No.100 奪われた世界
憂希はまず日本軍に帰還することを第一優先にした。戦場がなぜああなっていたのか、日本軍はどうなったのかなど気になることは多数あるが、最前線という危険地帯で長居はできない。何より、塩むすびのみという食事と過度な睡眠不足を中心とするあらゆる消耗が、気力も体力も限界間近まで削っていた。教祖の男と対峙していたのも、男の口から語られた情報に死力を尽くして立ち向かっていただけで、仮に相手が強硬手段に持ち込もうとしてきたなら対処できた自身は憂希にはない。
「はぁ...はぁ...」
正直、飛行できるほどの精細な能力操作は今の精神状態ではできない。懸命に歩いて荒野を移動する。装備は通信機も含め、没収されている。自分がどこにいるのかわかるだけでも救いだった。体力が回復するまで待機するにはあまりに何の障害物もない荒野。人が一人立っているだけで悪目立ちする。その場でとどまることはできなかった。雲は重く広がり、小ぶりの雨が憂希の肩を叩いている。同情とは程遠い、冷たい感触だった。
「っ....」
一人になり、憂希は教祖の男から突き付けられた事実を頭の中で復唱するように思い返す。両親の死に真相があり、それが日本の仕組んだ策略である。そんな情報をすぐに呑み込めるわけもなく、頭の中で最悪な気分が反芻する。重力が人一倍重く感じる。靴の裏が地面に焼き付いたように、一歩を踏み出すのがひどくしんどい。なぜか歪む視界が目から解き放たれる度に、頬を伝う感覚だけが鮮明に刻まれる。
「はぁ...はぁ...くそっ...」
災害という恨む相手のいない殺人者に奪われていたと思っていた両親の命は、人の手による本当の殺人。人生のすべてがあの日だけで粉々にされた。それまでへっちゃらだった雷鳴が聞こえるたびに、両親の顔とあの日の豪雨がフラッシュバックするほど、憂希に刻まれた悲劇。それが今更、歪んだ事実だったという衝撃を受け流せずにいる。
「くそっ...。なんなんだよ。...俺が何したってんだよ...」
なぜあの日に自分が墓参りに行くことがわかっていたのか。なぜ自分が選ばれた存在だと言って勧誘してきたのか。仁野は交通事故では意識不明の中、運ばれたと言っていた。輪廻やラプラスはどうなんだ。あらゆる考えが頭の中で勝手に流れてかき乱していく。
「なんなんだよ...この世界はっ!!」
思わず、歩いている足の踏み込みに力が入る。意図せず放ったその力が、憂希の中で蓄積し、とどめていた能力の出力を一気に解放してしまった。
「っ!?うわっ...」
荒野は一瞬で冷気に包まれ、一帯がすべて氷点下になり凍結する。急激な温度変化と大気の一部が固体化したことにより巨大な乱気流が発生し、渦を巻いて巨大な竜巻をゆっくりと発生させていく。竜巻はその巨大さと巻き込んだ氷の粒たちの衝突により稲妻をまとい、荒々しく世界を揺らす。
「.....」
それを他人事のように眺めながら、憂希の顔はあの人同じ表情になっていた。まるで憂希の心のうちを体現したかのような災害級の超常現象は、鏡のように憂希へ何かを訴えているようだ。自分がただの人間ではなくなったことを突き付けられているように感じた。散々認め、呑み込んできたはずの事実がここにきて痛む。ホワイトルーム拷問など比較にならないほど辛い。
「俺は...どうしたら....くそ...」
発生していた竜巻や凍結をすべてかき消すように能力を使い、思わずその場に座り込んだ。頬を伝う雨が時折温かい。濡れて流れる雨水がひどく鬱陶しい。能力で雨を避け、濡れた髪や肌を風で乾かす。混乱する自分を冷静にさせるため、一度頭を冷やす。バカみたいに自分が滑稽に思えて、笑いがこみ上げてくる。情けなくて、愚か。世界に騙され続けているような感覚にすらなる。
「...俺は、日本軍に戻るべきなのか?」
戦いを嫌い、能力を恐れている自分が、所属している軍に利用されているどころか、全てを奪われた可能性すらあるのだ。戻ったところで真実を確認できる保証はない。いくら自分が騙されていても仲間の顔を見ながら、裏切りを宣言できる度胸なんてない。そうなれば、日本軍の思い通り、再び戦場に戻り、日本軍の戦力として戦うことを強いられるだろう。その予測が、現実逃避の欲求を高めていく。
「....」
欧州の老紳士の誘いに乗って、ちらつかせていたリゾートのような環境に身を置いて、戦いから解放されることだってできる。これまでの人生をすべて否定して、何もかもを有耶無耶にして、眠る夢のような曖昧な現実を生きたっていいのだ。誰もそれを責める権利はない。唯一それを責める人間は自分自身だろう。それが一番の壁だ。自分を一番許せないのは自分だ。
「誰か...助けてくれよ、もう」
なんとなく口から出た本音。誰か明確な相手に言ったわけではない。虚空に投げたその言葉は空を切って空に消えるだけ。のはずだった。
「困っているようだね。神崎 憂希君。ここで君を助けてみせようか」
日本軍の領土や基地ですらない。荒野のどんな位置にいるのかすらわからないその場所に、雨に一切濡れていない老紳士の姿があった。
「...何の用ですか」
「これは随分とあんまりではないかな?君が助けてほしそうな状態だったから駆け付けたというのに」
「...俺にマーキングでもしているんですか。こんな場所にタイミングよく現れるなんて。てか、どこからか監視でもしていたような口ぶりですけど」
「それは企業秘密ってやつだ」
マーキングも監視もしていると言っているようなものだった。
「ここで助けを求めたら、また何かを要求されるんじゃないですか?...もう何かに利用され続けるのはうんざりです」
「相当参っているようだね。ここで付け入るのはさすがに気が引けるよ。君はこの世界大戦においてかなり中心にいる存在だ。君を利用するよりも君に協力するほうが、後々のメリットは大きいだろうからね。ここは純粋に協力させてもらうとするよ」
「...あなたはどこまで知っているんだ」
老紳士の見えない腹の内を今までであれば、意識しないようにすることで無視していたが、今そんなことをできる状態ではない。信用できるものものほうが少なくなっている現状で、最初に会合したのが未だ何者かわからない老紳士ともなれば、聞かずにはいられない。
「何の話だい?」
「俺が能力者になるまでの経緯についてですよ」
「ふむ、それは私も本当に知らない情報だ。これは誤魔化しでもなく事実だよ。信用を高めるためにあえて暴露するが、君に接触した目的の一つがそれだ。日本軍が有する独自の能力兵量産体制があるのかどうかを君から引き出そうとしていたんだ。まあ、当人がそれを把握しているかどうかは怪しい部分が多かったからあまり期待はしていなかったけどね」
「...そうですか」
「その様子だとそれを君は知ったようだね」
老紳士は知らないという言葉に、憂希は少しだけ安堵した。完全味方ではないだろうが、それでも最悪の事実をひた隠しにしている存在ではなかった。それが今の憂希には救いだった。
「真意を確かめるつもりです。その後でもあなたに共有するかはわかりません。...いや、恐らく言わないと思います。それでも助けてくれるんですか。........っ!?」
半分諦めのような問いかけを老紳士に対して吐き出した。自暴自棄に近い。しかし、その問いに答える前に老紳士は行動に移した。場所が瞬間的に切り替わっていた。まだ中国との最前線付近ではあるがそこは日本軍が最前線部隊を展開した場所だ。それが意味するのは日本軍が軍事的に侵攻できるところまで移動できたということだ。そして、憂希が何より驚いたことは老紳士の姿が変わっていたことだ。初めて見る青年。自分と同年代くらいのその青年にはどこか見覚えがあった。
「君が知りたがっていた私の正体を明かそう。これを信じるかどうかは君に任せるよ。改めまして、私はケビン・ブラウン。君と同じ、能力者だよ」
「...あの姿は何だったんですか」
「カモフラージュだよ。世界を回っているからね、仮の姿でいなければ特定されて抹殺されかねないだろう。迂闊に飛行機にもすら乗ることができないからね」
飛行機なんて乗らなくても関係なく移動できるだろ、と憂希は内心思っていた。見た目はかなり若い。二十代前半くらいの容姿に老紳士のときのブロンドヘアーとは打って変わって、茶髪。体格も細身になっているように感じる。
「...その姿が本当かどうかはこっちで判断しろということですか...。どんな能力かまでは教えてくれないんですか」
「随分とハングリーになったものだね。まあ、自分のことなのに知らない情報を隠されていた直後だ。無理もない。ただ、能力の開示はまたの機会にさせてもらおう。君とこうやって接触しているのはあくまで個人的な話だ。欧州と日本という関係性で言えば敵対関係なのだから、ここで自ら不利になるよう手を回す必要はないからね」
「...それもそうですね」
「では、私はこれで失礼するとしよう。君の所在を確認し、君が私の知りたい情報を掴んだことを確認できた。はるばる遠方まで来た甲斐はあった。また改めて、君に会いに来るとしよう」
「...あなたは本当に、能力者の社会を作るつもりなんですか」
その場から去ろうとするケビンを憂希は引き止めるように問いかける。ケビンは振り返らずにその場に立ち止まった。
「無論、そのつもりだが」
「今回...俺を監禁した相手のことを何か知っていますか?...あいつらもほとんどが能力者で構成されていると思います。テロ行為に走るような能力者がいたとしたら、どうするつもりなんですか」
ケビンはそのまま、憂希に顔を向けることなく答える。
「私が目指す世界は能力者によって活性化し、より豊かになる世界だ。...そこには能力者同士の秩序が必要となり、お互いがリスペクトを持つのが前提。...それを破壊する存在がいるとすればそれは、私の敵だよ」
そう言い放った瞬間にケビンは姿を消した。老紳士の姿だったときを含め、憂希がこの男から明確に敵対意識を向けるような発言を聞いたのは初めてのことだった。
日本軍が前線部隊を構えていた場所まで移動できたことから、憂希は自分の能力制御の精度を維持するために少しその場にとどまることにした。体力というより気力の問題だ。いくら飛行が可能とはいえ、海を渡るレベルの移動である。途中で制御が崩れて落下しては元も子もない。精神が不安定な今、ここで冷静さを欠いては最悪の事態を招く。
「...あの人も知らない情報を把握していたって事実が、もうやばいだろ。...そもそも欧州軍においてどんな立場なんかも知らないが」
ケビンもあくまで世界情勢や国の内部事情などにはそこそこ精通しているのだろうが、他国の裏側や国の中でも秘匿されている極秘情報などのレベルとなると、さすがに把握はしていないらしい。そこだけで言えば、各国に所属している組織の人間を自分の手駒として洗脳できる方が、情報は掴みやすいのだろう。
「くそ....」
悪態が止まらない。不満や不安が呼吸のように口から洩れる。まだ日本に帰れていないという不安感もまだしっかり残っている。たった独りという孤独感はぬぐい切れない。
「....頭がおかしくなりそうだ」
監禁や拷問なんかより、突き付けられた残酷な事実のほうがよっぽど精神をずたずたに引き裂く。いくら頭を振っても髪をかきむしっても、こびりついて離れない不快感。雨はもう能力で凌いでいるのに、目から頬を伝う感覚が止まらない。座り込んで、ひどく肩を落とし、頭を抱え、嫌な情報が目の前にちらつくのをどうにか振り払おうとする。
「...ん。今、声が...。いやこんなところに声なんて」
「......いた!本当にいた!!憂希君いた!!美珠ちゃんこっち!輪廻ちゃんすごい!!」
「ゆーきっ!ゆーきっ!」
「隊長ッ!神崎のやついました!面倒かけやがって」
「...え、皆?」
遠くから駆け寄ってくるの姿はまるで夢のような光景だった。精神が限界を迎えたがゆえに脳が見せている幻覚なのかとすら感じた。しかし、輪廻や仁野が憂希に抱きついたその感覚は間違いなく本物で、それ実感した瞬間に憂希は今まで襲っていた緊張や不安から一気に解放されるように、その場で気を失った。
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