何者か分からない私
「じゃあ、お腹空いたら、俺んちは隣だから家にあるもの食べてて良いから。まだ金もないしご飯食えないだろ。仕事見つかるまで養ってやるよ。出世払いでいいからよ。じゃあな、俺は行くから。」
アンセはニヤリと笑うと家を出て行った。
やることもないので家の中を探索してみた。
幸い水道、コンロなどは今まで使っていたのとそんなに変わらない。
お風呂には湯船がなくて、シャワーが付いていた。
それを見て思い出した。ここ二日お風呂にずっと入っていなかった。
アンセは私の近くに居たけど臭わなかったのだろうか。
シャワーを浴びようとすると冷たい水が出てきてひゃーっと飛び上がる。
お湯になれ!
さっき体の水を乾かした要領で、強く願う。
また冷たい水が出てきたらどうしようかとビクビクしていたが、温かいお湯が出てきた。
水の力ってすごい!
新しい力を使えてテンションが上がってきた。
「よし、頑張るか!」さっき着ていた服を再び羽織ると外に出ることにした。
…あれ、鍵ってどうなってんだ?外に出ようとして気付いた。
どこかにあるかもしれないと机やキッチンのカウンターを確認するが見当たらない。
そういえばアンセが自分の家のものを食べていいって言っていたけど、鍵がないから入れないではないか。
とはいえ、このまま家にいても何もないし、庭くらい見てみよう。
わ、眩しい。
外に出ると空がキラキラと輝いて目を細めた。
庭の端には可愛い色とりどりの花が咲いていて、昨夜の雨水で葉っぱや花が光っている。
「きれいだね、キラキラ光ってるよ。これからよろしくお願いします。」
誰もいない庭で挨拶をする。アンセの話の通りならどこにいるのか分からない大いなる力に挨拶はしておいた方がいいだろう。
ようこそ 天界に
どこからか返事がした。
そういえば今朝も博士の家で同じような声がした。透き通るような頭に語りかけてくる声。
「あなたは誰?どこにいるの?」
ここ
あなたの目の|前
さっきと同じ回答だ。
目の前にあるのは庭の花だけだ。
わたし達は
貴方 知ってる
え?私は知らないけど?誰?
わたし達
魂 育むもの
大いなる力ってことなのだろうか。
「姿を見せていただいても?」
目の前 いる
「もしかして…あなたが話しかけてくれてるの?」
今度は目の前の花に向かって話しかける。花が風で揺れる、そうだよ、と言っているように見えた。
クノー 呼んでる
案内する
クノー??誰?案内ってどうするの?
南へ
西へ
声の示す通りに進んだが、鬱蒼と木が茂っている林の前で道が途切れる。
キョロキョロしていると何人かのんびり散歩している人が通り過ぎる。
ここからどこに行けばいいのだろう。
こっち
突き当たりだと思っていた林に道が出来ていく。よく見ると足元の草が道を開けてくれている。
ここの植物って話せる上に動けるの?
水流の少ないちょろちょろと流れる湿地のような小川を爪先でピチャピチャと音を立てて渡り、木々の間を抜け進んでいくと前方から光が差し込んでくる。
眩しい…
目の前には幹の太い大木が立っていた。
橅木のように樹皮は灰色と青緑のまだら模様で、天に向かって枝が大きく広がっている。ハートの形をした濃い緑色の葉っぱがびっしりと茂っている。
木を見上げていると上からまた違う声が聞こえてきた。
よく来ましたね
あなたに知恵を授けようと呼びました
どうやら目の前の大木がクノーらしい。
ちょっとお母さんみたいな威厳のある話し方と優しい声色に少し安堵する。
「はじめまして。咲です。私はなぜ天界に呼ばれたのですか。私は樹なのですか。」
木は天界の使いなのだとしたら、私のことを知っているに違いない。
解決されない疑問を直球でぶつけてみる。
自分が樹であるかどうかを知ることは、ここで生きていくのに重要な気がする。
残念ですが
あなたが何者かは
分かりません
「え…私はどうしたら、良いのですか。」
まさかの答えに狼狽える。
私を呼んだ主も私のことを知らないというのか。
こちらへ
言われて木に近づくと大玉スイカくらいの大きさの濃い紫の実を付けた枝が目の前に差し出される。その枝が私の手のひらにその実を置く。ずっしりと重い実が突然落ちてきたので落とさないようにぎゅっと抱き抱える。
毎日これを食べなさい
知恵を得ることができるでしょう
他の者にも分け与えなさい
「他の者って、誰に分け与えたら良いのですか。」
突然の依頼に私は戸惑う。
私は樹でもないのに他人に与えることなんておこがましくないだろうか。
あなたには分かるはずです
私たちは道を示すだけ
全てはあなたの手の中にあります
「私の手の中って言われても…」
これ以上話すことはできません
自分で真理を見つけなさい
「自分で、ですか…」
自分はなぜここにいるのかも分からないのに天界の真理を見つけるなんて…
相談していたら、課題を与えられてしまった。
一縷の望みを断たれ、無性に私は温もりが欲しくなった。樹として敬われたり、厄介者扱いされたり、ここでの居場所がない。自分が何者かも分からず、心の拠り所がない。
この木は冷たく聞こえるけど、誠実に答えようとしてくれていると思った。
木の幹に両腕を回して顔を幹にそっと寄せる。大きなこの体に私は抱きしめてもらいたくなった。
木の温もりと湿った森の香りがする。地上で嗅いだ香りとどこか似ていてほっとする。
拒否されたらどうしようと思ったが、何も言わずにクノーは枝葉で私を包み込んでくれる。
安堵したのか、温かい涙が溢れてくる。
落ち着きましたか
「ありがとうございます。またおしゃべりに来てもいいですか。別に何か教えてくれなくてもいいんです…もし嫌なら会話しなくてもいいです…ここにただ話しに来てもいいですか。」
心に寄り添ってくれたクノーに縋りたい気分だった。
もちろんです
他の人にここのことを話さないように
そう声がするとまた草花が道を作ってくれる。その道に沿って進むとさっきの小川に戻ってくる。あと半分くらいで、遊歩道に戻れるはずだ。
そんなことを思っていると、木の葉の擦れるような、ざわざわした声が聞こえてくる。
エネール 咲に 贈り物
立ち止まると別の元気な子供のような声が聞こえてきた。
こんにちは!
ひゃっほー!
これまたキャラのだいぶ違う木が現れた。十本くらいの中木が、まるで肩を組んでいるかのように楽しそうにユッサユッサと踊って盛り上がっている。
「こ、こんにちは」
サッキー!
わたしたちからも プレゼントだよ!
まずは元気にならないとね!
すごく楽しそうだ。
えっと…サッキーって…私のことかな?
クノーが落ち着いた感じだったので、木はみんなあんな感じなのかと思っていた。
エネールと名乗った木からオレンジ色のコリンキーのような実がコロンコロンと数個転がってきた。
持ち帰りたいがすでにクノーの実で手がいっぱいで持つことができない。
あげる!
「…ありがとう。あとですぐに取りに来るよ。」
そう答えると新しく示された道に沿って帰る。
導かれるままに進むと誰にも会わずに家に辿り着いた。
まずはもらったクノーの実を半分に切ってみる。
甘くねっとりとした香りが部屋中に広がる。中は赤くて、小さなタネが二つ真ん中に入っている。実が大きいので八分の一にして、スイカを食べるように大きな口でガブリと食べる。甘酸っぱい味が口に広がる。知恵を与える実だというので食べたら頭が良くなるのかと思ったが特に実感はない。
もっと食べられると思ったのに二口目を食べたところでお腹いっぱいになってしまった。
あれ?朝ご飯をそんなに食べたかな。
お腹が満たされて一息つくと、エネールの実を受け取りに行く準備を始めた。
一通り家中を探してみたが、袋らしきものは見当たらない。
仕方ない。
出店見学も兼ねてとりあえずスクエアに行ってみるか。
再びドアを開けて思い出した。
あ、鍵。
さっきはうっかり鍵かけずに出てしまったけど、どうしよう。でも取られて困るものもないし…
行こう!
一人で風通路に乗っているとさっきと違い手持ち無沙汰になって外の景色を観察した。
乗車場近くは街になっていて、街の間は雑木林のようになっている。
終点の駅を降りてすぐの建物には食品や日用品があるとアンセが言っていた。
ついでにどんなご飯を食べているのか確認しよう。
左のお店に入ると入り口に野菜が並んでいた。
これは万国共通なのかな。
その中に「クノー」と書いてある札を見つける。さっきもらった実に似ているがブルーベリーかそれより少し小さい。
本当に同じ実なの!?
隣にあるのはもしかしてエネール?
こっちも蜜柑くらい小さい。
店に売っているサイズが主流だとすると、私がもらった実はどっちも規格外の大きさな気がする。
もらった実は普通じゃない…?
隠しておいた方がいいかもしれないと直感的に思う。
タンパク質はどんなものがあるのかな。
探しても店には野菜しか見当たらない。
みんな一体何を食べてるの???
何周も店をぐるぐるするが、答えが見つからなかった。
そうだ、そういえば袋を探しに来たのだった。
買い物袋にたくさんの荷物を入れている人を見て思い出した。
隣の建物に行ってみると日用品が並んでいた。そこには麻で編んだようなシンプルな袋が売っていた。お金もない身で袋ならなんでもいいと思っていたけど、買うならもう少し可愛いのが欲しい。
地上はスーパーで無料の袋をもらえたのに…
エネールの実は何回かに分けて運ぶしかない。
折角なので、外の出店を見てまわることにした。
出店には衣服、お弁当、アクセサリーなどがあって、手作りフリーマーケットのような感じだ。
食べ物系が混んでいるので、そろそろお昼なのではないかと思う。
今何時だろうと思って見渡すと広場の真ん中の時計台に黄色の花が咲いている。これくらいがお昼なのか。
比較的空いている装飾品の店を見ていると、とても可愛い斜め掛けのバッグを見つけた。
あるじゃない!
たくさんは入らないけど日常使いに良さそう。
手に取って色々見ていると後ろから、「お嬢さん、カッコいいお兄さんが買ってあげようか。」と声をかけられた。
びっくりして振り向くとアンセが立っていた。
自分が何のために来たのか、樹なのか、答えを得られないまま宙ぶらりんの咲。
答えを得られる日はくるのでしょうか。




