Chapter28: 罰と仕返しと罠
「朝から何も食べてないし、お腹空いたんじゃない? とりあえず何か作って」
あげる――とはつづかず言葉はそこで打ち切られた。一宿の恩義に報いるのかと思いきや、一飯がまだだ、というような厚かましさ。
とはいえ、たしかに空腹だった。
時計の針は、いつの間にか午前10時半を回ろうとしている。日曜日だったのが救いだ。平日なら大学の一コマ目をすっぽかしていたところである。
○
僕は台所で遅い朝食を作った。
ふだんと同じくピザ風トースト。食パンにケチャップを塗って輪切りピーマンやチーズなど載せたもの。「私、朝はご飯派なんだけど」という意見はガン無視。作ってもらえるだけ有り難いと思え、と殺伐とした怒りを込めてオーブントースターに二枚の食パンを突っ込み、タイマーを回した。
「それで、他の理由ってなんなんですか?」
敷島さんが廊下に出てくる。「ちょっと邪魔」と、手振りで僕をどけさせて、トースターの載った冷蔵庫正面にあるトイレの扉を開けて中に入った。
「昨夜さ、ここに間に合わなかったよね。誰かさんがもうちょっとだけ頑張ってくれてたらなぁ」と、ジーンズのチャックが下げられる音とともに、トゲのあるお言葉。
「……僕のせいだって言いたいんですか? 可能なかぎり頑張りましたよ。全身筋肉痛の限界突破ですよ。頑張ればよかった誰かさんは、あきらかに敷島さんですよね!」
というよりも、駅から公園まできたときに、チカン騒動なんか引き起こさずにトイレを済ませておけば頑張る必要もなにもなかったのだ。
「いいえ、栃内くんが悪い。いかなる状況下であっても、二十歳の女子をおもらしさせるとかありえないからね。だから罰なんだよ、罰。きみの記憶が失くなったのはそういうことだよ。神様が私に仕返しさせる機会を与えてくれたんだって」
「……すみません、よく聞こえなかったんですけど、今なんて言いました?」
「仕・返・し」
なんて不条理だ!
僕の記憶が失われたのは、自衛的な健忘症のようなものだったのだろう。
極度の精神的肉体的ストレスが重なりに重なり、その記憶を保持することを頭が断固拒否していたのだ。
しかし今、悪魔の横暴としか思えなくなった。
チンッ!、と鳴ったトースターから、僕はトーストを一枚だけ取り出す。熱々にとろけたチーズが敷島さんの顔面にめり込むさまを想像しながら、パイ投げ開始の号令を待ち焦がれたドッキリの仕掛け人のように、トイレ前に立ちふさがる。トイレットペーパーがカラカラとまわり、少しして水の流れる音のあと、トイレの扉が開いた。
「そこでずっと聞き耳立ててたの?」
「ち、違っ……トーストできたんで部屋に運ぼうと!」
僕は砲丸投げ体勢でキッチン台に移動し、トーストを皿に載せた。
◯
「コーラを出してくるって、どういう神経?」
「飲み物はこれしか買い置きがないんですよ」
ホットコーヒーを出そうとしたら、「冷たいのにして」とイチャモンを付けたのが悪い。
駅のホームで酔い覚ましに買っていたコーラが、500mlのペットボトルではなく、隣にあった250mlの缶だったら、一気飲みにした敷島さんの防潮堤も〝決壊〟まではいかずに持ちこたえてくれていたのではないかと無念でならない。
招かざる宿泊客と座卓に相対し、トーストをかじり始める。
深夜から延長してしまっている目まぐるしい展開にひと息つきたくなって、僕は部屋の角に置かれたテレビに手を伸ばしてスイッチを入れた。しかし、リモコンをつかんだ彼女に「言いたいことはまだあるの」とすぐに画面がパシュンされる。自宅のテレビを見る権利すらないらしい。
敷島さんが、垂れさがったチーズを舌で絡め取ってからトーストで壁際の床を示す。
彼女のスマートフォンがケーブルに繋がれて充電中だ。
「シャワー浴びてたときに充電しといてって言ったよね。されてなかったんだけど」
寝落ち寸前に何か忘れていると思ったのは、このことだろう。
昨夜、敷島さんから充電を頼まれた際、彼女のスマートフォンが入っているショルダーバッグを紛失していることに気づき、公園まで取りに戻っていた。そして、帰ってきてみたら、彼女が浴槽で寝てしまっていてそれどころではなくなってしまったのだ。
僕には些末な問題かと思われるが、敷島さんにとっては気に食わないらしく、ムッと頬を膨らませている。今朝、僕が充電をせがんでも「私が先」と頑なだったのは、充電し忘れていた僕に対する嫌がらせもあってなのかもしれない。
……狭い……心が狭すぎる……。
充電忘れの経緯を説明しようとするまえに、敷島さんの手が床にあった赤いプーマジャージを拾い上げ、唾棄しそうな目つきで揺らした。
「着替えの服もテキトーでいいって言ったよ。言ったけどさ、テキトーがすぎるんだよね。どんな基準で選んだ? プージャー穿かせたらヤンキーっぽくなっておもしろいんじゃね?、って、ふざけた感じでしょ」
「まず言っときますけど、パンツは未使用ですからね。あとは使用頻度がなかったやつを選んだだけですよ。ジャージは高校のとき何度か穿いただけで、Tシャツも――」
「それそれ。あのTシャツには悪意がこもってるよね。ぷくぷく太ったキャラTにしたのは、私の胸が小さめってことに対する皮肉じみた嫌がらせだ」
「使用頻度! それにそんなに小さかったわけでも」
「『小さかったわけでも』?」と彼女は復唱して、わざとらしく頷く。「あぁ~、そうだそうだ。ついさっき直にさわって確かめたんだもんね。っていうか、押しつぶして?」
僕は咀嚼していたパンの塊をコーラで猛然と流し込む。
「事故ですよ、事故。蒸し返すような言い方しなくたっていいじゃないですか。制裁も受けてますし!」と、頬の紅葉を指差す。
「それは今朝の分だよね。昨日の分がまだ残ってるんじゃない?」
「昨日の分って……」
僕の背中を悪寒が走る。
敷島さんがニヤッと口角を上げた。トーストを食べ終えた指をぺろっと舐めると、白い長袖Tシャツの胸に片手を持っていき、ギュッと鷲掴みにする。
「やってたじゃん。昨日も」
「あれも覚えてるんですか? 目を開けたとき寝惚けてただけじゃ――」
「ちょいまち」
と、彼女の表情が真顔に戻った。
「『あれも』って、何のこと?」
悪寒、ふたたび。
僕は震える唇で、敷島さんが昨夜口にしていた台詞を唱えてみる。
「〝ファミチキ、千個くださ~い〟」
「……はい?」と、彼女が意味不明とばかりに顔をしかめる。
「〝間違えました~。ビッグバーガーを千個〟」
「サンドウィッチマンのコントネタってそんな感じだったっけ?」
……やられた。
まんまと鎌にかけられた。




