Chapter15: ふたりなかよく記憶喪失
「ねえ、ちょっと」
と、声がする。
「ねえってば。聞こえてる?」
女の人の声だ。
……僕に訊いているのだろうか?
そう思った直後、僕は今まで眠っていたのだと自覚した。
意識が戻って目を開ける前のボーっとした感じがする。
「起きなってば、――起きろぉっ!」
ひときわ高鳴った声にハッとして、両目を開けた。
ぼやけた赤い色が視界に大きく広がっている。
なんだこの赤色?、と霞んだ目をまばたきさせていけば、赤いジャージズボンを穿いた人の足が立っているのだとわかった。股間付近のアップで、股脇の太ももにはプーマのロゴが入っても見てとれる。
……ん? 人が立ってる、って、なに?
「あ~、やっと起きたか」
あきれた溜め息まじりの声が降ってきて、僕は顎を上げる。僕は仰向けに寝ていたのではなく、なぜか足を広げて座っている状態で寝ていたらしく、そして、広げた足の間にその人物が立っていたので、顔を確認するには見上げる必要があったのだ。
状況が飲み込めず、僕はポカンと口を開けた。
目の前にいたのは、若い女性だった。
細身で、身長は僕より少し低いくらいだろう。歳も僕と同じ二十歳くらい。強い癖っ毛のショートヘアは金色をしているけれど、顔立ちはどう見ても日本人である。
目つきの悪い一重瞼の瞳でこちらを見下げているので、ガラの悪そうな印象。かと思えば、着ている黒い半袖Tシャツは、映画『ゴースト・バスターズ』に登場するオバケキャラクター〝マシュマロマン〟が大きくプリントされた愛らしいものだったりする。
……あれ? 僕がネタで購入していたのと同じTシャツじゃないか?
「起きたんならさ、はやくこの状況を私に説明してよ」
いや、ちょっとまってよ!、と僕は激しく困惑。
状況を説明してもらいたいのはこっちだ。
見たところ、ここは僕のアパートの部屋で間違いない。座っていたのはベッドサイドの床で、枕元近くのベッド側面に背中をあずけている。壁に掛けられたアナログ時計は、8時半を過ぎたところ。カーテンは閉まっているが、明り取り窓から光が射し込んでいるので、朝だとがわかる。
僕にしてみれば、『一人暮らしを送るアパートで、ある朝突然、見知らぬ人間が部屋に現れ、呼び起こされた』という、なんともホラーな状況である。
「……あなた、誰なんですか?」
と、僕は不気味さと恐怖が入り交じった声で尋ねた。
金髪女性がイライラしたように癖毛頭をかく。
「そういうボケはいいんだって、栃内くん」
赤の他人が自分の名前を一方的に知っているという新たなホラー要素が追加。
「ど、どうして僕の苗字を知ってるんです!?」
「…………」
仏頂面の金髪女性が黙り込み、僕を値踏みするような眼差しでジッと見てくる。
「な、なんとか言ってくださいよ! なんで知らない人が僕のアパートに!? ……ま、まさか泥棒!?」
外見的にありえなくもない。赤いプージャーがヤンキー感をがっつり醸し出している。金属バットを担がせれば素行不良者。
……あれ? このプージャーも僕が高校のときにかっこいいと勘違いして買ってたやつと同じだ。いや、それよりも、
「泥棒だったら、盗むものなんてないですよ、僕は貧乏学生ですから!」
「泥棒だったら、住人を起こさないでしょうが」
「……それもそうですね。じゃあなぜ知らない人が?」
「知らない人、知らない人ってさあ、同級生に向かってそれは無いんじゃないの?」
「同級生?」
金髪女性がヤンキー座りでしゃがみ込み、自らの顔を指差す。
「この顔にピンとこない?」
……よもや指名手配犯か?
「見覚えが無いから訊いて――」
と言ったところで、ピンときた。
金髪女性は見知った人だったのである。顔だけほぼ毎日は目にしている。
彼女が言っているように、大学の同級生なのだ。
「敷島さん? 敷島ゆかりさん……ですよね?」
「へぇー、下の名前も知ってたんだ」
意外だったのか、不機嫌そうにしていた敷島ゆかりが白い歯を見せて笑った。
僕はどうしてすぐに彼女だと気づかなかったのだろう。いつもはストレートでさらさらしている髪の毛が、まるで髪を洗ったあと乾かさず寝てしまったような具合になっているからだろうか。それもひとつなのかもしれない。でも、大きな要因は別にある。
僕と敷島さんは同級生ではあるけれど友達ではない。彼女はチャラボーイ&チャラガールのグループで、僕は冴えない野郎ばかりのグループに属している。よって、普段会話することもない。同じ講義室の空気だけは吸っている、言わば、限りなく赤の他人に近い知り合いだ。
フルネームを把握しているのは、大学一年のときのオリエンテーションでの第一印象が最悪だったからである。僕を〝トチらない〟と誂った輩のことは忘れない。会話したのも、その時が最初で最後だったはずである。
そういう接点の薄すぎる人物が自分の部屋にいると思うだろうか、現れると思うだろうか? ふつう思わないだろう。だから彼女という存在を知っているにもかかわらず、頭から排除してしまって、すぐには気づくことができなかったのだ。
敷島さんがお尻をおろし、両手を後ろにつく。
「昨日のこと覚えてる?」
「昨日のこと? ……痛ッ」
鈍痛が走り、僕はこめかみを押さえた。
頭全体が二日酔いのようにひどくズキズキする。
いや、〝のように〟ではない。
二日酔いなのだ。
昨日は土曜日。
大学の友達と、数駅離れた地方都市まで出かけて遊ぶ日。
実際にそうして、夕食を摂ったあと、お酒を飲みながらのオールナイト・カラオケ大会になっていた。それからどうした? 歌が苦手な僕はいつも朝までは付き合わず、終電で帰宅している。そうだ。昨日は酔って絡んできたやつをマラカスでぶっ叩いて撃退し、終電には乗った。そしてアパート最寄りの駅まで帰ってきて……あれ?
そこから先を覚えていない。
僕の記憶はすっぽり抜け落ちてしまっていた。
「なるほどね、そういうことになっちゃってるのか」
と、敷島さんが床に立てた膝を開いたり閉じたり。
なんで暢気にしてるんだこの人。
というか、なぜ僕の部屋にいるんだよ!?
「そっかそっか。きみにも、この状況が説明ができないんだぁ」
「『きみにも』? 『にも』ってどういうことです?」
「私も、できないってことだから」
「……え?」
「いやさあ、私もどうしてここにいるのか、わっかんないんだよね」
「……えっ? えっ?」
「気づいたらこの部屋で、ベッドの上に寝てた」
「ええぇぇぇっ!?」
「ウケるっしょ」
バんなそカな!




