Chapter18: デジャヴュ
雨が降っていた形跡のある屋外、びしょ濡れの靴、そして、バラされた非防水スマホ。
「……もしかして、雨に濡れて乾かしてるんじゃ?」
不安に駆られた僕は、痛む体を引きずるように走らせて室内へ戻った。
バラし置かれていることは、かなり濡れてしまったに違いない。
スマホは乾いていたので、急いで組み立て直し、電源ボタンを押す。
が、案の定、無反応である。
なんてこった。
「壊れてる!?」
「それは違う」
「違くないですよ、電源が入んないんですって!」
「指したのはスマホじゃないって言ってるの」
と、敷島さんが廊下の壁を離れて室内に入ってくる。
向かったのはベッドサイドだ。
ベッドの端っこにすとんと腰を下ろすと、
「あっちのも見て、って私が言ったのは、こっちのタオルのこと」
そう言って、彼女はシーツ上に手を置いた。
洗濯機に放り込まれている以外にもまだあったらしい。
ベッドにはタオルが何枚か敷かれていた。枕元から中央付近にかけて、ちょうど寝そべったときに腰くらいの位置になるところまで広げられている。
「目が覚めたとき、私はこのタオルの上に寝ちゃってたんだよね」
「だからなんだって言うんですか! それよりも僕のスマホが……そうだ、充電切れになってるだけかもしれない!」
と、壁際のコンセントに目を向ける。ふだんスマホを充電しているところで、USBプラグが取り付けてあるのだ。でもすでに、見覚えのないスマートフォンがケーブルに繋がれて充電中になっている。近くには女性もののショルダーバッグも置かれていた。
「どっちも私の。――ちなみにね、私のスマホは、ひとりでに充電されていたわけではないんだなぁ。床に落ちてたバッグを私が自分で見つけて、そこから私が自分の手で取り出して、私が自分の手で充電していたの。それも、ついさっき」
ゆっくり言い聞かせる口調になった彼女が、私が私が自分で自分で、と、ねちねちこだわってくる。なぜそれほど強調するのだろう。僕を見る目が非難がましいのだろう。
「……充電代わってもらえませんか?」
「ダメ。充電切れになってて%がぜんぜんなんだよね。100になるまで待って」
「フル充電って……せめて起動テストだけでも!」
と、僕は四つん這いになってコンセントへ向かおうとした。
しかし、座卓が「ガツンッ!」と泣き叫んだのを耳にし、身を硬くする。
卓縁に伸ばされていた赤いプージャーの足が不穏に立ち上がり、それを見てとった僕は血相を変え、尻もちをついて後退るが、本棚で行き止まりになる。
あれよあれよという間に、真正面から敷島さんが両手で座卓(コタツテーブル)をガガガと押しやってきて、僕は本棚と座卓にサンドイッチにされてしまった。
卓上に乗った彼女が座り込み、あぐらをかいた膝に頬杖をつく。
「充電は私が先、おわかり?」と、満面の笑みだ。
「なにをそんなに怒ってるんです? ……頼みますから動作確認だけさせてください。買ったばかりなんですよコレ」と、僕は彼女に向かってスマホをかざす。「保証プランに入ってなくて、壊れちゃってたら五万円がパーなんですって!」
敷島さんが、かざされたスマホを見て、表情を曇らせた。
「……五万かぁ。払いたくもないよねえ」
「当たり前ですよ、買ったそうそうに買い替えだなんて! 気が気じゃないんです!」
「なら、こうしちゃおう」
という言葉を聞いた刹那、なぜだろう、ニュータイプのような勘が働いた。
奪われる!、と咄嗟に手をひっこめれば、一瞬前までスマホがあった虚空を、敷島さんの手が勢いよくつかんだ。
してやったりという気分になって笑みが溢れたが、追撃は止まない。
彼女は手を差し伸ばし、お尻を浮かせて前のめりになってくる。するとどうだ、Tシャツの襟元が弓なりにたわむ。その隙間から、奥の暗がりで垂れ下がている〝ω〟オメガ記号的なモノがチラつく。
ほんとに何も付けてないことを肉眼で目撃してしまっているうちに、スマホは僕の手から消失し、あぐらに戻った彼女の肩先でふられていた。
「栃内くんの手元にあると話が進まないから預かっとく」
「ほんのちょっとでいいんです、充電させてくださいよ、充電!」
「充電、充電しつこいなぁ。きみはなに? 出川哲朗?」
「茶化さないでくださいよ。まじめな話ですって!」
「はいはい、わかった、わかりました。充電させてあげればいいのね」
と、彼女は赤ジャージのウエスト正面をひっぱって、スマホを股間に落とし入れた。
しまい込む動作があまりにあっさりしていたので、そこって四次元ポケットだったっけ?、と思い違いをしそうに……なるわけがない。
彼女はなんの躊躇なにし、僕のスマホを、ボクサートランクスとプージャーの狭間へと格納したのだ。
「敷島さん……なにやってんすか」と、思わず『てにをは』が抜ける。
「知らない? 女のここで充電ができるって」
いよいよカチンときた。
僕はスマホ奪還を試みる。
しかし、伸ばした手は、あぐらを組んだ赤い脛の前までしかいかない。
本棚と座卓の板挟みでは、体の自由が利く範囲が狭いのだ。
囚われのゾンビになった気分を味わいながら天板に指先を這わせていると、真っ赤な股間がぐっと迫ってきた。敷島さんが、あぐらの体を両腕で浮かせて前進したのである。
僕は思わずハッとなって、手を一気に引き戻す。怒りに我を忘れ、危ないところだった。
「せっかく取りやすくしてあげたのに、どうしてやめちゃうのさぁ?」
自力奪取は、物理的にはたやすいだろう。ジャージの穿き口に手を突っ込めばいいだけである。しかし実行に移せば、倫理上アウトな気がしてやまない。もちろん、最初にアウト臭いことをしでかしているのは彼女だが、それでも手を入れたら――
……あれ? なんだこの感覚?
股間を注視していた僕は、視線を上にあげる。
金髪が乱れまくった敷島さんのニヤケ顔に、見知った直毛で猿みたいに紅潮させている彼女の顔が重なって見えた気がした。
「……デジャヴュだ」
「デジャヴュ? ってなんだっけ?」
「既視感ですよ。こんなことが前に一度あったような気がするんです」と、言ったあとに僕は自嘲する。「いや、もちろん有りっこないんですよ、こんな馬鹿みたいな場面を経験したことなんて。それでもなんか昨日のことを思い出してきそうな感じというか――」
「前置きは以上!」
「……え?」
「忘れちゃったかい、栃内く~ん?」と、僕の頭をもみくちゃにしてくる。「私は、記憶を失くしている間に起こっていたことに見当をつけたって言ったでしょ。それで、今までは説明のための事前確認をしていた。――だったよね?」
「や、やめてください! 僕も思い出してきそうって言ってるじゃないですか!?」
それに胸が近い……近いから!
「いいから、私の話を聞く」
「わ、わかりましたよ!」




