Chapter21: それでも僕はヤってない!
レースカーテンから射し込んでいる陽光。
作動しているサーキュレーター。
ハンガーラックでゆれる女性ものの衣服。
僕は窓際に向けていた顔を正面へ戻す。
座卓の上には、デモを敢行しているがごとく居座りをつづけている敷島さん。
あぐらを組んだ下半身は、赤いプーマジャージ。その内側にはボクサートランクスを穿いているのも視認済み。そして上半身は、マシュマロマンがプリントされた黒い半袖Tシャツ。いずれも、僕の部屋にあった僕が所有するもの着用している姿だ。
内太腿をポンポン叩き、彼女が薄笑いでくりかえす。
「脱がしてるじゃない」
猫背気味になっている背筋が伸ばされ、これ見よがしに胸が張られた。
ふとぶとしいマシュマロマンの表情が横へとさらに引き伸び、ぶちゃかわ化。その白塗り顔の両脇にある黒地には、ぽっちりした出っ張りが内側から浮き彫りになっていく。
僕は矢も盾もたまらずに目を伏せる。
「き、きっと……服が洗濯してあるくらいだから、かなり濡れたんですよ。で、風邪をひいちゃうといけないからって着替えてもらったんです。も、もちろん、僕は替えの服を用意しただけで、敷島さんが自分で着替えたんです!」
「へぇー、そう。私が自分で体をふいて自分で着替えたんだぁ、意識が無いなかで」
「おっしゃるとおり!」と、僕はやけくそで断言。
「ここまではひとまず認めとこうよ」と、敷島さんがニッコリ笑う。「栃内くんが、脱がして、ふいて、着替えさせてたんだよね?」
「いいえ、違います」
ぎこちなく笑い返した直後、僕の顔脇を風が切る。
背中裏で激震した本棚から漫画本が数冊落下し、肩や頭を経由して座卓に転がった。
敷島さんは着弾させていた赤ジャージの脚を浮かせると、悪徳警官の尋問を受けているように震える僕の顔正面に、次弾を装填しなおす。はだしの足裏には棚板の線跡がくっきり。
そして彼女は、すずしげに問い返してくる。
「きみだよね?」
「……だと、思います」
僕は意志を鈍らせた。足が顔面にめり込むのを恐れたこともあるが、敷島さんの主張を頭ごなしには否定できない。むしろ自立歩行でさえ困難だったのなら、手取り足取り着替えさせていたのはやはり僕だったのではないかと思われる。
だとすれば、昨夜の僕は大馬鹿野郎だ。逆の立場になってみろ。全裸を見られたあげく着せ替え人形になるくらいだったら、濡れたまま風邪をひいてしまったほうが数百倍マシだろうに。
足を卓上に戻した敷島さんが質問を重ねてくる。
「栃内くんは自分がどこまでやっちゃったと思う? 着替えさせたんだから裸は見ちゃってるわけだ。それで、こんなふうに隅々までふき清めちゃったわけだ」と、彼女は胴体上部から片手を滑らせる。手のひらがS字を描き、マシュマロマンを通過しながら下腹部へ潜っていく。「指先がついうっかりってことは?」
「た、たとえ僕が着替えさせていたとしてもですよ、タオルで体を隠すでしょうし、ふれちゃいけないところはふれませんって!」
「ステイッ!」
と、突然、敷島さんが鋭く言い放ち、僕の鼻先をビシッと指差す。
脳内で『ステイ=STAY=待て』か、と変換しているうちに、彼女の姿は卓上から離れ、スマートフォンの充電が行われている床へと移っていた。
僕は囚われのゾンビ状態から抜け出すため、筋肉痛の腕を酷使して座卓を押し出すが、そこで彼女が戻ってきてしまう。
座卓が押し戻され、僕はふたたび本棚との板挟みになり、敷島さんがドシンと卓上へ座り込んでしまって、脱出失敗に終わった。
「ダメじゃない。『待て』もできないようじゃ、犬以下だよ栃内くん。それとも、逃げようとするってことは、自分の非を認めたってこ~と?」
「違いますよ! 身動きを取れないようにしておかなくてもいいじゃないですか!」
「そうする必要はあるの」
と、敷島さんは床から持ち帰っていたショルダーバッグを開け、僕の目の前でひっくり返した。
財布、手帳、香水瓶、リップ、イヤホン……などが広げられ、彼女はその中にあったポーチを手に取り、さらにその中から何かが取り出される。
卓上に置かれたのは、銀色をした三枚の小さな四角形、男性用の避妊具だった。
「私はふだん三コ持ち歩いているんだけど、ここにちゃんと揃ってあるでしょ? 未開封で、中身も入ってて、使用した形跡はない。これと同じようなものを栃内くんも、持ってるはずだよね。どこにしまってあるのかな?」
「も、もってないですよ!」
生まれてこの方、所有したこともない。実物を見るのだって高校の保健の授業以来だ。
「そうみたいだね。ゴミ箱にもなかったし。ってことはだよ、――生でしちゃったんだ?」
僕は顔面蒼白になった。
完璧に黒だと決めつけられている。
最後の最後に行き着く最低最悪のところまで、やらかしてしまったと信じているようだ。
「居もしない神にかけて誓います! そんな犯罪行為はぜったいに犯してません!」
「この匂い嗅いでみてくれない?」
敷島さんが自らの腕を僕の鼻へと差し出してきた。
産毛の生えた細腕から漂ってくるのは、僕が使っているボディーソープと同じ香り。「くしゃくしゃになっちゃってる頭の匂いも嗅いでみたい?」と金色の毛並みを指先でもてあそんでも見せてくる。髪の毛から漂うのも、おそらくは僕が使っているシャンプーと同じではないだろうか。
「つまり話をまとめるとこう」と、彼女が手を打つ。「栃内くんは私の体をふいているときに欲情してしまった。ベッドに連れて行ってすることをしたあと、私をお風呂に移して証拠をすべて洗い流した。で、何事もなかったかのように服を着替えさせていた。――筋が通ってるでしょ? それでも、やってませんって言える?」
「言いますよ! やってません!」
「説得するに足る根拠は?」
「敷島さんは僕の好みじゃない!」
ついムキなって思慮を欠き、言うべきではない感情論が口から飛び出てしまう。
「面と向かって『好みじゃない』は傷つくなぁ、『好みじゃない』男に言われても」
……お互い様じゃないか、相思相殺で結構。
「てかさ、私のことほんとに好みじゃないの?」と、掘り下げてくる。
「そうですけど」
「学校じゃ時々こっちを見てくるじゃない」
「……見てないですって」
「嘘だ。人の視線には敏感なんだよね、私って」
たしかに嘘だった。敷島さんには意識的に目を向けることがある。しかしそれは好意を寄せているからというものではない。むしろ逆だ。ギャーギャーうるさい輩がいるなと迷惑し、またあいつかと思って振り返ればアタリという具合。そして視界を横切られれば、入学時に名前を誂われたときの悪感情が甦ってきて姿を追ってしまう。そんな感じ。
でも、こちらの視線に気づかれていたのは不覚だった。やはり不愉快な気持ちというのは伝わりやすいものなのだろうか……。
「えぇ~、オリエンテーションのことまだ根に持ってたんだ、ごめんね〝トチらない〟くん」
「そういうとこです! そういうデリカシーの無さが嫌だって言ってるんですよ!」
「なるほどぉ。それで、いい機会だから辱めてやろう、と事に及んじゃったんだ」
「…………」
すっと血の気がひく。
これはトチったぞ、と思った。
ほくそ笑んだ敷島さんが顔を近づけてくる。
「実はさ、きみが洗い流せなかった確たる証拠が、残っちゃってるんだよね」
なんだよ、それ……。




