15
「それで君たちは一体、マリアンヌに何を望んでいるのかな?」
泣いている私の背中をエイヴァンは優しく撫でて落ち着かせようとしてくれる。そうしながら、ここまでくればもう覚悟を決めるしかないね。と二人の騎士を応接室に誘導した。
明かりの少ないくらい廊下を辿るとき、何となく息を詰めたのは誰にも知られないよう警戒したからである。使用人に見られたとて問題はないが、世間的にみれば自分たちの行いが後ろ暗いものであることに変わりはない。
正義を果たすつもりでいるのに。第三者からすれば私たちも悪党の側の人間なのだ。
「先に、手当をいたしましょう」
部屋に入ってから、恐縮しながらも腰かけたアルフレッドの緩んだ包帯を、侍女が丁寧に巻き直す。
そうして改めて、彼らに話を聞いた。
「イリア様が下層階の牢に入っているのは分かっているのですが、明確な場所がまだ特定できていません」
フランツが胸元からよれた紙を取り出し、台の上に広げる。見れば、五か所に印がついていた。
「これらの内のどれかだと思います。しかし、闇雲に突っ込んだとして失敗する可能性が高い。一度失敗したら二度目はありません。一度きりの機会にイリア様を連れ出すことができなければ、再びどこかに隠されてしまうか、―――――最悪、即時に刑が執行されてしまいます」
「え、ちょっと待って」
エイヴァンが右手を上げてアルフレッドの話を遮る。
「ということは君たち……、もしかしてイリア夫人を脱獄させようとしてる……?」
声を潜め、いかにも不穏な雰囲気を纏って問うた。
「―――――初めからそうしようと決めていたわけではありません」
フランツが首を振り、アルフレッドが神妙な面持ちで答える。
当初は正攻法で助け出そうとしていたのだと。捕縛されてしまったとはいえ、これ以上イリアに汚名を着せるわけにはいかない。ならば、彼女にかけられている容疑を、一つ一つ暴いた上で疑いを晴らす必要がある。だが、有罪の証拠を集めるよりも無実を証明するほうが圧倒的に難しい。それをするには相当の時間がかかると思われた。もしかしたら年単位の年月がかかるかもしれない。
「微罪も含めると、相当数の容疑がかけられていると聞いています」
フランツが覚えている限りの罪名を口にする。「これはこれは、」と感嘆すら混じる声で唸ったのは私の夫だ。全てが冤罪だとすれば、よくぞここまでありとあらゆる犯行をでっちあげたものだ。
「自分自身が共犯として断罪されたからこそ分かるのです。イリア様の処刑は既定路線だったのではないかと」
「……初めからそうなることが決まっていたということですか?」
「はい」
そのとき、家令がお茶と軽食を運んできたのでアルフレッドとフランツに食べさせる。
こけた頬から察するに、最近は満足のいく食事ができていなかったはずだ。もしかしたら長時間何も食べていなかったのかもしれない。一つ食べると、空腹を実感したのか次から次へと口の中に放り込まれていく。
半時もするとほとんどの皿が空になった。
「本来なら、なぜこんなことになったのか原因を突き止めるべきなのです。イリア様を陥れた人間を見つけ出すべきだと分かっています。されど、」
アルフレッドが話し終える前にエイヴァンが口を挟む。
「そうだね。黒幕を見つけ出したところでイリア様が釈放されるわけじゃない。彼女の無実を証明しない限り無理だろうね」
「はい、」
重苦しい空気に窒息しそうだ。脱獄はそれだけで重罪である。手を貸したとなれば、それが明るみになったとき私たちも無事では済まされない。
「マリアンヌはどうする?」
夫が私の顔を覗き込んでくる。迷いはなかった。
「私は何をすればいいのですか?」
はっと驚くように息を呑んだアルフレッドとフランツが互いに顔を見合わせる。
そして、アルフレッドにいたっては深く深く頭を下げた。膝の上に置いた両手の拳が小刻みに震えている。
「牢を特定したいのです。絶対に失敗できないので」
協力を要請されているのは分かるが、自分が役に立つとは思えない。
できるのは街頭に貼られた号外を読むことくらいである。
「なるほど、そういうことね」感嘆ともいえる声を上げたのはエイヴァンだ。
すなわち彼らに力を貸すのは私ではなく、
「義父上から情報を得たいんだね……?」
ぽん、と手を打ち「分かった? マリアンヌ」と首を傾ぐ夫。
なるほど、と相槌を返すものの、父に協力してもらう必要があるなら話が変わってくる。幼少期、既に私とイリアが接近することを警戒していた人である。その人が、承知してくれるとは思えない。先日も、イリアの話を打ち切られたのだから。
「でも、より確実な情報を得るなら父君しかいないよ」
ね? と二人の騎士に同意を求めるエイヴァン。
ならば、ともかく一度父と話をしてみるしかない。その上でまた考えればいいのだ。しかし、あまり時間は残されていない。
私の顔を見て察したのだろう。再び礼を言われて首を振る。
彼らのために動くのではない。イリアのためだ。私がそうしたくてするのだから礼など必要ない。
「でも、それだけじゃないでしょう?」
エイヴァンが殊更優しい声で訊けば「言い出しにくいことなのですが、」とこれ以上何があるのかと構えた矢先、躊躇いつつも金子を用意しなければならないと言う。
「イリア様を外に出すには、看守をこちら側に引き込んでいなければなりません」
だが、言葉で説得するのは難しい。下層の看守ともなれば荒くれ者を束ねる立場でもあるので、彼ら自身が素行の良い人間ではないからだ。
だからといって、力づくで言うことを聞かせることもできない。既に人数で負けている。なるべく戦闘は避けたいところだ。
また、イリアは恐らく独房であるため、そこまで案内してもらう必要がでてくる。看守と手を組まなければ監獄に入ることもできないだろう。
「もっといえば、看守の上には、看守をまとめる人間もいます。監獄には門番もいるし、監獄の周辺は自警団が見回りをしています。その全員にある程度の金子を渡さなければなりません」
詳しい事情を説明して回ることはないが、当日現場で発生するだろう多少の違和感には目をつぶってもらうようお願いをしておくのである。
一通り話を聞いた夫は「うーん」と天井を仰ぎ「それは僕が用意するよ」と請け負う。
「……エイヴァン様?」
妻にだけ働かせるわけにはいかないでしょう。と悪い顔をした。
「僕はマリアンヌの共犯になれるならやぶさかではないよ」
そっと手を握られて、これほどに頼れる人が伴侶であることが誇らしいと思う。
結婚するまでは、決められた日にしか会わなかったし、エイヴァンも私も互いにそれほど興味関心をもっていたわけでもない。けれど、一生を共に過ごすと誓をたててからは、日々、少しずつ距離を縮めてきた。
信頼というのは努力によって成立する。
互いを思いやれる心だけが絆となるのだ。
「安心してよ。お金だけは持ってるんだよね」と、夫は微笑をますます深くした。
そして、彼らとは二日後にまた会うことを約束して、その夜は一旦解散することとしたのだ。
*
「イリア夫人の居場所? 私が知るわけないだろう」
開口一番、苦いものでも噛み締めたような顔で言われて取りつく島もない。
「お調べいただけませんか? お父様ならできるでしょう?」
「何度言わせるんだ。マリアンヌ! この話は終わりだ!」
客間でなされる言い争いに、何事かと家令が顔を出す。
「待ってください、お父様……! お父様しかいないのです。居場所さえ突き止めてくださればこの話はもう二度といたしません!」
「いいや、駄目だ。居場所を知って一体どうする? 何をするつもりだ!」
「申し上げられません。けれど、教えてくださるまであきらめませんわ。もう、あきらめないと決めたのです」
「……マリアンヌ!」
お嬢様、と家令も困った顔をしている。私を諫めようとしているのは分かっているけれど、今回は一切、引くつもりはない。
仕事だと言って客間から出る父を追いかける。家令に加えて侍従を引き連れる父に、後生ですからと縋りつくもあまり効き目はなかった。面倒になったのか「……誰か! マリアンヌを連れていけ!」と声を張り上げる父。
そこに偶然、シンシアが通りかかった。
私と父の緊迫した様子に「どうかなさいましたか」と目を瞠る。気遣わし気に隣に並び立つシンシアが、そっと私の顔を窺った。言葉にはせずとも味方だと言ってくれているような気がして。己を奮い立たせる。
前回は彼女に遠慮して話を切り上げてしまったけれど。もはや形振り構っていられない。
「私の大切な人が窮地に立たされているのですわ」
「まぁ、」
「お父様にしか助けられないのです。だからこうしてお願いしているのですが聞き入れてくださらないのです」
「まぁ、それは……、」
仮とはいえ妻であるシンシアの非難めいた眼差しに我が家の主は、やっと立ち止った。
何か言いかけたところで、今度はヴィルヘイムが現れる。元々、父に帯同する予定だったのだろう。
「これは一体、何の騒ぎですか?」
出会ったときよりも随分大人びた少年が、次期当主らしい貫禄で問うてくる。
シンシアにしたのと同じような話をすれば「どういうことでしょう、父上」と呆れすら滲んだ息を吐く。
「お前たちには関係ないことだ。黙っていなさい」
こめかみに青筋をたてて言下に拒否するのに「黙ってはおけませんわ」と抗議の声を上げるシンシア。口答えなんてしなかった数年前には考えられなかったことだ。
近頃はごく当たり前のように臆することなく自分の意見を口にする。
「マリアンヌ様がこれほどに思いつめた顔をなさっているのですよ? 私にとっても一大事です。ヴィルヘイムにとってもこれ以上、大切なことはありませんわ」
「そうですよ、父上。姉上のことは我が家にとっての最重要事項です」
二人揃って私の同志となってくれるようだ。
「いや、お前たちは分かっていない。マリアンヌがどれ程危険なことに片足を突っ込んでいるのか。これは絶対関わってはならないことなのだ」
「けれど、マリアンヌ様が望むのであれば私たちは協力せねばなりません」
「……シンシア!」
私とヴィルヘイムには、マリアンヌ様にそれほどの恩義があると知っておいていただかなければ。
あまりにも真っすぐ、あまりにも堂々となされた宣言に一瞬、沈黙が落ちる。
家令がなぜか神妙な顔で深く頷くけれど、私には何のことだか検討もつかない。
「旦那様。私とヴィルヘイムからもお願い致します」
「何を言っている? 何も知らないくせに余計な口を出すな……! これはマリアンヌだけのことではない。我が家の存亡に関わることなんだぞ」
政治のことであれば冷静すぎるほどに冷静な父が、ずっと捲し立てるように強い口調で否やを繰り返す。それほどに危ない橋なのだ。
私は今、炎上している橋の起点に立っている。
今ならまだ引き返せるけれど。炎の中に飛び込んで、向こう側にたどり着く気持ちでいる。けれど、命を捨てるつもりはない。橋桁がおちても、橋脚にしがみついてでも生き延びてみせる。
「マリアンヌ様が何を望んでいらっしゃるのか私は存じておりません。けれど、此度のことが我が家の行く末に関わるのであれば、なおさら旦那様はマリアンヌ様に手を差し伸べなければならないのでは? マリアンヌ様をお一人にするおつもりですか?」
「そもそもマリアンヌが関わらなければいい話だ。我が家とは何の関係もないことに首を突っ込もうとしている」
シンシアが言い募るのを即座に切り捨てて再び歩き出す父。
大きな背中だ。子供の頃は見上げたその肩に、手も触れられなかった。背伸びしても届かなかった双肩。未だに近づけたとは言い難いが、それでも、手を伸ばせば掴めないことはない。
「お待ちください、お父様……!」
絞り出した声が掠れている。本当は、ここに来る前から手も足も震えていた。父に話をする決意をしても、協力を得られなかった場合のことが頭を支配して。考えたくもないことだが、もしそうなったならばイリアは助けられない。
父はまさしくイリアの命綱なのだ。この綱が切れてしまったなら、イリアは。
―――――イリアは。
「マリアンヌ様……?」
私の顔色を見てただならぬ気配を感じたのだろう。シンシアがより距離を詰めて来る。腕が触れるほど近くなったので、遠慮なくその手を握った。
怖い。
どうしようもなく。
「……お母様なら! 絶対に、私を助けてくださいます!!」
遠ざかっていく父の背に精一杯の声を届ける。
「お母様なら! 今ここで私を見捨てたりはいたしません!」
「お母様なら! お母様なら……! 私のために! 命をかけてくださいます!!」
双眸が、熱い。物知らぬ幼い頃ですら我儘を言って泣き喚くようなことはしなかったように思う。そんな私のことを、物分かりの良い子だったと母が褒めてくれた。
あまりに育てやすかったから、少し物足りなかったと。
もっとたくさん甘えてほしいわ、と笑ってくれたのはいつだったか。
だから私には自信があった。母はいつも、それほどの愛を示し続けてくれていたと。命を失っても傍にいると言ってくれたあの言葉を、今こそ信じたいのだ。
母親になったからこそ分かる。死してなお、子供を守ろうとする愛の存在は消えることがないのだと。
だからこそ、私のために命をかけてほしいと願うことの残酷さを理解している。
父は、母のように生きることができない。
領主である父には私よりも大事なものがあるからだ。いつの日か、母は『私はいざというとき、マリアンヌしか守りませんことよ』そう言った。我が家に何か起こったなら、私を守るために父を見捨てると。
当時はその言葉を、そのままの意味として捉えたけれど。
結婚して家族を得てから、本当は何を伝えたかったのかその真意に気づいた。
あれは、有事の際、家族を選ぶことができない父に、私たちを見捨てる決断をさせないために言ったのだ。その一方で、父が間違っても課された責務を放棄しないように手を打った。
母が先に父を見限ったなら、領主である父は領民を選べる。私たちを捨てずに済む。
「お父様!!」
立ち止ったその人が振り返る。そのまま家令に何事かを指示して、行った道を戻ろうとしている。
シンシアが握っていた手を、もう片方の手で包んでくれた。ヴィルヘイムもシンシアの反対側に立ち寄り添ってくれる。彼は父の後を追わなかったのだ。
「お前を愛しているのだ、マリアンヌ」
ようやっと戻ってきた父がくしゃりと顔を歪めた。初めて見る、弱々しい顔に息を呑む。
私にお前を捨てさせないでくれ、と喉が詰まったみたいにぽつりと吐き出された言葉。
愛が全てを解決してくれればいいのに、そうではない。
愛はただ、そこにあるだけ。戦ってもくれないし、護ってもくれない。
戦うのも、護るのも自分自身だ。
「私にはお前の母親と同じことはできない」
「ならば、どうなさいますか? 何を、してくださいますか」
両手で私の頬を包み込み「縁を切ることになる」と言った。
「承知しております」と頷けば「それほどの覚悟をしているということだな」と、口元に小さく笑みを浮かべる。
「絶縁状を用意する」
一歩後退して距離を測ったその人が宣言すれば「旦那様……!」とシンシアが声にならない悲鳴を上げた。
ヴィルヘイムがひゅっと発作のように息を吸う。
「―――――あくまでも表向きだ。安心しなさい。私は、マリアンヌを信じているからね……。ただ、もしものときはお前を見捨てることになる。それは分かるな?」
「はい」
「秘密裏にイリア様の情報を集めてお前の望む答えを用意しよう。ただ、このことがもし罪に問われるような事態になったなら、我が家は一切お前を擁護しない」
「はい」
「―――――、」
ふう、と堪えていたものを吐き出したかのように肩を落とした父が「もっと前に、お前とイリア夫人を決別させるべきだった」と言うので、
「いいえ、そうするべきではありませんでした」と答える。
離れるのではなく、はじめからずっと、傍にいるべきだったのだ。




