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悪役令嬢の『母』に転生したので、娘の断罪エンドを回避します。  作者: ぶらっくそーど


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19/20

「王家からの招待状」


 順調なときほど足元を見ろ、というのが前世から持ち越した数少ない教訓だった。


 マルタが来て三ヶ月になる。アリシアは虫の標本箱を二つ完成させ、夕食の席では今日あったことを自分から喋るようになり、先週などコルネの焼き菓子を厨房まで取りに行って「おかわり」を直談判したらしい。自分で手を伸ばせというマルタの教えは、菓子の領域で最も目覚ましい成果を上げている。


 この調子なら、あの断罪エンドの未来なんて霧みたいに薄れて消えるんじゃないか——と、つい考えてしまう夜があって、その甘さを毎回メモの端で戒めてきた。うまく行きすぎている。私の経験則だと、こういうときの厄介事は予告なしで来る。


 来た。それも王家の紋章つきで。



「奥様、王宮から奥様当てに届きました!」


 ニナが銀盆を捧げ持って部屋に飛び込んできた。盆の上の封書には深紅の蝋封。獅子の紋章。廊下の向こうがざわついているのは、屋敷中にもう知れ渡っているからだろう。王家から公爵家への書状なんて、年に何度もあるものじゃないらしい。


 開封する――便箋一枚、流麗な文字。社交辞令の挨拶を読み飛ばして、本文に目を走らせた。


 秋の園遊会への招待。日付は一月半後。よくある話だ、公爵家なのだから王家の催しに呼ばれるのは当然——


『公爵ご夫妻、ならびにご令嬢のご臨席を賜りたく』


 指が止まった。


 ご令嬢……アリシアを連れてこいと書いてある。



「ニナ。この国では、子供が社交の場に出るのは何歳からが普通なの?」

「十歳のお披露目からですけれど……あら?」


 ニナも便箋を覗き込んで首を傾げた。六歳の娘を名指しで招く園遊会。異例だという認識は、社交の素人の私とニナで一致した。素人二人の一致に意味があるかは別として。


 考えろ……王家が六歳の公爵令嬢をわざわざ呼ぶ理由は何だ?


 線は三つ浮かんだ。一つ、単なる家族ぐるみの親睦で深い意味はない、これであってほしい。二つ、最近評判の「変わった公爵夫人」と娘を一度見ておきたいという好奇心、これもまだ可愛い。三つ——


 王太子。


 確か、アリシアの二つ上だったはずだ――今八歳。


 ゲームの記憶を引きずり出す。アリシアと王太子の婚約はゲーム開始時点で既成事実だった。いつ結ばれた婚約かなんて本編で説明されていただろうか。回想があった気がする。スキップした気もする。幼い二人が王宮の庭で会う場面のスチルを、見たような、見ていないような——駄目だ、輪郭が掴めない。ながらプレイの罪がこんなところで利子をつけて返ってくる。


 確かなのは一つ。ゲームの盤面では、あの二人はどこかの時点で婚約する。そして十五歳の断罪イベントで、婚約者である王太子がアリシアを切り捨てる。


 この園遊会がその「どこかの時点」の入り口だったら?


 寒気がした。猶予は、まだ十年あると思っていた。フラグは順番に折ればいいと思っていた。でも敵は私の進行表に合わせて待ってくれるわけじゃない。当たり前のことを忘れていた。


 情報が要る。それも宮廷の内側の情報が。


 ——心当たりが一人いる。気まずさに目をつぶれば。



   ◇



 ヘルダの執務室は本館一階の角部屋にある。社交窓口に異動して以来、彼女はそこで他家との書簡を捌いている。扉を叩く手前で一度足が止まったのは、自分で異動させた相手に頭を下げて教えを乞いに来た、この状況の間の悪さのせいだ。向こうがどう出るか読めない。嫌味の一つは覚悟しておくべきだろう。


「奥様」


 ヘルダは書き物の手を止めて立ち上がった。三ヶ月ぶりに正面から見る顔は、相変わらず一分の隙もない。


「お聞きになりたいのは、園遊会の件でございましょう」


 こちらが口を開く前に言い当てられた。読まれている。、然か、王家の書状が届いたことくらい彼女の耳に入らないはずがない。むしろ私が来るのを待っていた節すらある。机の上のお茶の支度が、どう見ても二人分だった。



「……話が早くて助かるわ」

「妹から手紙が参りました。三日前に」


 妹……宮廷の侍女頭。ヘルダを社交窓口に置いた判断が、こんなに早く、こんな形で効いてくるとは思わなかった。まったく、人事は廻るものだ。


「王妃陛下のご意向だそうでございます。王太子殿下のお相手にふさわしい家格のご令嬢を、お早いうちからご覧になりたいと。今回の園遊会には、公爵家と侯爵家から、お年頃の近いご令嬢が五名招かれております」


 お相手……。


 婉曲な言い方だが、意味は一つしかない。婚約者の品定めだ。八歳の息子の結婚相手を、六歳前後の娘たちを並べて見比べる。この世界の王族にとっては普通の感覚なんだろう。頭では分かる。分かるが、品定めされる側の椅子にうちの娘が座らされると思うと、腹の底が煮えくり返るな。


「ヘルダはどう見てるの、この招待を」

「断れません。公爵家が王家のご招待を辞退すれば、角が立つどころでは済みません」


 でしょうね。聞くまでもなかった答えだが、この人の口から聞くと選択肢のなさが確定する。


「ですが奥様――アリシア様の所作は、私が三年かけて仕込みました。並みいるご令嬢の中に置かれても、見劣りなど決していたしません。王宮でも恥はかきません」


 胸を張って言い切った横顔に、嫌味の気配は探しても見つからなかった。この人は今でもアリシアの先生のつもりなのだ。教育係の任を解かれようと、自分が仕込んだ三年は消えないと信じている。その矜持を、今日ばかりはありがたく受け取っておく。


「ありがとう。——当日の作法のことで、また相談に来てもいい?」

「ええ、何なりと」


 扉を閉める間際、ヘルダがかすかに笑った気がした。気のせいかもしれない。気のせいじゃなければ、あの人なりの手打ちの合図だと思いたい。



   ◇



 夜、ギルバートの執務室を訪ねた。招待状を机に置くと、彼は一読して眉間に皺を寄せた。読み終わるまで三十秒。この人の読書速度にもだいぶ慣れた。



「令嬢同伴か」

「ヘルダの妹君からの情報では、王太子殿下の婚約者選びが始まっているそうです」


 ギルバートはしばらく黙った。書類の山の向こうで指を組んでいる。この沈黙は不機嫌じゃない。盤面を読んでいる時間だ。三ヶ月かけて、ようやくこの人の沈黙の種類が二つ三つ区別できるようになってきた。



「……王家の狙いは公爵家の力だ。南部の穀倉地帯と、うちが抱える私兵団。婚約は鎖として一番上等だからな」


 政治の話になると、やはり言葉が出る。


「クランツ家にとっての得は」

「大きい。次代の王妃を出せば、家格は向こう五十年安泰だ。父が生きていれば、招待状に飛びついただろうよ」


 だろうよ、の語尾が他人事みたいに聞こえて、引っかかった。あなたは飛びつかないんですか、と聞きそうになって、もっと核心の問いに変えた。


「旦那様は——アリシアを、王太子妃にしたいですか」


 ギルバートの指が止まった。


「……三年前に同じことを聞かれたら、迷わず頷いた」


「今は」

「今は——あの子が王宮で笑っている未来が、全く浮かばん」


 浮かばん、と言った後で、ギルバートは自分の言葉に居心地が悪くなったらしく、書類に視線を戻した。耳の縁がうっすら赤いのは、ランプの灯りのせいということにしておいてやる。


 自分が娘によほど入れ込んでいる……そう客観的に見えてしまって、恥ずかしくなったのだろう。


 良かった。この人にも愛情や羞恥心というものはあるようだ。



「私も同じ気持ちです。——ですが、欠席はできないのでしょう?」

「できん。行くしかない」

「では、行きましょう。家族三人で」


 ギルバートが顔を上げた。三人で、の部分に反応したのが分かる。夫婦と娘で、王家の園遊会に出る。一見すればただの予定だが、この家では三ヶ月前まで成立しなかったものだ。


「……当日までに、アリシアに伝えることは」

「私から話します。怖がらせないように」


 頷いて、退室しかけて、扉の前で一つだけ付け足した。


「旦那様。当日は、アリシアと手を繋いであげてくださいね」

「……考えておく」


 考えておく、は前向きに検討するの意だと、最近ようやく翻訳できるようになった。


   ◇


 自室に戻って、メモを開く。


 書くべきことは山ほどあった。園遊会の準備、アリシアのドレス、当日の作法、ヘルダへの相談事項。全部後回しにして、一番上に一行だけ書いた。


 ——盤面が、向こうから動いた。


 十年あると高を括っていた。フラグは一本ずつ丁寧に折ればいいと思っていた。でもゲームのシナリオは私の都合を待ってくれない。婚約も、王太子も、聖女も、断罪も、向こうの時間で迫ってくる。


 いいだろう。受けて立つ。


 断罪イベントの主役に会わせろと言うなら、会わせてやる。八歳の王太子がどんな子供か、この目で見定めてくる。ついでに王妃陛下の品定めの席で、品定めし返してくる。あちらが知らないことを、こちらは一つ知っている。シナリオの結末を知る人間が、今回の盤面には一人混ざっているということだ。


 あの子の隣には、今回は母親がいる。


 ペンを置いて、デスクの上の絵を見た。赤と黄色のぐちゃぐちゃの花壇と、棒の手足の親子。


 処刑台に続くシナリオなら、書き換えるまでだ。

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