No.99 十字架を背に
その言葉を聞いた憂希の体の反応とは裏腹に憂希の頭の中は大変混乱していた。目の前の男から放たれた言葉の意味を理解しているはずなのに思考が追い付かない。いくらその言葉を頭の中で反芻してもまるで呑み込めない。完全に日本語として聞こえているはずなのに全く知らない言語で何かを言われたようにすら感じるほどだ。
「....そんなの、信じられるわけがないだろっ。はぁ...はぁ...」
テンプレのようなセリフに憂希は自分で自分の言葉を疑った。しかし、完全に嘘だと切り捨てることもできなかった。実際、何度か目にしている日本軍の実験記録。内通者が盗もうとしていた記録の中にも『青少年高負荷実験』の文字は記載されていた。肉体的負荷をかける実験すら過去にはやっていたことも事実だったのだろう。憂希自身も日本軍には何かあることを疑い、何度も和日月の部屋を訪ねていた。直接質問をぶつけたことだってある。
「残念ながら、これは事実です。私たちは神から授かった力を私的に利用する国を問題視していますが、それよりもさらに劣悪でおぞましいのは日本軍であると私は考えております。神の御加護をあやかるために、手段を問わない精神性と倫理観の欠落したその姿勢は、そもそも人の道を外した悪鬼の類のものです。光が落とす影ではなく、闇そのものような考えです」
「っ....そんなっ。....バカなことが」
手の震えも頬を伝う感覚も、吸い込む息ですら気分が悪い。全身の皮膚が毒でも吸い込んだかのような悪寒と発汗が視界を揺らす。
その情報だけ切り取れば、男の主張は正常と言える。光に固執したあまり、人を拷問にかけるような集団にそこまで言わせる日本軍は確かに異常だ。軍の規模も人口も他軍に劣る日本軍がここまで食い下がっている事実に対して、あまりにも説得力のある理由だ。他の国では決してやらないような非人道的な手段を用い、それゆえに戦力を確保できているのだとしたら...。
「私たちがあなたと接触できたのは光の導きです。日本軍の闇そのものをその身に受けたあなたとこうして話すことができたのはまさに光の奇跡と言えるでしょう。他の国で力を与えられた人間の境遇がどのようなものかはまだ調査中ではありますが、恐らく条件的に境遇が似ている人間が多く固まっている可能性はあります。しかし、人工的な境遇の捏造は日本軍独自のものでしょう。だからこそ、中国やロシアは目の敵にし、情報を奪おうと躍起になっているのでしょう。そして米軍は協力関係として取り入ることで情報を得ようとしていると思われます」
「なんでそんなことまでっ」
「この世界に光が差す限り、神の目は誤魔化せませんので」
まるで用意していたセリフとのように男は答える。そもそもの政治的問題や地理的な条件ももちろん関係あるだろうが、それでも少なからずそういう意図は入っているだろう。今となっては欧州の接触すらそういう風に見えてくる。うまく思考が回らない。憂希は呼吸を整え、目の前に迫りくる否定したくなるような情報に対峙するだけで精一杯だ。
「では、今一度あなたのお考えをお聞きしたい。私たちの方針にご賛同いただけましたか」
「...日本軍に何かがあることは俺も疑っていた。その話が本当だとしたら....確かに俺は日本軍を許せない。でもっ...軍が悪だとしても、戦争が悪だとしても、そこから逃げて、一緒に戦ってきた仲間を見捨てることはできないっ。俺が一番、日本軍に利用され、陥れられているとしても、背中を預けて戦っている人がいる。...日本軍の上層部とはまた別の話だ」
「...」
理性を前面に押し出して、情報を鵜呑みにし、怒りを吐き出そうとする精神を落ち着かせる。日本軍に抱いている不信感よりも、仲間たちの顔を思い浮かべることで何とか正気を保つ。美珠や仁野、輪廻やラプラス。振動や傀。彼らは少なくとも味方だ。どれだけ騙されていようと共に戦っている。その事実だけは揺るがない。
「俺は俺個人で...日本軍の上層部と話をつける。他の仲間にこの実験がどこまで影響しているのかは知らないが、それでも戦場にいる仲間はこの実験に加担していないと思ってる。少なくとも同じグレード1は絶対に。...それに、あなたたちのやり方は間違っている」
「と、言いますと?」
「能力者とのカウンセリング前に拷問にかける時点であなたたちも非人道的だ。あなたたちの宗教上必要だとしても、相手の意見を一切無視して誘拐している時点で同じことだ。そもそも...あなたたちは能力者を集めて何をするつもりなんだ。ただただカウンセリングして軍から人を減らすだけであれば、別に能力者じゃなくてもいい。力を与えられただか言って関連付けてますけど、軍を本当に壊滅させたいであれば、上層部がメインの対象になる。...それをやってないってことは何か目的があって能力者を集めているんじゃないのか」
「もちろんです。軍を解体するよりも神に力を授かりし同士を救うのが第一優先というだけです。副次的なお話ですが、この活動を続けている以上、軍に目を付けられるのも時間の問題。もともと神から授けられた力であれば、私たちの使命を全うするために使うのは自然なことではないですか」
憂希が敢えて言及しなかった能力者を集めることが軍事行動を取ることにつながることを男は自ら赤裸々に語る。そこに一切やましいことなどない正当防衛の一環という考えなのだろう。情報を噛み砕けば噛み砕くほど、えぐみのようにこの宗教団体の異常さが垣間見えてくる。
「日本軍含め、戦争になっている時点で極端な手段をとっている組織がいる時点で、そういう話にはならないかもしれないが、あなたたちも強硬手段に近いことをやるつもりなのであればいくら正当性を訴えようとも同じことだ。殺し合いをしている相手に殺し合いを仕掛ければ、その時点で同じ土俵なんだよ」
「...その理論だと、その過ちに気づいていながらその渦中にいるあなたも同じであるというように聞こえますが」
「...ああ、そうだな」
「一つ勘違いをしているようですので、訂正しておきましょう」
「なんだ」
男は動揺を一切せず、心の乱れなど微塵もない表情と態度で、脈絡も前触れもない話題に切り替える。同じ論点で会話を継続できないストレスが、じわじわと憂希に這い寄っている。
「神崎 憂希。あなたはまるで、自分が戦争に加担していること以外はまるで罪を犯していないような口ぶりですが、それは違いますよ」
「何の話だ」
「あなたは戦争に加担する前に、罪を犯しているのです。それはとても罪深く、許されざる行いです。ですが、私たちを見ている光はそんなあなたにも平等に温かい光を与えてくださっているのですよ。...あなたは軍事行動以外でその力を用い、人を虐殺しています」
「...そんなことしているわけが」
「神の力を与えられたその日。あなたは軍の部隊に配属される前、その能力を使っています」
「....最初の訓練のことか?あれは、能力がどんなものかを確認するための模擬戦で」
和日月に軍用ヘリで連行されたのは訓練場という話だった。そこでかなり遠方から訓練用の人形か何かを的に能力を行使した。自分の能力の恐ろしさに怯え、知らずに手にしていた人を傷つける力に慄いていた。憂希はあの時の感覚を忘れはしない。
「あなたが破壊したのは訓練場に設置された的ではなありません。それに関しては完全にあなたは騙されているのですよ。あれは中国軍が展開していた朝鮮半島の前線基地でした。基地と呼ぶにはまだ建設途中であり、日本軍から見れば前線を押し上げられていた状況です。そこであなたは、建設中の前線基地をそれに携わる一般人諸共、木っ端微塵にしたのです。あなたが破壊したのは前線部隊でも兵器でもなく、軍や国に命じられて建設していたただの一般人たちです」
「何を根拠に言っているんだ...」
「私たちは世界各国の同士たちを救うべく、様々な情報網で軍の卑劣な行動を調査しているのです。そこに属することがどれだけ愚かな行為かを諭すためです。その調査結果の中であなたが破壊した前線基地の記録が中国軍の同士から共有されています。これは中国側の記録のため、完全に事実であると判断しています」
次々に開示される知らない情報に憂希はついていけない。憂希を拉致したのは中国戦による偶発的な結果であり、狙って誘拐したとは考えにくい。それでもここまで憂希を揺さぶり、精神的に追い込む情報が揃っていることはかなり不自然だ。仮に憂希を監禁している一週間の期間で世界に散らばる情報を一点に集約したとしても、あまりに重要な情報が揃いすぎている。これをすべて真実だと鵜呑みにすることは危険だ。だが、それでも無視できない。なぜなら否定できる情報を憂希は持ち合わせていない。心から信用して所属しているわけではないことや、憂希が能力を得るに至った経緯を聞く限り、日本軍であればそれをやりかねないとさえ思えてくる。
「そうやって俺が完全に否定できない情報をちらつかせて俺に日本軍を裏切り、他の仲間の勧誘に利用するつもりなのか?あなたに聞いたところで百パーセントは信じられない。身内の仲間に同じ内容を言われてもそうだ」
「事実を伝えているだけですので、日本軍を裏切ることや勧誘への協力はこちらからは強制しませんよ。そこまでこの情報が疑わしいと仰るのであればそれでは自ら内部調査をしていただきましょう。私たちはいつでも同士を歓迎しております」
何とも掴みどころのない男。発言はかなり極端であり、思想も危険だ。だが、その情報収集力は侮れない。下手をすれば欧州軍のあの老紳士よりもコアな情報を持っている可能性すらある。話を聞く限り軍どころか各国のあらゆる組織に教徒が紛れ込んでいる可能性が高い。新しく誰かを侵入させるのではなく、すでにいる者を洗脳する。立場や経歴が伴えば、それだけで重要な役割となる。
「どれほどあなたが我々から逃れようとしようとも、すでに神の力をその身に宿しているあなたは、神の光によって見守られていますので」
「ずっと監視するってわけですか...。危険思想の持主だということがよくわかりました。宗教は自由でしょうけど、人の考えや生き方まで縛る道理はない。俺はまだあなたたちの敵です」
「ここであなたがすぐに引き金を引かないのは、私が伝えた情報に一定の興味があるということでしょう。その綻びを作れただけでも私としては神の言葉を代弁できたと感じています」
「それで?自ら調査しろって話だったが、俺をこのまま解放してくれるのか?」
「ええ、あなたは光の部屋で悪を表に出さず、豹変することもなかった。その時点で即粛清対象ではありませんから。それに...すぐにあなたから接触を望むことになるでしょう」
「っ!?なんだ!?」
その言葉を最後に薄暗かった部屋は急に高輝度の光に包まれた。目が眩惑するどころではない。失明しかけるほどの強い光で目の前のすべてが見えなくなったのだ。
「っ....え」
光が弱まり、周囲が徐々に見えるようなったとき、憂希は思わず固まった。目の前に広がるのは憂希が気を失った中国の最前線。しかし、そこにはもう中国の最前線基地はない。いや、それどころか地面の起伏すら何もない完全にフラットな地形となっていた。まるで何かに焼き尽くされたような地表は明らかに憂希が参加した戦闘ではない痕跡だった。
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