No.92 白い牢 光の拷問
憂希が隔離されてから二日間。光信聖教からの接触は一切なく、定刻に塩むすびが運ばれてくるのみで、それ以外にこの部屋での変化はない。もはや、その塩むすびすら定刻なのか判断できないほど、時間間隔が遮断されている。二日経ったという感覚すら憂希にはつかめていない。まるで数週間閉じ込められているかのような絶望的な終わりの見えない感覚が植え付けられている。
「.....」
自分の声すらうるさく感じるほどの静寂により、憂希は声を発することすらなくなっていた。そもそも何を聞かれ、何を観察されているかわからない。うつ伏せで顔を覆っても侵入してくる光によって、十分な睡眠はとれておらず、塩むすびという偏った栄養がそこに拍車をかけて思考を狂わせてくる。初日に聞いた合成音声がどこか遠くでなっているかのような錯覚がある。監視されているという状況が何もないはずの壁や床にカメラが多数仕掛けられている感覚になり、自分の姿を晒すことに強い抵抗すら感じていた。
「....」
本当にこのままずっと閉じ込められたままなのか。日本に一生帰れないのか。いつか合成音声の声の主のようにわけのわからない思考に染まってしまうのか。あらゆる確証のない不安感が足元から這い寄ってくる。外側から照らされる光が強すぎて、自分の中に濃い影が落ちる。
「いや...ここでできることもある」
憂希は自らここに残ることを決めている。自らを餌に情報をつかむためだ。風を使ってあらゆる隙間は通気口から何かしらの施設の全体像を確認しようと試みるが、通気口があまりにも長く、詳細までは確認できなかった。ただこのままでは刺激を極端に排除された状態により精神的に消耗し続ける。そのため、憂希は能力の制御を高めるため、修行という刺激を自ら与えることにした。ただ、外部に出力してしまうと相手に何かしら理由や屁理屈を捏造され、神の裁きだのなんだのと強硬手段に移行される可能性がある。それを避けるためにも自分の内側にとどめた能力制御に限定した。
「ふぅ...」
炎熱や氷雪を軸にした温度の出力強化や雷電の出力を対象内部からに切り替えるなど、戦場では能力の応用から手段を増やした。しかし、自分自身に能力を付与するというテクニックを憂希はまだ完全には身につけられていない。
「自分を炎そのものにするかのような....」
劉と対峙した経験は憂希にとって大きい。ただ、その効果で長期戦闘が困難になることも多かった。火力上昇や大気氷結では周囲の酸素が枯渇し、呼吸すらまともにできない状況になる。言ってしまえば短期決戦の諸刃の剣だ。しかし、劉は周囲の状況どころか自分の体すら変化させていた。融解した体は人間としての原型はほぼとどめていなかった。体組織としてどうなっていたかも定かではない。ただ、体が崩壊しないギリギリで制御することはできれば、能力の幅は大きく広がる。
「いろんな属性を同時に....自分の中に」
一つの要素を極限まで高めること自体は不可能ではない。まだ完全ではないにせよ憂希は実戦でそれをやってみせた。だが、それでは属性単体の能力とやっていることは変わらない。グレード1で複数の属性を掌握できる憂希の能力だからこそ、同時併用することこそが真髄だ。
「...俺の能力はどんな能力なんだ」
天変地異を顕現する力。地水火風を掌握する力。それだけでも十分なほど強力ではあるが、まだ理解できていない本質が存在する。実際、なぜ氷や水、雷や炎を発生させることができるのかを深く考える。そこに科学や物理学的な解釈や見解が介入できるのかは不明だが、それでも何かしら理論や筋が通っているはずだと仮定する。
「...まずは維持できるようにしよう。いつでも体内でフルに出力できる状態でいられるように」
自分の自律神経で制御できるレベルまで体に叩き込む。望んではいないがその感覚のみに集中できる環境だ。自分の心音や体の動作ですらうるさく聞こえるほど感覚が研ぎ澄まされている。体中の感覚が剥き出しにされているような状態だ。この状況を逆手に自分を磨くしかないとさらに追い込む。
「くっ....きつい」
体力は特に回復していない。回復した分かそれ以上に擦り減っている。だがそれは精神の話だ。体は少しずづ戻ってきている。言い訳にはできない。極限状態でこそ発揮できなければ意味がない。そう自分自身に鞭を打つことで自我を保ち、この部屋による消耗など気にならないほどの訓練で乗り切る。かなり無理やりな解決策ではあるが、何もしないで耐えるよりも刺激を自らで生み出す方が見通しがある。
憂希はここからさらに一週間ほど、この部屋で隔離される。その間、光信聖教からの接触は一切なく、外的な変化は塩むすびが運ばれてくるのみ。通常なら強いストレスにより幻覚症状や被害妄想など、強抑うつ病やパニック障害になるほどの期間である。
光を信仰し、光に狂った集団はその光に人を晒し続けることで人を破壊し続ける行為に走っている。ホワイトルーム拷問と呼ばれるこの隔離は完全な白と無音による感覚の剥奪を目的とした非人道的な心理的拷問である。これにより、光信聖教に入信したほとんどの者が自己認識を失い、新たな人格と宗教を植え付けられ、完全に取り込まれているのだった。
中国が日本本部を襲撃し、日本が中国拠点への反撃作戦を決行するまで三日。憂希が光信聖教に捕らわれているおよそ一週間。この十日間、日中だけではなく、世界も動いている。日本と中国が本格的な激戦状態になっている状態で、米軍はロシア軍に対しての軍事行動に本腰を入れていた。米軍も日本ほどではないがロシア軍と欧州軍に挟まれている構図となっており、海を隔ててはいるものの緊張状態になっているため、その状況を好転させるために動いていた。
「日本との共同作戦で私たちはロシア軍に対してかなり有利な状況よ。ロシア軍領土まで踏み入れたこの好機を逃すには惜しいわ。ここで一気に叩くわよ」
「日本はどうやら中国軍に奇襲されたみたいだけどいいのかい?」
「協力要請は来るでしょうね。でも私たちにとって、中国軍は一番の脅威ではないわ。今排除すべきはロシア軍よ。欧州軍の動きは相変わらず読めない。あそこはずっと刺客を送ってくるのみで敵対宣言している私たちに対して、明確な軍事行動はほとんどないわ。よって、必然的に対処すべき相手は絞られるでしょう?」
「そうかい。欧州軍には面白い能力者がいたから興味があったんだけどね...」
「ああいう能力者がさらっと前線に出てくるのだから、欧州軍の力は未知数よ。侵攻を容易に許さない程度に牽制して、様子を見るに限るわ。あなたもようやく回復したのよ。まだ前線に出るのは早いわ」
「臨死体験というのもなかなか面白い経験だったよ。それで?ロシア軍には誰を送るつもりなんだい?」
「確認できているロシア軍の能力者は兵器操作、ベクトル掌握、変化拒絶、熱支配。おおよそ出揃っているはず。AZと呼ばれる能力兵器は確かに厄介だけど能力はグレード1にしては単純。ただ、そこに対策は必須だわ。よって小龍を筆頭に前線部隊を組むつもりよ。神酒には後方部隊で待機してもらい、ロシア軍から誰が出てくるか次第で対応を決めるわ」
「私の出番はなさそうだね。じゃあ実験室にいるから、何かあったら声をかけてよ」
「状況次第ではアレックス、あなたの出撃もあるわ。準備だけはしておいて」
アレックスは司令室から手をゆったりと振りながら振り返ることなく退出した。米軍の司令であるボイセンベリーは先の大戦で大幅に削られたロシア軍を一気に畳みかけるために軍事作戦を立案している。本来であれば日本軍の能力者を利用し、徹底的にロシアを追い込むところだが、中国軍による日本本部襲撃の速報が米軍側にも届いたことから、米軍単独で軍事行動を行う必要がある。米軍としては軍事力の明確な消耗を避けて、他国の軍事力が削られていくよう立ち回ることを主軸としていた。戦況が悪い場合は援軍要請し、軍の壊滅を避けた。
「思うように事が運ばないわね。...とはいえ、ロシア軍の危険因子は脅威。私たちの能力では太刀打ちできない可能性がある以上、軍として崩壊させることが優先。AZの量産が想定よりも早かったことが誤算だけど、神酒があれだけ削った後であれば同じ数は出せないでしょう。ここしかないわ」
ボイセンベリーの狡猾さは軍の司令としては必須だろう。どれだけ他を利用して自陣営を効率的に勝利へと導くか。戦争においてはそれに限る。泥臭い消耗戦などやっていられない。
「能力者という核兵器に勝る軍事力。これをまた米軍が中心となり管理することで世界情勢を維持しながら、アメリカがその中核を担う。政府も簡単に言ってくれちゃって」
お気に入りのコーヒーマシンでエスプレッソを淹れながらボイセンベリーは呟く。その顔は言葉とは裏腹に少し楽しそうに笑っている。生粋の軍人であり、戦争に心を滾らせる戦士。自らが切り開く勝利の果てに祖国の展望がかかっているというプレッシャーすらボイセンベリーにとってはスパイスでしかない。
「だけどまあ。...危険因子を所有する国を早めに潰しておくに越したことはないわね。No.999は半分単独テロだけど、ロシア軍は軍の要。排除すべき脅威よね。うちにも危険因子がいてくれたら楽なんだけど」
ロシアの話を頭に思い浮かべながらボイセンベリーが目を通している手元の書類には『欧州軍能力兵調査記録』と英語で記載されている。
「...危険因子が絶対にいるはずの欧州軍。しっぽを全く出さないどころか、グレード1の能力者すらまともな情報を得られないとは。中立派を装っているだけであって動きも軍事力も不透明。やはり一番の脅威は欧州軍ね」
ボイセンベリーはマグカップをデスクに置いて、司令室を出る。これから米軍を編成し、ロシア領土侵攻を決行するため、作戦会議を開く。
「さあ、どんなpartyにしようかしら」
まるでこれからホームパーティーに向かうかのような足取りで、会議室に向かう。日中での戦争が勃発している最中、米露もまた緊張状態に入ろうとしていた。
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