第15話 最後の昼餐①
凰琳は正鵠へ、紙の端から端までびっしりと想いを書き連ねた手紙を送った。
返事は直筆ですぐに来た。「数日中に逢いに行く」とだけあった。凰琳はたった一行の手紙を胸に抱きしめ、一日千秋の思いで夫の訪いを待った。
手紙を書いた三日後、正鵠はやってきた。
皇太子の光臨を知らせる先触れが来た時の、凰琳の喜びようはなかった。
大急ぎで風呂に入って髪を結い直し、限られた衣装や装身具を使ってめいっぱい着飾った。念入りに化粧もした。茶や酒器の支度をさせた。崔夫人は凰琳のいつにない浮かれぶりに目を細めた。
昼を過ぎたころ、皇太子の一行が香雪殿にやってきた。
正鵠は馬に乗り、その後を大勢の臣下や侍従が付き従っている。劉丞相や夏民部相、正鵠の学問の師である燕学監の姿もあった。凰琳は開け放たれた扉の内側に立って出迎えた。
扉の前まで来ると、正鵠は馬を止め、臣下に向き直った。
「ご苦労、ここまででよい」
劉丞相はじめ一同は礼をした。劉丞相が言った。
「それでは殿下、弊家の入宮のことはなにとぞよしなに。吉日を選びましたらまたご連絡いたします」
夏民部相も一歩前に出た。
「殿下、わが娘と姪も今年中にはお傍にあげますゆえ」
うむ、と正鵠は頷いた。
我も我もと家臣たちは一族の娘の上納を訴えた。正鵠はすべて聞き届けた後、馬から降り、数名の近侍を連れて香雪殿へ入った。臣下たちは解散した。
凰琳はそそと進み出て、正鵠の前に跪いた。
「幸多くいらせられます正嫡の君、未来の天子さま、私の偉大な白鳳殿下。此度もご尊顔を拝することがかない、卑妾は光栄の極みでございまする」
しきたりどおりに挨拶をした。
白鳳殿下というのは、凰琳が考えた敬称であり愛称だった。正鵠の「鵠」は白鳥のことである。彼を白き鳳と呼ぶことで、自分が持つ「凰」も引き立つ。
正鵠は鷹揚に答えた。
「崔妃、そなたも息災で何より」
凰琳は微笑み、立ち上がった。正鵠が手を差し伸べてくる。凰琳はおずおずとそれを握った。
正鵠は丈が膝までしかない戎服と呼ばれる狩猟用の上衣を着、厚手の穿袴の下に山羊の皮で作った長靴を履いていた。
腰まで届く長い髪はいつも後ろに流し自然のままにしているが、外出先では邪魔なのかゆるく束ねてあった。
皇帝は天子とも呼ばれ、天帝から地上の統治を許された者の意である。皇太子は次の天子になることを約束された者であり、官ではなく、民でもない。皇帝に次いで人ではない至高の存在である。そのため男の象徴である髷は結わず、冠や頭巾をかぶることもない。
凰琳はいつも以上に凛々しい正鵠の姿に見惚れた。背丈は今でこそ凰琳より少し高いくらいだが、黎氏の男はみな長身である。これからぐんぐん伸びると思われた。
狩りから戻り、着替える間も惜しんで自分の元へ来てくれたことを嬉しく思った。
二人は手を繋いだまま歩きだした。
「殿下、少しお背が伸びられたのでは?」と凰琳が言うと「まさか」と正鵠は笑った。
「だが背伸びしたい気持ちはある。来年には人の子の親になるのだ」
少し照れくさそうに言った。
凰琳は膨らみはじめた下腹部をさすった。
「殿下のために立派な男子を産みまする」
「おなごでもよいぞ」
「それは六人目か七人目に授かれば。男子は五人は欲しゅうございます。安基公主さまのように」
安基公主は黎大公の生母、つまり凰琳の祖母にあたる人である。先々帝である成嗄帝の娘として生まれ、化粧料として北部の安基村を賜ったためその名で呼ばれた。
大貴族で有氏十家の一つである元家に降嫁したが、夫と死別したあと、望まれて従兄弟にあたる先帝・光憲帝の後宮へ入った。
高貴な血筋が尊ばれて貴妃に叙せられ、男子を続けて五人産んだ。
長男が黎大公である。次男が東遼王、三男が北燕王、四男は夭折したが五男は西戒王に封ぜられ、各地方を治めている。
「殿下がお望みならおなごも産みまする。幾人でも産みまする」
凰琳は祈るように言った。
子供の数は、夫への愛情の証とされている。懐妊後の孤閨は辛いが、正鵠が望むのであれば何度産褥の床についても構わないと思った。子供を産んだ後も正鵠に愛されたかったし、愛されていると信じたい。どうか見捨てないで欲しかった。
宮城を出て外の世界で暮らすという夢はかなわなかった。皇太子と結婚してしまった以上、凰琳が取るべき道は一つしかない。子供を一人でも多く産んで、寵愛を確固たるものにし、後宮での出世をはかるしかない。
「頼む」と正鵠は言った。彼は彼で皇帝一族である黎氏の隆盛と団結を願っていた。
気持ちのよい秋空の下、凰琳は正鵠を庭園の露台へと案内した。円卓や椅子が並べられている。爽やかな風を感じながら、二人は向き直った。
近侍や女官が近くに控える中、二人は久しぶりに語らいの時間を持った。正鵠は東部から東遼公の子息たちが来たこと、歓待のため巻狩りに出たこと、途中劉家が治める村に立ち寄ったところこれまた思わぬ歓待を受けて二日も逗留してしまったことなどを話した。
都の劉家に連絡が行き、劉丞相の息子や一門が村に駆けつけた。昼夜問わず延々と接待が続きそうなのを、なんとか振り切って帰ってきたらしい。
凰琳も使いの話で、正鵠が狩りで都を離れていることは知っていた。大勢いるいとこたちをはじめとして黎氏一族と交流がないことは寂しく思ったが、正鵠の話は面白く新鮮だった。
正鵠は、東遼公の息子で従兄弟の双樹、光季兄弟には久しぶりに会ったという。
兄弟は狩場の近くで十五歳になる妹姫の一行と遭遇し、正鵠に引き会わせた。
偶然を装ってはいたが、郷主ともあろう深窓の姫君が家族の許しなく都の郊外へ出て来るはずもない。
意図は明白である。凰琳は胸がちくりと痛むのを感じた。




