Chapter17: 実況見分
想像してみてほしい。朝起きたら、会話という会話もろくにしたことがない顔と名前だけは知っているような身のまわりの人物が、自分の部屋に突如出現しているシチュエーションを……。そしてその人物が「自分もこの部屋にいる理由がわからない」などと口にする。
まだ幽霊が出てきたほうがマシかと思える。僕は現在そう思っている。
枕元から自室の出入り口まで、通常なら三秒もあれば移動できるところ、全身筋肉痛の場合は一分かかることを知った。
先に部屋を出ていた敷島さんが親切にも引き戸を閉じ直してくれていたので、最も痛みの激しい腕を持ち上げなければならない余計な動作が必要になる。金縛りに抗うようにして引き戸を開けると、彼女の姿は内玄関にあった。
「悪いんだけど、栃内くんを起こす前に、部屋の中とか外とかをいろいろ見させてもらってたんだ。失くした記憶を思い出す手がかりが見つからないかと思って。結局思い出せなかったんだけど。記憶がない間に起こっていたのは、こういうことだったんじゃないかって、だいたいの推測というか見当をつけてみたの。――聞いてくれる?」
「も、もちろんです!」
「前置きとして確認してもらいたいことがあるから、こっちきて」
招かれる手に従い、僕は廊下の壁を伝っていく。
事情が解明されるかもしれないとわかったためか、体中の倦怠感と痛みもちょっと薄らぐ。
内玄関に到着すると、「まずはこれを見て」と指差された三和土を見る。
置かれてあるのは、一足の靴、僕のスニーカーだ。
まるでたった今濡れたばかりのように、びしょびしょなっている。
「……えっ、雨が降ったの? いや、昨日は降らないはずじゃ」
外出していたため、天気予報はピンポイントでチェックしていた。地方都市も、この街も、降水確率0%だった。実際、カラオケ店を出たときには晴れていた。
「それがさ、バケツをひっくり返したように降っちゃったみたいなんだなぁ」
と、敷島さんが玄関の扉を開け、僕は目を見張った。
玄関前が濡れに濡れているのだ。水溜りまで生じている。
扉口まで行って見てみるが、僕の部屋の玄関前だけではなく、あたり一面が濡れている。
アパート外周の日向になったところは乾ききっているようにも見えるけれど、光の屈折の関係だろうか。
……あれ? なんだろう。
「ほのかにコーラの匂いがしませんか?」
「しません」
戸口にしゃがみ玄関脇の地面に向かって鼻をひくつかせていた僕は、後方から伸びてきた腕に襟首をつかまれて乱暴に連れ戻された。
三和土に尻もちをつき、喉元にTシャツが食い込んだ影響でひとしきり咽る。いきなりなにをするのだ、と非難しようとしたのだけれど、敷島さんが威圧感をほとばしらせる鬼軍曹じみた形相をしていて、口を閉じる。
「雨が降ったことは確認できた?」
「……はい、できました」
「じゃ、次に移るよ」
と、廊下にあがった彼女の裸足を見て、ふと疑問に思う。
三和土にあるのは僕のスニーカーが一足だけ。靴入れにあるのも僕のサンダルや靴ばかり。敷島さんがうちにいるのではあれば、彼女の履き物がなければおかしいのではないか。
「私のは見当たらなかったんだ。ここにきた時にはそもそも履いてなかったのかもね。酔ってて、どこかで脱いじゃったりしてさ」
記憶がごっそり抜け落ちる酩酊ぶりだ。靴を脱ぎ捨てるくらいはしでかしそうである。家に着いたら裸足だった、なんて話も聞くには聞く。しかし、胸にスッと落ちてこない。彼女が言っていることは事実と違っているんじゃないか、とわだかまるものがある。
僕がもやっとしているうちに、敷島さんが廊下を進んだ。
引き戸手前に置かれた洗濯機をコンコンとノックする。
「中に、何が入ってる?」
「……タオルがいっぱいですね」
洗濯機の蓋は開けられっぱなしになっており、中を覗くと、大小さまざまなタオルが底に重なり合っていた。あるだけひっぱり出されているような感じだ。洗い終わっていれば、遠心力で内壁にへばりついているため、まだ洗濯前であることがわかる。どれも湿っていて使用済みのようだが、僕にはこれほど大量のタオルを使った覚えはない。
敷島さんが廊下の壁に寄りかかり、
「あっちのも見て」
と、親指を立てた手を胸の前でふる。
それは部屋を指すだけのあいまいなものだったが、室内中央にある座卓上を示しているのだとすぐにわかった。僕のスマホが、不自然なかたち――裏面カバー、バッテリー、本体の三つにされて並べ置かれてあったからだ。




