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悪役令嬢の『母』に転生したので、娘の断罪エンドを回避します。  作者: ぶらっくそーど


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「夫婦の食卓」


 やるべきことリストに、一つ項目を追加した。


 家族三人の食事。


 アリシアとの二人の夕食はもう日常になった。最初の頃の緊張感はだいぶ薄れて、最近では私が何か話しかければ二言三言は返ってくる。会話のラリーとしては少ないが、「べつに」一言で終わっていた頃を思えば飛躍的な進歩だ。


 ただ、この食卓に足りないものが一つある。三脚目の椅子の住人だ。


 ギルバートを食事に誘う。言うのは簡単だが、実行するには気力がいる。前回この人の部屋を訪ねたのはヘルダの件で、あのときは用件があったから行けた。今回の用件は「ご飯食べませんか」である。プレゼン資料なし、アジェンダなし、議題は「一緒にご飯」のみ。中身がなさすぎて、逆に緊張する。


 夕方、西棟に向かった。執務室の前で一回立ち止まり、深呼吸して、ノックした。


「旦那様、少しよろしいですか」

「……何だ」


 扉越しの声。入れとも入るなとも言わない。判断を保留する返事は、この人らしいと言えばらしい。


 扉を開けて入ると、案の定ギルバートは書類に埋もれていた。こちらを見る目が「用件は」と言っている。毎回この目をされる。妻が来るたびに構えるのは夫としてどうなのかと思わなくもないが、元のレティシアの行いを思えば仕方がない。


「今夜の夕食、三人でいかがですか。私とアリシアと旦那様で」

「三人で?」

「はい」


 ギルバートの眉が動いた。困っている、明らかに困っている。仕事中に部下から飲みに誘われた上司の顔をしている。断りたいが断る理由が見つからない、という顔だ。


「……なぜだ?」

「家族ですから」


 身もふたもない理由を出したら、ギルバートは二秒ほど固まった。そりゃそうだ。「家族だから一緒に食べよう」は、普通の家庭なら当たり前すぎて理由にもならない。この家では爆弾発言になるのが悲しいところだが。


「アリシアは知っているのか」

「いえ、まだ。旦那様のお返事を聞いてからと思って」

「……食事だけだな」

「食事だけです」


 何を警戒しているのか。まさか食卓で弾劾でもされると思っているのか。いや、この夫婦の歴史を考えれば、食事に呼ばれて何か仕掛けられることを疑うのは正常な危機管理かもしれない。信頼貯金がゼロだと、善意すら疑われる。


「分かった」


 了承を取りつけた。所要時間約一分。この人との会話はいつも短くて助かる。助かるのだが、もう少し何かないのかとも思う。


 アリシアに伝えに行くと、こちらも固まった。


「お父様も?」

「うん。一緒に食べましょう」

「……べつにいいけど」


 べつにいいけど、の「けど」が気になるが追及しない。


 夕刻。食堂に三人分の食事が並んだ。


 席順に迷った。向かい合わせだと尋問みたいになる。横並びだと全員正面を向いて食べることになり、それはそれで異様だ。結局、テーブルの端にギルバート、反対側の端に私、中間にアリシアという配置に落ち着いた。落ち着いたというか、ギルバートが勝手に一番端に座ったのでそうなった。距離を取りたいのが丸分かりである。


 食事が始まった。


 静かだった。尋常ではなく静かだった。私とアリシアの二人の食事も最初は静かだったが、今日はその上をいく。沈黙に重さがあるような、空気が固体になっているようなそれだ。


 アリシアは完全に萎縮していた。二人のときは最近だいぶ力が抜けてきたのに、父親が加わった瞬間にヘルダの授業モードに戻っている。背筋はまっすぐ、スプーンの持ち方は完璧、口元を拭く仕草まで教科書通り。公爵令嬢としてのフルスペックが起動している。


 ギルバートはギルバートで、黙々とスープを飲んでいる。味がしているのかも怪しい速度で消費している。早く終わらせたいのかもしれない。


 間を取り持とうとして口を開く。


「今日のスープ、美味しいですね」

「……ああ」


 ギルバートからの一文字。アリシアは頷きもしない。私の「美味しいですね」が食堂の天井に吸い込まれて消えた。


 もう一回。


「アリシア、今日のお勉強はどうだった?」

「……ふつう」


 「べつに」から「ふつう」に昇格しているが、父の前では口数が極端に減る。目線もスープに落としたまま上げない。


 ギルバートに振ってみる。


「旦那様は今日のお仕事はいかがでしたか」

「……問題ない」


 ……まったく二人して、もしもこの会話に議事録を作ったとしたら真っ白だ。


 正直に認めよう。この時間は、しんどい。


 前世で経験した気まずい飲み会を全部足し合わせてもこれには及ばない。取引先の偉い人と一対一で無言のエレベーターに乗った四十五秒間でさえ、今に比べれば楽園だった。あれは四十五秒で終わることが確定していた。この食事は終わりが見えない。


 三度目の沈黙が下りたとき、私は方針を変えた。


 無理に話さなくていい。二人の食事で学んだはずだ。最初から会話を求めるな。同じ空間にいることに慣れるのが先。頭では分かっている。分かっているが三人だと沈黙の圧が三倍になるのは計算外だった。


 黙って食べた。パンをちぎり、魚を切り、付け合わせの野菜を食べ——あ、かぶだ。今日のメニューにかぶが入っている。伝え忘れていた。厨房には「アリシアとの食事にかぶを入れないで」と頼んであったが、今日は三人分の食事なので通常メニューで出てきたらしい。


 ちらりとアリシアを見る。案の定、かぶだけ皿の端に寄せている、几帳面に。一欠片も残さず分離している。


 ギルバートがそれに気づいた。


 気づいたのが分かったのは、ギルバートの視線が一瞬だけアリシアの皿に向いたからだ。そして、何も言わなかった。何も言わずに自分のかぶを食べた。


 食事が終盤に差しかかった頃だった。


「アリシア」


 ギルバートが口を開いた。今夜初めて、娘の名前を呼んだ。


 アリシアの肩がびくりと震えた。何か怒られると思ったのかもしれない。


「食事の量が増えたな」


 短い。恐ろしく短い、何の脈絡もなく飛んできた一言のように思えて、でも……。


 ——そうか。この人、見ていたのか。


 アリシアの皿を見ている。確かに、私の転生初日に比べれば食べる量は増えている。二人の食事に慣れて、かぶ以外は残さず食べるようになった。私は毎日一緒にいるから変化の幅が分かりにくかったが、めったに食卓を共にしないギルバートには差が見えたのだろう。


 アリシアが小さく頷いた。


「……コルネさんのご飯、おいしいから」


 ギルバートは「そうか」とだけ返して、食事を終えた。


 三人がテーブルを離れる。解散、打ち上げなし、反省会なし。ギルバートは会釈のような何かをして西棟に帰っていき、アリシアはぺこりと頭を下げて自室に向かった。


 食堂に一人残されて、使用人が食器を下げるのを見ながら考える。


 惨憺(さんたん)たる食事だった。会話は合計五往復にも満たない。気まずさは最初から最後まで途切れなかった。成功か失敗かで言えば、まあ失敗寄りだろう。


 ただ、一つだけ得られたことが。


『食事の量が増えたな』


 あのギルバートの一言を引っ張り出すのに、このぎこちない食卓は必要だった。ギルバートはアリシアの変化を見ていた。見ていて、言葉にしたんだ、あの人なりの精一杯で。


 もう一回やろう。来週あたり。来週もたぶんしんどいが、そのうち「ふつう」になるかもしれない。この家族には「ふつう」が一番遠い目標だ。


 厨房に寄って、コルネに伝えた。


「三人分の食事のときも、かぶは抜いてもらっていい?」

「かしこまりました。……三人分のお食事、また作れますか?」

「来週あたり、お願いするかもしれないわ」


 コルネが嬉しそうに笑った。この人は屋敷の中で一番分かりやすく味方をしてくれる、ありがたい。


 自室に戻って、今日のメモ。


 ——三人の夕食:初回完了。会話量は壊滅的。ただし継続する価値あり。

 ——アリシア:父の前で萎縮する。要改善だが急がない。

 ——ギルバート:見ていないようで見ている。言わないだけで気づいている。この人の観察力は侮れない。


 最後に一行。


 ——かぶの件、三人分の発注にも反映すること。


 業務メモとしては完璧だ。母親の日記としては味気ないが、私にはこれくらいがちょうどいい。

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