第12話 謀反人の娘③
凰琳は青ざめた。麗麗のはしたないまでの露骨な攻撃は、鋭い刃となって彼女の心をえぐった。
これはさすがに聞き捨てならなかった。
……謀反人とその娘。そういう中傷があることは知っていたが、面と向かって言われたのは初めてだった。
何か言わなければいけない。ここは断固として抗議し、反論しなくてはいけない。自分は何を言われてもいいが、父が侮辱されるのは耐えられない。なのに、咄嗟の言葉が出てこない。
「なんと無礼な……。黎大公さまを貶めるようなお言葉、いくら珂家の姫君でも許されません。不敬でございましょう」
控えていた崔夫人も、さすがにこの暴言は耐えかねたようだ。血相を変えている。
「おやめ、清湖」
凰琳はなんとか声を発した。
清湖は崔夫人の名である。夫人と同じ気持ちだったが、香雪殿の主は自分である。下の者に庇ってもらうわけにはいかない。
凰琳はしばし瞠目した。それから麗麗の目を見て、きっぱりと言った。
「麗麗さま、お言葉ですが父は謀反人ではございませぬ。従って私は謀反人の娘ではありませぬ」
「そうかしら? 黎大公殿下は、皇帝陛下に謀反を企てて失敗なされた。皇籍を剥奪され、南に追放されたと聞いております。みなもそう申しておりますよ」
「違います。わが父は皇帝陛下に頼まれ、南黎との共栄共存のための橋渡しとして南へ赴かれたのです。大黎のために高家に入り婿されたのです。そして今も、その務めを立派に果たされておりまする」
凰琳は必死に抗弁した。
「あら、殊勝なお心がけ。でもそう思い込みたいだけなのではなくて? でないと、あまりにも惨めですものね」
麗麗は引き下がらない。可憐な唇にさらに毒を乗せる。
「崔妃さまは尊いお生まれですのに、皇籍の離脱を余儀なくされ、郷主のご身分をも失った。挙句に黎氏を名乗ることすらも許されなかった。皇帝陛下がぜひにと望まれ、黎大公さまが真に国のために尽くされているなら、このような事態にはならないでしょうに」
「……それは」
凰琳は言葉に詰まった。おろおろと目が泳いだ。
悲しい記憶が鮮やかに、そして底の知れない深い痛みを伴って蘇った。
どうしてなのか、当の凰琳にもわからなかった。
父は大黎のために南へ行ったはずだった。
自分と兄を置いて行ってしまった。
あんなに連れて行って欲しいとお願いしたのに……。
嫌な疑問、嫌な想像ばかりが鎌首をもたげる。
なぜ自分は皇籍を離脱しなくてはならなかったのだろう。
なぜ父は謀反人の汚名を着せられているのだろう。
なぜ、父は自分を置いて……いや、捨てたのだろう。
いくら問うてもわからない。誰も答えを教えてくれない。
凰琳は茫然とした。果てしなく沈みゆく心に反して、熱く込み上げてくるものがあった。
「冤罪、です」
「何が冤罪なのです」
「父が謀反など起こしておりませぬ。すべて……嘘です。謀りごとです」
とうとう、とどめようのない熱が目からあふれた。
凰琳の頬を涙がひとすじ伝った。泣きたくなどなかった。ことに珂麗麗のような性悪女の前では、けして。
凰琳の心はあまりにも素直で、心に沿おうとする身体もまた正直だった。
ぼやける視界の向こうで、麗麗は唇を上向きに反らせ、凰琳の悲しみを煽っていた。
「嫌だわ、お泣きになるなんて。まるでわたくしがあなたさまをいじめたみたい。同じ香宮殿下の妃になるのです。わたくしたちはいわば姉妹。入宮後はいつでも遊びにいらしてくださいな。こちらからもご招待いたします」
麗麗は、懐から扇を取り出して開き、見せつけるようにひらひらと扇いだ。
凰琳は勝ち誇ったように笑う麗麗に、最後まで何も言い返せなかった。
麗麗が帰ったあと、凰琳は逃げるように寝所へ飛び込んだ。寝台に突っ伏すと泣いた。涙も嗚咽も止まらなかった。
寝所の入り口で、中の様子を窺いながら、崔夫人は何度も深いため息をついた。夫人は凰琳を心から憐れんだ。
そして、この結婚はやはり間違いだったと思った。
わかっていたのに、止められなかった己の無力さが身に染みる。凰琳の繊細かつ誇り高い性格を考えたら、後宮での生活など到底耐えられるはずがなかった。
表立っては言えなかったが、崔夫人は凰琳と正鵠との結婚には反対だった。
正鵠自身がどうこうというよりは、彼が強制される重婚制度が根深い階級差別と偏見に満ち、凰琳にとって不幸の源になると思われたからである。
まず二人がいくら愛し合おうとも、まともな夫婦生活は営めない。後宮という制度において、一夫一妻は絶対にありえないからだ。
貴族たちは家と一族の繁栄をかけて、次々と娘を送り込んでくる。皇帝や皇太子に拒否権はなく、入宮してくる娘はすべて妻として迎えなければならない。上級貴族の娘なら、特に大切に遇する必要がある。
当然、妃嬪たちは寵愛を競って争うし、他の妃の追い落としをはかる。いびられたくらいで泣いていたら身体も心も持たないし、生き馬の目を抜くような後宮では生きていけない。
崔夫人は、早逝した妹のこともあって、凰琳の後宮での出世や崔一族の隆盛などは願わなかった。伯母として代母として、凰琳の個人的な幸せだけを願っていた。
凰琳も、皇太子との結婚は望まなかった。
そんなことは考えもしなかったはずだ。彼女の一番の願いは宮城を出た外の世界で暮らすことだった。
皇族に生まれた女子が合法的に宮城や実家を去るには、降嫁するか出家して尼寺へ行くほかない。
他の選択は一切許されない。公主や郷主は十四歳を過ぎた頃から婿選びに入る。十六歳で成人すると同時に、貴族や高官に降嫁するのが慣例である。
凰琳自身も降嫁を強く願っていた。
実際、正鵠の後宮に入るより、貴族の子弟や官僚の令室として傅かれて暮らした方がよほど幸せになれただろう。それなのに……今は皇太子の子まで孕んで泣き濡れる羽目になっている。
だが、と夫人は反芻する。
何度繰り返しても変わらない。悲しみが過ぎたあとは、深くやるせない諦念だけが残る。
どうして何の力もない彼女に入宮を、正鵠との結婚を拒めただろうか。凰琳を所望したのは、他ならぬ皇太子であったのに……。
正鵠が従姉妹である凰琳を妃としたのも、そう不自然なことではなかった。皇太子でなくとも、皇族の男子は最初の妻を自身に仕える女官か、見知った親族の女性から選ぶことが多かった。
大黎では儒教的思想の影響から、同姓不婚が支持されている。同姓の男女の結婚は近親相姦にあたるとされ、皇族同士の婚姻も本来は禁忌である。
が、現実として抜け道は幾つもあった。
女性側が一度でも降嫁する、出家して還俗する、書類上だけ他家の養女にして結婚後に復籍する、短期間だけ実家と縁を切る等の諸手続きを踏めば、皇族女性も皇帝や皇太子の後宮へ入ることができた。
むしろ黎氏の女性を妃にして高い地位におけば、外戚にならんとする貴族の勢力を抑えることができるため、公主や郷主を積極的に後宮に入れる皇帝も多かった。
最近は縁切りの手続きすらも形骸化し、諸公も当たり前のように娘を入宮させる。
凰琳は皇籍を離脱して崔氏を名乗っているため、正鵠との結婚は同姓婚とは見なされなかった。近親相姦にあたるとして断ることは不可能だった。
崔夫人は、足音を忍ばせて部屋に滑り込んだ。
伏して敷布を濡らし続ける凰琳の肩をそっと抱いた。
「可哀想な子、可哀想な小鳥……。私のかわいい娘」
幼子をあやすように囁き、背中をさすった。
昔から泣き虫な子だった。悲しいことや辛いことがあると、いつも部屋に籠もり、布団にもぐってしくしくと泣いていた。
凰琳が顔を上げた。
化粧が崩れてひどいことになっている。
崔夫人を見るとまた激しく慟哭し、胸に顔をうずめた。夫人は凰琳に優しく言った。
「あなたはもうすぐ香宮殿下の子を産んで、母になるのよ。こんなことくらいで泣いていてどうするの。本当に困った子ね」
「ごめんなさい。泣きたくないのに、涙が止まらないの」
「いいのよ、わたくしの前ではいいの」
夫人は凰琳を抱き、共に悲しんだ。
愛する娘の悲しみは、夫人の悲しみだった。
凰琳が泣き疲れて寝てしまうまで、ひしと抱きしめて離さなかった。




