二十三言目 戦前シリーズ「治安維持法」
出典及び参考:Wikipedia(加藤高明)及びウィキソース(治安維持法)。
s 今回の解説ってまた刑事法から外れますが今回のkさんが解説したいと言った「治安維持法」は一体どんな関係性があるのでしょうか。
k 現代まで語られる思想良心の自由の制限を行った「悪法」とされている。この法律は戦前の加藤高明内閣が成立させた。大日本帝国憲法の隙であった「法律の範囲内」の自由をこの法律によって制限したんだ。
s そもそも何でこの法律は成立したのですか。
k 当時は大正デモクラシーの時代で男子普通選挙が民衆から求められていた。その中で実行しなければ国民の支持を得ることはできないのもあり普通選挙は実施させたかったんだ。ただ、この時代はロシア革命による史上初の社会主義国家が誕生した時代であり共産党の運動がとても強かったんだ。
s それを治安維持法によって打倒政府を掲げる政党を排除して国家転覆を防ごうとしたのですか。
k その通り。当時は衆議院と貴族院の力が等しかったのもあって貴族院の賛成がないと普通選挙法は実施するのが厳しかったため治安維持法をセットに通そうとしたのもある。だから仕方がないという声もあるがそれにしても解釈があまりに広くなる可能性があったわけで大日本帝国憲法の定めた人権が実質制限されていくこととなってしまったんだ。
それじゃあ、初期の「治安維持法」を解説していこう(昭和三年の田中義一内閣による改正後のはまた後程)。
*ーーーーーーーーーー*
大正十四年成立、治安維持法
「第一條 國体ヲ變革シ又ハ私有財產制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス
前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス
第二條 前條第一項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ實行ニ關シ協議ヲ爲シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス
第三條 第一條第一項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ實行ヲ煽動シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス
第四條 第一條第一項ノ目的ヲ以テ騒擾、暴行其ノ他生命、身體又ハ財產ニ害ヲ加フヘキ犯罪ヲ煽動シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス
第五條 第一條第一項及前三條ノ罪ヲ犯サシムルコトヲ目的トシテ金品其ノ他ノ財產上ノ利益ヲ供與シ又ハ其ノ申込若ハ約束ヲ爲シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス情ヲ知リテ供與ヲ受ケ又ハ其ノ要求若ハ約束ヲ爲シタル者亦同シ
第六條 前五條ノ罪ヲ犯シタル者自首シタルトキハ其ノ刑ヲ減輕又ハ免除ス
第七條 本法ハ何人ヲ問ハス本法施行區域外ニ於テ罪ヲ犯シタル者ニ亦之ヲ適用ス
(付則は略しました)」
続けてi/o現代語訳します。
「第一条 国体を変革し、または私有財産制度を否認することを目的として結社を組織し又は情を知りてこれに加入したる者は十年以下の懲役又は禁錮に処す。
前項の未遂罪はこれを罰す。
第二条 前条第一項の目的を以てその目的たる事項の敢行に関し協議をなしたる者は七年以下の懲役又は禁錮に処す。
第三条 第一条第一項の目的を以てその目的たる事項の敢行を煽動したる者は七年以下の懲役又は禁錮に処す。
第四条 第一條第一項の目的を以て騒動、暴行その他生命、身体又は財産に害を加える犯罪を煽動した者は十年以下の懲役又は禁錮に処す。
第五条 第一条第一項及び前三条の罪を犯すことを目的として金品その他の財産上の利益を供給し又はその申し込み、若くは約束をなした者は五年以下の懲役又は禁錮に処す。情を知ったうえで供給を受け又はその要求もしくは約束をなしたるものは同じ刑に処す
第六条 前五条の罪を犯した者が自首したときはその刑を減刑又は免除する。
第七条 本法は何人を問わず本法施行区域外において罪を犯したる者にまたこれを適用する。」
*ーーーーーーーーーー*
k 結構長くなったけど本当に簡単に言えば共産化などの政府転覆を目的とした結社を罰する規定。それに加え、その結社を共謀したり扇動しても罰せられた。またその結社の事情を知ったうえで参加しても罰せられた。ここに一つも罰金刑がないのがこの刑の重さを物語っている。
s 第一条の「私有財産の否定」って何ですか?
k そもそも共産主義は財産を独り占めせず「全体」で分かち合って格差をなくそうという思想なんだけどそのうえで私有財産は富の独占だから共産主義的には否定されるものだったんだ。社会主義はその「全体」という文字を「国」に置き換えて共産主義の実現を図ろうとするもの(だから社会主義は共産主義の前段階と言う感じだから同じとは言えない)。私有財産の否定を明記しているから共産主義者を排除しようとする姿勢が結構明確だよね。
s 第六条の自首した場合の刑の減軽又は免除ってどういうことでしょうか。
k これ、今の刑法にもあるんだけど内乱とか私戦予備陰謀とかって未然に防ぎたいわけじゃん。そういう時に未遂や予備の時点で重くし過ぎるとどうせ罰せられるからと言うことで後戻りする気が失せて一気に決行してしまう可能性があるわけであって、それは治安維持の観点から意味がない。だから実行前に自首したならば刑は免除か減刑はするという規定がある。自首の定義自体は同じだけどその軽くなる程度は普通に比べて大きいというわけだ。まあ、現代において内乱とか私戦予備陰謀とかは相当なことでもなければ目にすることはないと思うしあってほしくないが。
この後第一条は昭和三年の田中義一内閣によって「第一条」が大幅に改正された。その条文を見ていこう。
*ーーーーーーーーーー*
昭和三年改正、治安維持法中改正の件(勅令)
「第一條 國體ヲ變革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ從事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ五年以上ノ懲役若ハ禁錮ニ處シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ爲ニスル行爲ヲ爲シタル者ハ二年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス
私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者、結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ爲ニスル行爲ヲ爲シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス
(略)」
現代語訳していきます
「第一条 国体を変革することを目的として結社を組織した者、又は結社の役員その他指導者たる任務に従事した者は死刑又は無期もしくは五年以上の懲役もしくは禁錮に処す。情を知って結社に加入した者又は結社の目的遂行のためにする行為をなしたる者は二年以上の有期の懲役又は禁錮に処す。
私有財産制度を否認することを目的として結社を組織したる者、結社に加入したる者又は結社の目的遂行の為にする行為をなしたる者は十年以下の懲役又は禁錮に処す。」
*ーーーーーーーーーー*
s 昭和三年って確か張作霖爆殺事件の起きた年ではなかったですかね。
k まあ、国全体が戦争に突き動かされていった年だよね。満州事変のちょっと前くらいだけど。
話を戻して第一条は改正前は「国体変革又は私有財産の否定をする結社を組織するかそれを知って加入したこと」に対して十年以下の有期刑だった。
これが昭和三年の改正で「国体変革が目的の結社をした者、役員に従事した者、その他指導者たる任務に参加した者」に対して「死刑、無期または五年以上の有期刑」で加入したら「二年以上の有期刑」と一気に重くなった。
s 何かしれっと「私有財産制の否定」に対しては別枠となって十年以下の有期刑になっていますね。
k 単なる憶測だけど、当時の雰囲気的に軍部がやることを否定するのと共産化を目指すことは区別していたのかも。詳しくは調べてほしいけど、治安維持法はこの昭和三年の改正によって一気に重くなって国に否定的な態度を取ればこれで逮捕できるようになってしまった。昭和三年の時からその範囲はじわじわと広がっていき昭和十六年の改正でも「死刑」の欄は消えなかった。それどころか、悪化したか。
s 確かに現代から見れば「悪化」ですか。
k 昭和十六年でさらに締め付けが厳しくなって(例えば宣伝やその準備段階の取締、天皇批判結社の取締)軍国主義の政府に対する反対は犯罪者として扱われるようになった。大日本帝国憲法で決められた自由はもはやこの段階で机上の空論と成り果ててしまっていた。
s そう言えば死刑で思ったのですが日本で治安維持法違反で死刑になった人はいるのですか。特高による虐待死や拷問死が多く起きたことを教科書で習った気がします。
k 実は誰もいない。意外でしょ。よく高校の教科書では拷問によって亡くなった人の事やその人数について語られているけど意外と死刑執行は一つもなかったんだ。
まあ、特別高等警察による拷問や虐待の方が極めて質が悪いことは言うまでもないか。法律に基づく死刑と、ただ自白を吐かせるためだけに拷問や虐待を行い無実かもしれない可能性がとても高いのに殺したのは比べるまでもなく後者のほうが法の支配の観点から見てもあってはならなかったことだ。
s 拷問死は確かに死刑とは違って無実の可能性が高いと言うか、確定判決を経て有罪が確定する近代刑法にて絶対許されるものではありませんよね。
k 蟹工船で有名な小林多喜二も虐待死だ。現在ですら取り締まられた者の死因が判明していない場合があるからどれほど閉鎖的な環境で取り調べが行われていたか。想像を絶するものだったはずだ。
s 昭和十六年の改正は説明してくれませんかね。
k マジできつい。と言うか分かりづらい。主に読者が。七条の行分が一気に六十五条まで広がったからね。次の回で原文と現代語訳だけやるよ。
s GHQの命令でこの法律が廃止された後は何がこの法律の代わりをなしたのでしょうか。言論の自由は確保したいとはいえテロは抑止したかったと思うのですが。
k それが「爆発物取締罰則」だ。治安維持法によってほぼ機能していなかったこの法律は戦後、真価を発揮することとなった。いつか絶対解説するつもりだけど。結構機能していたんだよ。
s そうとはいえ、政府の命令に逆らったら死罪というのはやはり明らかな人権侵害でしょうね。
k 大日本帝国憲法では法律の範囲内とはいえある程度の自由は認めていたはずだった。その精神をないがしろにした軍権政府の責任は、重い。
日本国憲法が定めている自由はこの教訓がある。もちろん言論を封じようとしたのは日本だけではない。共産化を防ぎたかった西欧諸国は日本と同じく言論を封じようとした。
共産化は都合が悪かったのは分かる。労働運動の激しさによる暴動を防ぐためというのも理解できる。しかし、本当に考えるべきは労働運動の鎮圧ではなくその「原因」の排除ではなかったのだろうか。
日本政府には制御できないほどの不況だったのかもしれない。でも、押さえつけるだけでそれが解決すると思っていたのだろうか。もしそうであれば、愚策であったと言わざるを得ない。
治安維持法、現在にまで伝わる戦前の悪法。この復活は日本国憲法の無力化が来たときに再来する。
治安維持法の内容もそうだが、その経緯についても考えたい。
これまで原文と現代語訳を載せているのは、重大な解釈があったときに指摘してほしいためです。自分でも頑張って確認はしますがもし間違いや解釈が異なると感じた際は、解釈違いのときは「感想」で。単に文字違いであれば誤字報告でよろしくお願いします。




