心の準備
「では明日」
どっと疲れてその場に座り込んだ。何んでこんなことになってしまったのか。グネルの話を信じるならばカリンの蜜を食べたから私は天界に召喚される事になったと言う事だろうか。でも、蜜を食べたのはわたしだけでは無いはずだ。何がいけなかったのか。ぐるぐると同じ質問が頭を回る。明日には地球から、この地上から出ていく事になるのに突然すぎて実感が湧かない。どれだけ考えても堂々巡りで答えがない。考えるのに疲れてまたしても睡魔に抗えず眠ってしまった。
大勢の声と人の気配に目が覚めた。あれ、ここ何処だっけ。あ、そうだった…もう店の開店時間か。店が開けば試食用の蓋が開くから何か食べられるだろう。ゆっくり起き上がって様子を伺う。開店前の店はこんなにバタバタしているのかぼーっと声のする方を見ていると、沢山の人が私が消えたあたりに集まっていた。
「よく分からないんです、ここで、ここで…三人で話しながら試食をしていたんです。そしたら咲のカバンが落ちる音がして…振り返ったら居なかったんです。どこにも。まるで魔法で消えてしまったみたいに突然、消えてしまったんです。咲は何処に行ったんでしょうか。」
柑が、涙声で説明している。そうか、柑も凛も私と同じ様に訳の分からない状況に不安な時間を過ごしていたのか。何だか申し訳ない気持ちになる。私も戻れるなら戻りたい。
「目を見ながら話をしていたら居なくなる前に止められたかもしれないのに…私、食べ物ばかり見ていたんです。だから咲がどこに行ったのか全然分からなくて。咲は自分の意思で消えたのでは無いと思うんです、だってこれ美味しいねって話してて次の瞬間立ち去るなんてあり得ないですよね。どこに居るんですか、咲。」
ここだよ!!!と叫んでも彼女達には聞こえない。ねえ、私は二人が見えているよ、ねえ、ここだよ、まだここに居るよ。見つけてよ!!!消えてなんて居ないんだよ。お願い…。私の悲痛な叫びは全く届かない。すると遠くから知っている別の声がする。
「中に入れてください、私の娘が消えたんです!!!お願いします。せめて最後にいた場所だけでも見せて下さい!もしかしたら私には何か分かるかもしれないじゃないですか!!!」
母だ。ごめん、旅行のことも知らせてなくてびっくりしたよね。久々の連絡が娘の行方不明なんて、親不孝者だ、私。見えなくてもいい、誰か私の声をみんなに届けてよ!!!皆んなには見えないかもだけど、もう会えないかもだけど、私今元気だよって、みんな大好きだよって、ありがとうって伝えてよ!あーもっと日常的に感謝を伝えておくべきだった。こんな風に別れる事になることになるなんて微塵も想像してなかった。なんてバカなんだ、いつでも会えると言うことがどんなに素晴らしいことか贅沢なことか、こんな状況になって初めて気がつくなんて。
後悔している間も母と警察との攻防が聞こえる。
「お母さん、気持ちは分かりますが関係者以外は入れないんです。」
「娘の母は関係者ではないんですか?おかしいでしょう?」
「落ち着いてください、検証が終わる来月には見て頂けますから。」
「あとひと月も待つんですか?その間に遠くに行ってしまうかもしれないのに。」
ごめん、お母さん。今日もう私は居なくなるんだよ、ここから。なんとかして入り口にいる母の顔が見えないか移動してみる。大きくない母は警官の大きな体に阻まれて顔が見えない。退いてよ、お巡りさん、見るくらい、最後に見るくらいさせてよ。なんで何一つ希望が叶わないの?神様っているなら、最後に少しくらいお願い聞いてよ。
「咲〜、咲〜、母さん来たよ、帰っておいで。大騒ぎになったけど一緒に謝ってあげるから、大丈夫だから。咲〜咲〜!!!」
残らなければ良かったかも知れない。天界に行くともう決めたんだから昨日さっさと行った方が良かったんだ。こんなの見たくなかった。私だって戻りたい、お騒がせしましたって笑って戻りたい。もう見たくない、聞きたくない!!精神的に辛すぎたのかそこで意識が途切れた。