何故被告人はここまで手厚く守られるのか
法律については本当に未熟なので知識人の方がいらっしゃいましたら指摘してくだされば幸いです。
s よくニュースを聞いていると何故か被害者が置き去りになって加害者が守られているという風潮があるように感じます。
k 確かに。有名どころで言えば飲酒運転なんかが昔は警告だけで済む時代だったからね。モータリゼーションが進み、業務上過失致死傷罪及び重過失致死傷罪という明治時代から変わることのなかった刑罰では対応できなくなってきたこともあって「危険運転致死傷罪」という刑罰が新設され、今年の国会では更に飲酒運転の呼気中アルコール度数の基準やスピード違反の超過の基準が明確になり、厳罰化が進んできた。モータリゼーションが進んだことによって車というものが一般化したこの時代に危険運転致死傷罪は必要不可欠の存在となった。
s それもそうですがやはり加害者が守られている感が凄いですよね。なんであそこまで加害者が守られているのでしょうか。
k s君、もしかしたら君は「加害者」と「被告人」という概念を混同しているかもしれないね。
s え!同じではないのですか?
k 「加害者」は結果論としての存在だ。被告人は裁判を受けて確定するまでの被疑者のこととなる。今回は何故ここまで被告人が手厚く保護されるか考えよう。
s やっぱり戦前の治安維持法が関係しているのでしょうか。
k もはや言わずとものレベルで刑事訴訟法の形は戦後になって大きく変わった。憲法には多くの刑事法に関する項目がありこれは日本国憲法の特徴の一つと言われている。
s 法律の範囲内であれば大概のことはできてしまいましたものね。令状主義も法律の範囲内であれば蔑ろにできたと。
k 軍国主義の日本は明治憲法をいいように解釈してたから、それができないほどに厳密に日本国憲法に被告人の権利を書いてある。軍国主義時代の反省が生んだ被告人の権利なのだ。多くの人間を思想犯罪で取り締まった過去の教訓を元に
「・適正法定手続
・裁判を受ける権利
・逮捕令状主義
・弁護人依頼権と拘禁理由開示
・住居の不可侵、捜索令状主義
・拷問、残虐な刑罰の禁止
・迅速な公開裁判、証人審問権、国選弁護制度
・自己帰罪拒否特権、自白証拠法則
・遡及処罰の禁止、一事不再理
(デイリー六法2026 令和8年版 日本国憲法より引用)」
などの多くのものが憲法に直接書かれている(詳しくはエピソード23を見てください)。普通は法律で定めるものを憲法に書くという国は多くあるけど日本も例外ではない。刑事訴訟法にはさらに細かくあって僕がザラッと見ただけでも
「・一六九条[捜査上の注意] 検察官、検察事務官及び司法警察職員並びに弁護人その他職務上捜査に関係のある者は、被疑者その他の者の名誉を害しないように注意し、且つ、捜査の妨げとならないように注意しなければならない。
・三二〇条[伝聞証拠排除の法則]第三百二十一条乃至第三百二十八条に規定する場合を除いては、公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない。
・四〇二条[不利益変更の禁止]被告人が控訴をし、又は被告人のため控訴をした事件については、原判決の刑より重い刑を言い渡すことはできない。
(デイリー六法2026 令和8年版 刑事訴訟法より引用)」
他にも免訴の条件や逮捕できる有効期間など数字で書かれた時間の条件が事細かく書かれている。刑事訴訟法には日本国憲法で含めたものが細かく書かれている。(捜査上の注意は被告人の名誉を国家権力によって脅かさないため、伝聞証拠排除の法則は書面の偽造などの不正が起きることを防ぎ正しい証言を裁判所で確実に証言させるため、不利益変更の禁止は控訴によって重い刑が科されることを恐れて裁判を受ける権利を放棄する恐れがあるため。)
s 意外と言ったらあれなんですが刑事訴訟法って逮捕の要件とか裁判の流れ以外にも多くの規定で証拠の制限があったりするんですね。
k 証拠の判断は裁判官の自由な心証に委ねられるから中立性も堅持されなければならない。
s これでも冤罪が起きていると思うと逆に恐ろしいですね。
k 最近刑事訴訟法が改正されたけど、まだまだな気がするどころか後退した気がするんだよな……証拠開示の規定とか。一旦その部分は置いておいて、戦後日本は旧刑事訴訟法の改正によって被告人の人権保証に力を入れることにしたんだ。何回も言うけど刑罰って何をとっても刑務所や罰金含め国家による人権侵害を強制的に正当化するものだから相当厳しい制限を受けないと本当に最悪の場合、
「何もやっていないのに死刑」
というもっともあってはならない事態が起きる可能性がある。洒落にならない。戦後に五回はあるし無期懲役によって獄死した者もいる。何もやっていないのに、だ。
s そもそも被告ってなんで最初から無罪という扱いなのでしょう?
k 国対個人と言ったら分かるかな。警察及び検察という組織は国家で対する被告は個人。被告を相当有利にしてやっと釣り合うってものだ。日本は検察の控訴で逆転有罪とかあるけどアメリカとかヨーロッパの国によっては無罪判決が出た時点で無罪は確定するからね。
s 有罪なのに刑が軽いってのだけは許せません。そうなると被害者って置き去りにされていますね。
k 本当にそれは事実として重くのしかかる。でもそれについて文句を言うべきは裁判所ではなくて国会や行政に対してとなる。裁判所はあくまで国会が決めた法律に則って判断を下すだけだから。警察や検察に至っては行政そのものだから選挙や署名活動、請願書などを使って「法律」を変えないとどうにもならない。
でも危険運転致死傷罪、殺人等の時効撤廃は被害者の力によって成立し、動いた。被害者だけでない。国を変えないといけないと考えた多くの国民が動いた事によってその動きは加速した。
被害者だけではどうにもならなかったものがあるんだ。本当に被害者を救うためと思うのであれば第三者ならばネットで事件を叩くのではなく国に対してどうしてほしいか。選挙のときに被害者のことを考えてくれそうな人を見極め用途努力する。それが動かすはずだし、そうでなければ動くことはない。それが真の被害者救済に動くはずである。
s なんか、今思うと叩いている方向が違ったような気がしますね。
k もちろん刑罰は人権を奪う究極的なものでその点は深く考える必要がある。でも、考え続けないと変わるどころか時間が進むごとに後退していく。被告の人権、被害者の救済。その両立を限界まで見極める時期はもうすぐそこにあると思う。
刑罰は存在しないと秩序が崩れ人間の協力体制は築けない。でも、無罪の人を生贄にするということは何もやっていない人を傷つけて僕らは生きることになる。
「無罪」の人間が刑を背負う。それは被告の人権を奪うだけではない。
真実を隠し、被害者に偽りの救済を与える悪逆極まりない行為となる。
被告を助けるというのが被害者の無視と足早に決めつけるのは、おかしい。
被害者が冤罪人でもいいから代わりに償えなんて絶対に言わない。
国会、政府。真摯に対応させる力を、選挙によって僕らは与えなければならないときが来ていることを本気で自覚するべきなのだろう。
他人事と無視をしていたら、痛い目にあっても誰も助けてくれない。何故ならば、あなたがそれを無視したのだから。
被害者と加害者、被告人。この関係は永遠のテーマなのでしょう……




