第10話「離れたくない」
朝礼で告げられた異動。
「営業部、蓮。大阪支社へ異動」
その言葉が頭から離れなかった。
周囲からは拍手が起こる。
「おめでとう!」
「出世コースじゃん!」
そんな声が飛び交う。
蓮は笑顔で頭を下げていた。
でも陽菜は笑えなかった。
ただ、胸の奥が苦しくて仕方なかった。
やっと想いが通じ合ったばかりなのに。
これからだったのに。
昼休み。
食堂へ向かう足取りも重い。
食欲なんてなかった。
窓際の席に座り、ぼんやり外を眺める。
すると目の前にトレーが置かれた。
顔を上げる。
蓮だった。
「隣いい?」
陽菜は小さく頷く。
二人の間に沈黙が流れた。
いつもなら心地よいはずなのに。
今日は違う。
「怒ってる?」
蓮がぽつりと言う。
「え?」
「異動のこと」
陽菜は慌てて首を振った。
「怒ってません」
本当だった。
怒ってなんかいない。
ただ。
寂しいだけ。
それを言葉にできなかった。
蓮は少し笑う。
「陽菜って嘘つくの下手だよな」
その言葉に胸が痛む。
図星だった。
「俺も複雑なんだ」
蓮は窓の外を見る。
「せっかく付き合えたのに」
陽菜の心臓が跳ねた。
付き合えた。
改めて言葉にされると嬉しい。
でもその分、苦しい。
「大阪なんて遠すぎる」
蓮が小さく呟く。
陽菜は思わず蓮を見た。
同じ気持ちだった。
会いたい時に会えない。
声を聞きたくても隣にいない。
そんな未来を想像しただけで胸が締め付けられる。
仕事終わり。
会社を出る頃には空が茜色に染まっていた。
「少し歩かない?」
蓮が言う。
陽菜は頷いた。
川沿いの遊歩道。
風が気持ちいい。
だけど二人ともあまり話せなかった。
異動という現実が重かった。
「あと一か月か」
蓮が空を見上げる。
「早いですね」
「うん」
沈黙。
そして蓮が立ち止まった。
「陽菜」
呼ばれる。
真剣な声だった。
陽菜は顔を上げる。
「俺さ」
蓮は少し迷うように笑った。
「異動断ろうかと思った」
その言葉に陽菜は息を呑む。
「え……?」
「大阪なんか行きたくない」
蓮の表情は真剣だった。
「やっと気持ち伝えられたし」
「やっと付き合えたし」
「離れたくない」
その一言が胸に刺さる。
陽菜も同じだった。
離れたくない。
ずっと一緒にいたい。
だけど。
「だめです」
気づけば言葉が出ていた。
蓮が驚いた顔をする。
「蓮さんの夢なんですよね?」
「それは……」
「だったら行ってください」
声が震える。
泣きそうになる。
それでも笑った。
「応援したいです」
本音だった。
好きだからこそ。
夢を諦めてほしくなかった。
蓮は何も言わない。
ただ陽菜を見つめている。
その瞳が少し潤んでいるように見えた。
帰り道。
駅の改札前。
別れの時間。
いつもなら「また明日」で終わる。
でも今日は違った。
蓮がゆっくり手を伸ばす。
そして。
陽菜の手を握った。
初めてだった。
恋人として触れられた手。
心臓が苦しいほど高鳴る。
「絶対に終わらせない」
蓮が言う。
「遠距離になっても」
「何年かかっても」
「陽菜のこと離さないから」
陽菜の目に涙が滲む。
嬉しくて。
苦しくて。
どうしようもなかった。
その夜。
ベッドの上でスマホを見る。
蓮からメッセージが届いていた。
『話したいことがある』
陽菜は首を傾げる。
すぐ返信する。
『なんですか?』
既読がつく。
数秒後。
返信が届いた。
『まだ誰にも言ってないんだけど』
続けて送られてきた文章を見た瞬間。
陽菜の表情が固まった。
『異動先が大阪じゃなくなるかもしれない』
どういうこと?
会社で正式発表されたはずなのに。
陽菜の胸が大きくざわつく。
そして次のメッセージ。
『ただ、その代わりに大きな問題があって――』




