った。房の戸が開き、男が二人出てきた。
太り気味で顔にそばかすがある男が把田、痩せぎすで背の高い男が亮だった。寧や以依と同じ制服を着ている。
「弟の蘭児だ。明日から働く」
と言って寧は蘭児を紹介した。
把田は洗濯係、亮は掃除係だった。
皇太子専属の近侍は四人いて、蘭児は五人目であるらしかった。洗濯や掃除と係が決められている以上、業務は細分化されているようだ。
へえ……と蘭児の顔を覗きながら、把田が言った。
「かわいい顔してるな。こいつは何をするんだ」
「御膳番だ」
寧はそっけなく答えた。
「御膳番? ひどくないか。弟だろ」
「弟だからこそだ。身内ゆえに遠慮はいらない」
「お前はまったく……見上げた忠心だな」
と把田は呆れたように笑った。
亮は暗い顔をしてその場に突っ立っているばかりで、一言も言葉を発しなかった。




