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悪役令嬢の『母』に転生したので、娘の断罪エンドを回避します。  作者: ぶらっくそーど


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「公爵の影」


 読み聞かせは毎晩の恒例になった。


 アリシアは相変わらず「いらない」と言う。私は相変わらず無視して読み始める。アリシアは相変わらず聞いていないふりをしながらベッドの端ににじり寄ってくる。お互い茶番だと分かっているのに、この手順を省略しないあたりが我が娘らしい。我が娘、と言えるほどの関係にはまだなっていないが。


 三冊目の絵本に入った夜、アリシアが初めて感想らしきものを漏らした。


「……その竜、ばか」


 主人公の竜が友達の鳥を助けるために宝物を手放す場面だった。いい場面なのだが、アリシアの感想は「ばか」。なぜ大切なものをあげるのか分からない、ということだろう。


 まあいい、感想が出ただけ進歩だ。内容への共感はこれからの話。


 さてと……。


 読み聞かせが軌道に乗ったところで、もう一つ片づけなければならない案件がある。この屋敷のもう一人の住人——夫のことだ。


 転生から十日。ギルバートとまともに会話したのは二回だけ。一回目は彼の執務室前での「何か用か」「いえ失礼しました」。二回目はヘルダの件で彼が私の部屋に来た三分間。合計五分にも満たない。


 夫婦の会話量が一日平均三十秒以下という家庭がこの世界にはある。話にならない。


 今日はこちらから動く。目的は明確で、アリシアの教育方針についてギルバートの考えを聞きたい。ヘルダを動かすにしても、最終的には家長である公爵の了承が要る。根回しは早いほうがいい。


 昼過ぎ、西棟に向かった。前回は執務室の前で引き返したが、今日は用件がある。堂々と行ける。


 ——はずだったのだが、執務室の前まで来てつい足が止まった。


 扉が少し開いている。中から声が聞こえた。ギルバートと、もう一人。


「……申し訳ございません、旦那様。息子の病が長引いておりまして、来月の視察には——」


 年配の男の声だけど、聞き覚えがない。使用人か、領地の関係者か。


「息子の具合は?」


 ギルバートはいつもと同じく短い言葉で、ただ私に向けるそれとは少しだけ違った気がした。


「熱が下がらず……医者には診せておりますが」

「薬代はかかるだろう。足りなければ家令に言え、立て替えさせる」

「そんな、旦那様にそこまで——」

「視察は代わりを立てる。息子が治るまで休め」


 内容は——部下の息子の病気に対して薬代の立て替えを申し出て、仕事の休みを即断しているようだ。


「出過ぎたことを申しますが、旦那様にご迷惑をおかけするには——」

「迷惑ではない。使えない人間を無理に使うほうが迷惑だ」


 言い方……もう少し何かあるだろう。「心配するな」とか「お大事に」とか。この人はなぜ最後の一言で全部台無しにするのか。


 ただ、年配の男のほうは台無しにされた様子がなかった。「ありがとうございます」と深く頭を下げる気配がした。この言い方に慣れている。ギルバートがいつもこうだと知っていて、言葉の裏を読めるくらい長い付き合いなのだろう。


 ……不器用な人だ。


 結論だけを最短距離で伝えて、感情の部分は全部省略する。妻にも娘にも、おそらく領民にも。やっていることは温かいのに、表現から温度を抜いてしまう。


 男が退室してきた。鉢合わせしかけたが、咄嗟に壁際に寄って柱の影に隠れた。公爵夫人が自宅の廊下で柱に隠れている。絵面として相当おかしい。


 男が去ったあと、息を整えてから扉を叩いた。


「旦那様、少しお時間をいただけますか」

「……入れ」


 執務室に入ると、ギルバートは書類から目を上げた。前回(三分間の来訪)と同じ席。ただし今日は立ち上がらず、椅子に座ったままこちらを見ている。多少は警戒が薄れたのか、立って迎える必要も感じていないのか。……うーん、たぶん後者だな。


「アリシアの教育のことで、お聞きしたいことがあります」


 単刀直入に切り出した。この人に前置きは要らない。


「ヘルダの件か」


 一言でそこに帰結するあたり、前回の会話をちゃんと覚えている。「気になることがある」と言った私の言葉を、流さずに保留していたのだ。


「ヘルダの指導を何日か見ましたが、少し……偏りを感じています。礼儀作法や家の歴史はよく教えてくださっていますが、それ以外のことが——」

「それ以外とは?」

「たとえば、他の子供と遊ぶ時間や、自分で考えて何かを作る経験。もう少し、年齢相応の——」


 言いかけて、止めた。年齢相応、という言い方はこの世界では通じないかもしれない。前世の価値観をそのまま持ち出すのは危険だ。


「……アリシアは聡い子です。勉強もよくできます。ただ、同年代のお友達が一人もいません。それが、私は気になっています」


 ギルバートは腕を組んだ。考えている顔だ。即座に否定しないのはいい兆候と受け取っていいだろうか。


「ヘルダは先代から仕えている。腕は確かだ」

「それは私も認めています」

「だが、不満があると」

「不満というよりは——方向性の相談です。教育の中身を少し変えたいと思っています。ヘルダに任せきりにするのではなく、私たちも関わる形で」


 私たち、と言った。意図的に。


 ギルバートの目が少し動いた。「私たち」を引っかかりとして受け取ったのが分かった。この人と元のレティシアが「私たち」として何かをしたことは、おそらく一度もなかったのだろう。


「……教育のことはお前に任せている」


 出た。前回と同じ台詞。任せている。つまり丸投げだ。


 ——と思いかけて、少し引っかかった。「任せている」は丸投げの言葉でもあるが、「お前の判断を信頼する」の意味にも取れる。この人の場合、本当にどちらなのか分からない。文脈を読ませてくれるだけの会話量がない。


「では、少し変えてみてもいいですか」

「好きにしろ」


 素っ気ない。が、止められてはいない。


「ありがとうございます。進捗はご報告します」

「……要らん」


 要らんと言われた。報連相を拒否する上司は前世にもいた。大抵そういう上司に限って「聞いてない」と後から言い出すのだが——ここでそれを指摘する胆力は今の私にはない。


「では、失礼します」


 立ち上がって、部屋を出る。扉を閉めかけたところで——背中に視線を感じた。


 振り返りはしなかった。振り返って目が合ったらお互い気まずい。でも確かに、一瞬だけ見られていた。


 廊下を歩きながら考える。


 さっき盗み聞きしてしまった場面。部下の息子の薬代を出し、休みを取らせた公爵。言い方は最悪だったが、やっていることは紛れもなく「人を守る判断」だった。


 この人はたぶん、領民や部下に対してはああいう距離感でうまくやっている。仕事の範囲内なら、人に優しくする方法を知っている。


 ただ、家族は仕事ではない。


 仕事の言語で家族と向き合おうとするから、「任せている」「好きにしろ」になる。部下への指示としては完璧だが、夫としては0点に近い。


 でも——見ていた。


 こちらが出ていくとき、振り返ろうとした気配。あれは仕事の顔ではないと思う。


 東棟に戻りながら、今夜のメモの内容を頭の中で組み立てた。


 ——夫:「好きにしろ」の了承を取得。実質、教育方針変更の許可。

 ——ただし「報告は要らん」→要る。この人は報告が要らないのではなく、報告を受ける関係性に慣れていない。

 ——対策:報告と称さずに「相談」の形で共有する。「こういうことがあったのですが」の雑談風が最も通りやすいタイプと推測。


 自分で書いていて少しおかしくなった。


 攻略……そうだ、これは攻略だ。乙女ゲームの世界に来たのだから、攻略の一つや二つやるのが筋だろう。ただ、対象が想定外すぎるのは……まあ、仕方ない。

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