「お茶会の偵察」
社交界デビュー、二回目。
一回目は元のレティシアがやっていたらしいが、転生後の私にとっては初めての対外活動だ。侯爵夫人が主催する月例のお茶会である。貴族夫人の情報交換の場であり、噂の製造工場であり、笑顔の裏で全員が全員を値踏みしている魔境。前世の合同企業説明会を思い出す。あれも笑顔と建前の地獄だった。
ニナに身支度を整えてもらいながら、予習をする。
「今日のお茶会、出席者は?」
「フォルトナー侯爵夫人が主催ですので、侯爵家と親しいご家庭が中心かと。ベルクハイム伯爵夫人、シュヴァルツ男爵夫人、あとは——」
ニナが五、六人の名前を挙げてくれる。問題は、私がその人たちの顔を知らないことだ。元のレティシアは知っていたのだろうが、記憶ごと入れ替わっている。名前と顔が一致しない社交の場ほど危険なものはない。
「ニナ、一つお願いがあるの。会場に入ったら、誰かに話しかけられたときに小声で名前を教えてくれる?」
「え? 奥様、お顔を忘れてしまったんですか?」
「最近ちょっとぼんやりしていて」
ぼんやりで片づけるには無理がある言い訳だが、ニナは「かしこまりました」と受けてくれた。この子の素直さに日々救われている。
馬車でフォルトナー侯爵邸に到着。門構えの時点でクランツ邸に負けないくらい立派だ。庭園の一角に白い天幕が張られ、その下にテーブルが並んでいる。すでに何人かの夫人が着席していた。
天幕に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
視線が集まる。にこやかに、さりげなく、でも確実に。全員がこちらを見ている。「クランツ公爵夫人が来た」という情報が、無線通信のように席から席に伝わっていく。
「まあ、レティシア様。お久しぶりですわ」
最初に声をかけてきたのは、恰幅のいい中年の夫人。ニナが背後から囁く。「フォルトナー侯爵夫人です」と、本当に助かる。
「こちらこそ。本日はお招きありがとうございます」
「いいえ、いいえ。最近お元気そうで何よりですわ。ご家庭のほうも充実なさっているとか?」
初手から来た。「ご家庭のほうも充実」は、つまり噂を聞いている。私が急に家庭的になったという話がここまで届いているようだ。どうやってかは知らないが。
「ええ、最近は娘の教育に力を入れることにしましたの」
隠す必要はない。むしろ自分から言ったほうがいい。噂が先行すると尾ひれがつく。本人の口から「教育に力を入れている」と宣言してしまえば、それが公式見解になる。
「まあ、素敵。アリシアちゃんはお幾つになられて?」
「五歳になりました」
「五歳! 可愛い盛りですわねえ。うちの息子はもう十二で、手に負えませんわ」
侯爵夫人の息子、十二歳。ゲームに出てきたかどうか思い出せない。記憶が曖昧なのがもどかしい。
席に着くと、隣の夫人が話しかけてきた。
「レティシア様、お隣よろしいかしら。ベルクハイム伯爵家のエルザですの」
ニナの囁きと本人の自己紹介が同時に来た。
エルザ・ベルクハイム伯爵夫人、三十代前半くらい。穏やかそうな笑顔の中に、よく切れる目がある。
「もちろんどうぞ。今日は暑いくらいですね」
「本当に、でも日陰のお茶は格別ですわ。——ねえレティシア様、伺ってもよろしい? 最近のご様子、ずいぶんお変わりになったと耳にして」
なるほど、この人は直球で来るタイプか。
「変わった、とはどのあたりが?」
「アリシアちゃんとご一緒に食事を取られるようになったとか、庭仕事をなさったとか。以前のあなたからは想像もつかなくて」
にこにこしているのは、たぶん悪意じゃなくて、純粋な好奇心だ。ただし好奇心は時に悪意より厄介なものになる、何でも聞いてくるから。
「何がきっかけだったの?」
この質問は想定していた。答えも当然用意してある。
「……ある朝、娘の顔を見たときに、急に怖くなったんです。このまま何もしないで、取り返しのつかないことになるんじゃないかって」
嘘ではない。取り返しのつかないこと——文字通り処刑なのだが、そこは省略する。
エルザは目を丸くした。
「あら! 思ったよりずっと真剣なお話なのね」
「大げさかもしれませんけれど」
「いいえ。母親って、そういう瞬間がありますわ。わたくしも長男が熱を出したとき、急に怖くなって三日三晩寝ずについていたことがあって」
共感を得られたのはありがたい。エルザが味方に回ってくれるなら、社交界での足場が一つ増える。伯爵夫人の「この人は本気で変わった」という証言は、侯爵夫人経由で他の貴族にも伝わるだろう。
お茶とお菓子が運ばれてきて、場が緩む。夫人たちの会話が個別の雑談に散った。
さて、ここからが本番だ。
お茶を飲みながら耳を立てる。どの家にどんな年齢の子供がいて、どんな教育を受けているか。誰が誰と仲がいいか。どの家が王宮に近いか。社交の場は情報の宝庫だ。
一つ、気になる会話を拾った。テーブルの向こう端で、シュヴァルツ男爵夫人がもう一人の夫人と話している。
「——あの方、もう引退なさっているのでしょう? 学院を辞めてからは領地の奥に引っ込んで——」
「でも、ご息女が最近お嫁に行かれて、お一人だとか。もったいないわよねえ、あれだけの腕なのに」
学院を辞めた教育者、領地の奥に隠居……腕は確か。
これだ!
その謎の人物こそ、私が探し求めていた「代わりの教育係の候補」になるはず。ヘルダに取って代わってくれる教育係は、ニナに調査を頼んで以降まだ手がかりもなかったが、こんなところで情報が転がり込んでくるとは。
もちろん、この会話に入らないわけにはいかない。
「すみません、今のお話——学院の先生を辞められた方がいらっしゃるの?」
「マルタ・ヴェーバーさんですわ。王立学院で二十年教鞭を執られた方よ、ご存じありません?」
「申し訳ないです、不勉強で……ちなみに、どういった方なんですか?」
「子供の扱いが本当にお上手で。でも、宮廷の政治に嫌気が差して辞められたって噂ですわ」
宮廷の政治に嫌気が差して辞めた――つまり、宮廷に対して何の義理もない人物。ヘルダの代わりの教育係として考えるなら、これ以上ない人選だ。
「その方、今はどちらに?」
「確かクランツ公爵領の西方、ヴァイデンの辺りだったかしら。あの辺は静かでいいところよね」
クランツ公爵領の中だ。うちの領地内に住んでいる。
興奮を顔に出すな。お茶を飲んで笑顔を維持しろ。社交の場で情報に食いつく姿を見せるのは下策だ。
「素敵な方ですわね。機会があればお会いしてみたいわ」
それだけ言って話題を変えた。深追いしない、興味の度合いを悟られるとろくなことがない。
結局、お茶会は二時間ほどで終わった。
帰りの馬車の中で、ニナに聞いた。
「マルタ・ヴェーバーという方をご存じ?」
「いえ、初めて聞きました。どなたですか?」
「元学院教師で、今はヴァイデンに隠居しているらしいの。少し調べてもらえる? どういう方で、今何をしていて、訪問しても差し支えないかどうか」
「かしこまりました。……もしかして、教育係の候補ですか?」
ニナの勘が鋭い。あるいは、私が分かりやすすぎるのか。
「まだ候補でもないわ。ただ、お話を聞いてみたいだけ」
「奥様、嘘がお下手ですね」
「……自覚はあるわ」
馬車の窓から景色を眺める。
今日の収穫は三つ。エルザ・ベルクハイム伯爵夫人という味方候補の確保。「教育に力を入れている」という公式見解の社交界への流布。そしてマルタ・ヴェーバーの存在。
出来すぎだ。こんなに順調でいいのだろうか。前世の経験則として、順調なときほど落とし穴が近い。
——まあいい。落とし穴があるなら踏んでから考えよう。今は前に進む。




