ウメコ対パセリナ 其ノ参 パセリナ覚悟のミミズの巻
ウメコが謹慎期間中に会得した古式捕虫術「二天プラ流」。それはパセリナの流派「雁モドキ流」の宿敵であった。パセリナは、ウメコに果たし状を突きつけた!
組合ガレージのバイク置き場からスクーターを出したとき、バグモタ用の広いゲートのシャッターが上がって、一機のクラックウォーカーがクリーパーホイールを軋らせ、グルルルルと発進するのを、ウメコはバイザー越しに見送った。パセリナのバグモタ、ラビットベリー<フェアメイドZX>だった。エクスクラム社の捕虫労タイプ最新の機種である。ピンクを基調とした配色が、いかにもグーコ女子といった感じがして、今日のウメコには、ことさら鼻についた。
「フン、乙女チックスーパーマシーンが」
賛辞なのだか悪口なのだか、わからない言葉をつぶやいた。エクスクラム系労民のバグモタ好きのウメコにとっては、これでも最大級の悪口のつもりだった。
ここから真っすぐ道が続くひとときの間、<はこべ>と名付けたバグモタの操縦席で、トラメットのバイザーを上げたパセリナは、狭いコクピットの中で一人きりになると、それまでピンと張りつめていた気が一気にゆるむのにまかせ、目は虚ろにボーッと虚空をみつめた。
この数カ月、その身を縛りつける宿命への面目から、無理に距離おかざるをえなくなったウメコとの険悪な関係に、もうじき終止符を討てると思うと、パセリナはかすかに胸が軽くなるのを感じた。
ウメコの言うとおり、悪いのは自分なのだ。直接関係のないウメコに大昔の流派間の諍いを持ちこんだのは私だ。頭ではわかっていてもどうしても割り切れなかった。けして憎しみではないけれど、どうしても許せぬという心情にとらわれ、いままで通り接することができなくなった。あやふやな感情がウメコへの態度をきめかねた。それはすなわち自身の流派に対しての態度でもあった。流派と友情との狭間に苦しんだ半年間。表立っての衝突もできぬ煮え切らぬ態度が続き、そうこうしているうちに、流派の宿怨と言っていたものが、いつしか自身のつまらない片意地に変わってしまったような気がしていた。
古式捕虫術の歴史や流派の派生すらろくに知るはずもないウメコが、<雁モドキ流>と<二天プラ流>の因縁など知るよしもない。
しかしもうあとには引けなかった。あれから捕虫要員への復労や8班の再編もあって、家元であるよりまえに、開拓労民、捕虫労民である以上、ノルマの優先が第一なのだから、この因縁の決着を、流派三代目として落ち着いて考える時間はあまりとれず、結論をズルズル先延ばしにしてしまった。――でもそれは言い訳にはできない。
本当にこの身が清くあるために、意志を正しくするために、心は美しくあらねば。
パセリナは、流派の宿敵である二天プラ流との決着がつけば、勝敗を問わず自分から和解の手を差し出すつもりでいた。和解というより謝罪といったほうがいい。
――これだからダメなのだ!――
まさにその感情こそ私の弱さ。長い逡巡を経たあげく、いよいよ決意して挑んだ試合がきまったことの武者震いよりさきに、こんな感情が己の心を占領してしまったことに、パセリナはおおいに恥じ入った。思考をミミズ巻きに締めつけて、すぐさま、そんな生易しい感情を追い払う。
――これだから、私は未熟なのだ。まだまだ修行が足りないんだ。
いま私が一念をかけて願うべきは、<雁擬キ流>の三代目として本懐を遂げること、ただそれのみ。仲直りなど後でいい。いま考えることではない。そのためにはたとえ友情だろうと、おすまし顔で投げ捨てる覚悟がなくては、ウメコには勝てない。
しかし二天プラ流が、まさか認定も得ていない流派だとは、それまで一顧だにしなかった。それすら知らず、公式に決闘状を掲げるなど、とんだ恥さらしもいいところだ。これでは対決したとて、ウメコとの決着はついても、二天プラ流との決着はつかぬのだ。パセリナの思考はミミズ巻きによじれていく。雁モドキ流は、いったいどこまで愚弄されるというのだろう、あの二天プラ流に!
結局あのあと抗議するのはやめにした。常識で考えて、認定されていない流派との公式試合など、組合が認めるわけがないのだから。それに対し抗議するなどということは、恥の上塗りであるし、愚の骨頂だ。雁モドキ流の沽券にも、自身の評価にも関わる。
――けれどこれも良適合仕草だろうか――
ノンコ者であることが、なかば前提となっている捕虫要員を、どこか連合も黙認しているフシさえある。しかし皆にグーコ仕草と当てこすりを言われようが、その風潮に立ち向かい、あらがうことこそが、パセリナの矜持であった。誰が何と言おうと、己の信じる道を行かなくては。それが虫捕り女の意地というもの。グーコの骨頂というもの。
ウメコの不適合気質は、誰よりもよく知っていた。無邪気さと言えば聞こえはいいそれが、ときに虫捕りには欠かせない要素、ティンカーズセンスの発露であることも無論承知だ。しかし、それを矯正し、乗り越え、活かすことこそが、雁モドキ流の捕虫術。それゆえ一生懸命修行するのだ。荒れ放題、伸び放題の天然無骨のままでは、虫の進化に取り残される。この捕虫圏において、古式と呼び慣らわされ、もはや歴史の遺物と化しつつある多くの捕虫術のように。
だから、経験よりもほとんど感覚、いつもその場のノリだけでやってきたようなウメコに負けるわけにはいかない。パセリナの中でこの対決は、もはや流派の因縁を越えた、捕虫思想の対立でもあった。
そのウメコが、古式捕虫術<二天プラ流>の免許皆伝だという。パセリナにはまるで想像できなかった。ウメコが殊勝な態度で、誰ぞに教えを乞う姿というものが。ウメコが真面目に修行したなどということが。ウメコが古式の作法に則る姿が。ウメコがなんの利得もない、それが虫捕りとはいえ、ノルマ以外のことに打ち込む姿が。
ウメコの気質を思うとき、パセリナは聞き伝えでしか知らなかった、二天プラ流というものの実像が、おぼろげながら見えてくるような気がする。それはティンカーズセンスを磨かない、ゴツゴツの粗削りを残したままの術なのではないか?古式の虫捕り修行というより、なにか別の、あやしい魔術的なもの・・・。破裂も火傷も辞さず、おのれの血を捧げ、肉を焦がすような、その身を犠牲にするような虫呼び。
丙午の6区生まれにして鬼門送りで配置されてきたウメコ。むしろ吉方角に配置されるべき丙午6区生まれの女子なのに、より不吉な方角とされる裏鬼門8区に送られてきた問題労児。そしてあの連鎖大破裂を招いた張本人。そんなウメコが二天プラ流の免許皆伝とは、これは必然の出会いなのかもしれない。 あの師にして、この弟子あり。虫が虫を呼び、破裂が破裂を呼ぶがごとく、鬼火が鬼火を呼んだのだ!悪魔が来たりて虫を呼ぶ!
――でも優しいところもたくさん知っている――初めてのキャンプで親元を離れ、テントの中で過ごした夜、ホームシックに泣きべそをかいたとき、そばにいてくれたのはウメコ。義務労にあがったばかりのころ、苦戦していた虫ンセの扱い方を、誰よりも丁寧に教えてくれたのはウメコ。パセリナはそれゆえに、ウメコにこんな感情を抱くがゆえに、それよりなにより、こういう思い出を大事にしまっている、優しすぎる自分自身に負けるかもしれないという懸念の影が、意識の隙に差しそうになるのを、奥歯を噛んでこらえ、ミミズ巻きに絡めとった思い出を、思考ごと、頭を振って閉め出しにかかる。
――ダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだ‼
さっきワイナが地下労食で騒いでいたように、ウメコを極悪非道の悪適合者と思い込むくらいでなくては、ダメだ。いや、むしろ私がバッコ者になるくらいな覚悟がなくては、勝てない。そして雁モドキ流という流派の枷を外すのも辞さないくらいな覚悟がいる。
――鬼門送り?それがどうしたというの?それを言うのなら、私は生粋の裏鬼門生まれの乙女。吉方角への方違え配置も辞退した乙女に、なにも怖れるものなどありはしませぬ!――鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼。私は鬼になるのだ!
決然と顔を上げ目を見開くと、パセリナはアクセルを力強く踏みこみ、<はこべ>を加速させた。
機内灯をつけると、淡い琥珀色の光の中で、コンソールのサイドモニターの脇に吊り下げた、いくつものキャラ人形が振動で揺れている。模造毛の縫いぐるみや、ソフトビニール、フェルト包みのジェリードールもある。それはいろんなキャラクターのものたち。一番のお気に入りはカノエから、あんたにソックリだよ、ともらった丸々としたニワトリさんのソフビ。最近だと、このまえクロミがくれたばかりの、ピンクの労民服を着たかわいいクマさんのジェリードール。もう一つその下のフックに掛けてあるのは、だいぶ以前、いかがわしいジャンクハーバーの店で売っていたものを、ウメコがみつけてプレゼントしてくれたウサギらしきもの。トゲトゲに毛を逆立てた、ホラータッチの呪物のような見てくれのそれは、相手を怖がらせるための半ばイタズラでくれた質の悪い贈り物だったけれど、パセリナは妙に心惹かれて、喜んでコクピットに飾った。実はこれは、自由労の専門店でも滅多に手に入らない、レアなアイテムだと後々知れた。それを知ったウメコは、これも半ばイタズラに、しつこく返せと言ってきたのだった。あれ以来、何度か突き返そうかと迷ったのだけれど、でも一度ありがとうと頂いたもの、それを返すのは礼儀に反する――それに、このぬいぐるみを外すこと自体がウメコを逆に想起させ、動揺を怖れる気持ちだから、それこそ気持ちで負けてしまう――ような気がして、ずっとそのままにしてあった。
直接関係のないウメコを恨み、仇として勝負を挑むのは、お門違いだろうかという迷いは、ずっとあった。鬼となると覚悟したいまなら、明鏡止虫、はっきりこう言える。
――流派の奥義を受けたのなら、その宿命を背負うのは当然のこと。それを拒んで自分は関係ないなどと棚上げし、免許皆伝だけは受ける。そのような振る舞いは、虫捕りの風上にも置けぬ。ならばその後継者たる浜納豆ウメコに対決を要求するのは道理。そしてウメコは決闘申し込みを受け、じっさい試合は決まった。であればウメコに対して気が咎めることなど、私はなんらないのだ。よって終わってからの謝罪など不要!なにがあろうと追悼の虫笛は鳴らしませぬ!あのようなノンコ者には墓標すらいりませぬ‼
気づくと奥歯を強く食いしばりすぎて、こめかみがガチガチと痛くなってきた。パセリナは自分の姿勢までガチガチと硬直してくるのを感じた。
あの日パセリナは流派を継いだときから、自らを律する意味をこめて長い髪を左右でそれぞれ束ね、防虫用髪ネットの代わりに、流派の網に使う<ミミズ袋>と名付けられた長靴下のような網を被せて縛りつけ、それをツインワームにしておろしていた。これをつけると精神だけでなく、身体的にも引き締まって、落ち込みそうな気分のときでも背筋はしゃんと伸びた。
――なんだかとても重い。髪の毛はまだ切って間もないのに――
いま操縦桿を握った片方の手を放し、それに触れてみた。ブヨブヨしたミミズ袋の中の髪束の感触も、きつく縛りつけた紐も、いつもと変わらない。なのに、まるで鉛玉でも詰まっているような気がする。いまにそのツインワームの重みは、顔面を引っ張り、左右に分断させ、そこから始まった亀裂が、やがて身体ごと真っ二つに引き裂くという白虫夢におそわれ、一瞬パセリナの瞳孔は白化した。
――私はすでに二天プラ流の、いやウメコの術作の中に陥っているのではないか!――相手を怒らせることは、ウメコのもっとも得意とするところである。思考のミミズ巻きは、いまにも引きちぎれそうなほどの緊張状態に伸びきった。そして弛緩も断絶も許さぬまま、凍りついたように硬直したそれは、やがてドロドロに溶けはじめ、ヒリヒリする意識だけを残して、ただ垂れていく。息はゴボゴボと泡立ち、ウニョウニョグニュグニュの虫となって吐き出され、羽化するまえにバタバタ落ちていった・・・・・――これこそウメコの思う虫壺!!――パセリナはすんでのところで、白虫夢から瞳孔をとり戻す。
キャラ人形が揺れているのをみていると、いつだってパセリナの心は和らいだ。それはつねに厳しく自らを律しているパセリナの童心を宿せる依り代であり、やわらかくてもろい本来の自分を封じ込めた分身だった。そうして、ガチガチと硬くなりすぎて折れそうな心も、フェルト包みの、プニプニしたジェリードールならば、こんなふうに軽く揺れて柔らかく、どんな衝撃にも壊れることはない。とくにクロミがくれた、いかにも連合製のグーコチックなキャラクターは、いまのこんなパセリナのグチャグチャにかき乱された精神をなごませるために作られ、プレゼントされたような気がした。
――きっと勝機もこのような心境のなかにこそ――この頃忘れていた感覚、姿勢を正し、ガチガチの虫になるのではなく、真綿のようにフワフワと。肩を怒らせ、ゴリゴリの鬼になるのでもなく、プニプニのプ二。ドロドロでもゴボゴボでもグチョグチョでもない、プニプニ。この感覚。
こんなプ二プ二とした心境に近い言葉が奥義の中にあったはず。
――虫は硬く強きものと思うなかれ。脆く弱きものと思うべし――「万事さように運ぶべし」パセリナの呟きがもれた。
「サスレバ虫モ見ユルナリ!」脳トロンマスコットの<ハコベ> が声を発し後を続けた。「星モ見ユルナリ!」
<はこべ>の名は、奥義の中のこの文言「運ぶべし」ここからとってつけたのだった。
「ええ、精進いたします」
『虫は硬く強きものと思うなかれ。脆く弱きものと思うべし。このこと虫捕りだけにあらず、万事さように運ぶべし、さすれば虫は見ゆるなり。また星もみゆるなり。――雁モドキ流捕虫術奥義書、中ノ巻、第二段』




