Chapter31: 悪魔的な時間つぶし
「私、そろそろ帰るから」
ベッドで笑い転げていた敷島さんがおもむろに床に足をついた。
気を緩ませて座っていた僕は我に返り、立ち上がった彼女を振り仰ぐ。
「帰る……って?」
「充電終わったっぽい」
と、敷島さんは単調に告げて歩き進む。
壁際の床で充電されていたスマートフォンが、LEDランプを赤から緑に切り替えさせていた。
彼女はケーブルを引き抜くと座卓に移動し、天板に散らばっていた中身とともにショルダーバッグの中へ入れ戻していく。
あっけにとられていて見届けていた僕は、おずおずと口を開く。
「……終わらせちゃっていいんですか?」
「100%になったし」
「充電じゃなくて、話し合いのことですよ」
「話し合い? 何の? やったやらないの話だったらもう終わって大丈夫だよ。栃内くんがイクところまでイッてないのはわかってるから」
「……え?」
「ぶっちゃけて言うとね。私さ、さわられてるくらいなら気づかないんだけど、そういう段階までされてたら、なんとなくわかっちゃうんだよ。ビビビッと勘みたいなのが働くんだろうね。でも今朝はそれがなかったんだ」
話されている内容が突飛で混乱する。
そういう段階とは、肉体同士が交わる段階のことだろうか。寝ている意識のないうちにされていたとしても、それがわかると言っているのだろうか。ふつう、わかるものなのだろうか。……そももそも、性交渉があったかどうかわからないから、ややっこしいことになっていたんじゃなかったっけ?
「僕が今朝起きたとき、『状況を説明してよ』って、敷島さんが怒ってイラついた感じで言ってたのは?」
「私はお風呂に入っていた記憶が最後なんだから、その後の話を聞こうとするくらいいいでしょ。ダサいヤンキーみたいな服着せられてるわ、スマホの充電はされてないわで、ちょいキレモード入ってたし。でも、栃内くんの記憶が失くなってたからさ、仕返しのおふざけついでに、服の乾燥とスマホの充電完了までの暇つぶしをしよっかな、って」
僕は目をまるくする。
「……暇つぶし?」
敷島さんが悪びれもせずつづける。
「やられてないのはビビビッとわかったし、きみにそんな度胸ないでしょ」……褒められているのか、貶されているのだろうか。「まあ、さわられたりするくらいならお風呂に入ってたんだから仕方ないかと思って。あとスマホ壊しちゃってた件もある。だから本来はさ、栃内くんが起きるまえに、ちょろんとおいとまするつもりだったんだ」
「……もし服が乾いていて、スマホが充電されていたらですよ? 僕は自然に目を覚ましていて、敷島さんは帰ったあとのはずだった、ってことですか?」
「だね」
その二文字の肯定で片付けてはならないだろう。
なんだこのとてつもない徒労感は。
無駄骨を折りまくって複雑骨折した感じは。
迷宮に放り込まれてあくせくと出口を探したら、脱出口はスタート地点にあった的な虚脱オチは。
バッグ紐を肩にかけて「じゃ、そゆことで」と立ち上がろうとする彼女を、僕は飛んで駆けつけ「ちょちょちょい」と座らせた。
「二回ですよ!」と声を荒げる。「記憶無いときと戻ったときとで、僕は二回も、あらぬ嫌疑をかけられたんですよ! まるっと無駄じゃないですか!?」しかも一度目には、エキサイトしすぎて『僕は童貞だ』と形無しの宣言をするようなマネまでしていた。悲しくて悲しくてとてもやりきれない。
「頭の回転が足りないよ栃内く~ん。私が居残っていたおかげで結果オーライになったでしょう? 考えてもみなって、今朝起きたきみは記憶喪失状態になっていたんだよ。私と出遭ったあとの記憶がなかった。そうすると、全身筋肉痛の原因も、玄関先が水浸しな意味も、タオルが大量に洗濯機に放り込まれている怪奇現象も、そしてスマホが壊れちゃっている理由も、なにもかもが謎のままになってたことじゃなぁい?」
「それもそ――」と、僕は丸め込まれそうになった脳みそを横にブンブンふった。「いや、そっちのほうが良くないですか。強姦犯扱いされるスリラーを体験するくらいなら、わけわからずのミステリーのほうが文句なしにマシですよ!」
敷島さんが真意を探るような眼差しで見上げてくる。
「ほんとにそう? 私が帰っちゃってたらさ、記憶のピースはずっと欠落したままになってたんだよ。だって復活の鍵みたいな役割を果たしたのって」と、彼女はクククッと笑いを噛みしめる。「私のおっぱ……アハハッ、やっぱり馬鹿馬鹿しくてこらえきれない」
いいさ、笑いたければ笑うがいい。
おのれのヒットポイントをガリガリ削って笑死しろ。
「……きっと時間さえ経てば自然と蘇ってましたから。それに、もとを正せば、駅のエレベーターで敷島さんと遭遇したばっかりに、こんなハチャメチャなことになったんですからね。いい迷惑ですよ」
敷島さんがすくっと立ち上がった。
笑い顔から一転した真面目な顔つきに、僕は少々たじろいで口をつぐむ。
「ありがとう」
と、彼女は微笑んだ。
「……はい?」
「きみのおかげで助かったんだよ。だから、ありがとうございました」
「……ま、まあ、お礼を言われるのは当然ですよ、ええ」
「なにキョドってるの? 急に改まられて照れちゃった?」
「べ、べつにそんなんじゃないです……」
「それじゃバイバイ」
と、軽いノリで肩をたたき、敷島さんが部屋の引き戸へと歩き出す。
僕はショルダーバッグの紐をつかまえた。
「スマホの弁償をうやむやにしようとしてもダメですからね」
「チッ」




