No.90 静まり返る戦場
仁野はすぐにその場から離れる。仲間の窮地を救えないことに後ろ髪を引かれる。仲間に降り注ぐ凶弾や凶刃から身を挺して護ることができない。戦場に最初から自分がいるのに、自分は標的にすらされず、仲間が次々に倒れていく。自分だけが最後に立っていても、戦争では勝利とは言えないのだ。
「もうっ...。うちじゃなんもできないっ。...グレード1なのに」
仁野は護りたいという欲求が強すぎるがゆえに、敵を倒すことに集中できていない。戦争において勝利とは自軍を護り切ることではなく、敵を撃ち滅ぼすことである。継戦能力を削ぎ、軍を壊滅させ、物資を途絶えさせ、人を殺す。敵軍の攻撃をすべて無効化することも勝利につながることはあるが、それは現実的ではない。平和的思考が仁野の活躍に自分でブレーキをかけているのだ。憂希が最前線に立つことが多いことに甘えている部分もあるだろう。まだ自覚できていない仁野の弱さが、まだ仁野自身を年相応の女子に留めている。
「美珠ちゃんっ。お待たせっ」
「仁野ちゃんっ、お願いっ」
小柄な美珠を抱えるように仁野はすぐにその場を離脱する。美珠の体を破壊しないように手加減をして移動する。それでも美珠の視界では世界が早送りのように過ぎ去っていくような速度だ。
「ここまできたら...大丈夫かな」
仁野は中国軍の前線基地と対日本軍基地のちょうど中間くらいの位置まで後退した。
「うん、大丈夫そうかな。...こちら、救護班の安楽堂です。仁野さんと一緒に離脱しました。花菱中佐、聞こえますか」
『こちら花菱です。離脱したこと承知しました。一度その場で待機を』
「すいません、少し試したいことがあります。症状は神経毒などに近い症状でした。吐血反応から見ても、敵の能力は毒に関連するものだと思います。ただ、麻痺となると重篤化した場合、呼吸器系や心臓など生命維持に関わる機能まで麻痺すれば、私でも治療ができません。...今、相手の能力範囲外のギリギリで私の能力でこれ以上症状が悪化しないように治療させてください」
『その遠距離から能力を行使することが可能なのですか』
「まだわからないです。能力の対象が目視できれば狙いを外すことなく治癒できます。それは治癒する対象を外さないようにするためで、目視してなくても能力自体はできると思います。...治癒速度は遅いかもしれないですけど、逆に狙いをつけないことで全体的な治療ができないか試したいんです」
『なるほど..。概念的には可能性があると。ただ、それにより能力リソースが大きくなるのであれば、危険ではありませんか?』
「いくら今温存しても、時間が経って全滅してしまったあとでは...能力を使うこともできません。それだけは避けたいです。治療できる可能性があるのに、それを選ばないのは医者を志した者として受け入れられません。我儘言ってすいません」
『今は藁にすがる思いです。お願いします。仁野一等兵は前線に戻り、敵の動きを私に通達してください』
「ありがとうございますっ」
「了解っ。美珠ちゃん頑張ってねっ」
「ありがとうっ、仁野ちゃんも無理しないでね」
仁野はまたすぐにその場から離脱し、美珠はその場で能力に集中する。治癒する感覚は正直漠然としている。自分からなにかが発するわけでもないため、目の前で治癒の効果を確認することでしか能力を行使できているかどうかわからなかった。だが、今まで誰よりも能力を使い続けてきたその感覚を信じる。
「っ...。お願いっ」
美珠は治癒の能力を日本軍全体に向けて放つ。願いに近い所作でただただ回復を望む。ただ漠然とした治癒ではなく、イメージするのは神経毒に対する治療だ。解毒や構成物質投与、毒素分解や筋肉の痙攣などを軽減するように治癒を施す。実際、美珠の能力における治癒速度やリソースの効率化を高めているのはその具体的なイメージだ。手放しで治癒できる能力とはいえ、専門的な知識は確実に能力にも影響している。だが、それを美珠が自覚することはない。
全力で落雷を放った憂希はその手応えの無さにすぐ竜巻を解除し、状況を確認した。そこにさっきまで確実に捉えていた中国拠点が完全に姿を消していた。
「なっ....。いや、まるごと移動してる。空間転移系の能力か...?考える時間を与えたら空間操作相手じゃ勝ち目がない...。...なんか通信が。ダメだ電波が悪い」
ブツブツと通信が途切れ途切れになり、何を言っているかまでは聞き取れなかった。何か日本軍側に起こっているかもしれないことはわかったが、状況は不明だ。
「スピード勝負だ。...後ろに下がったなら砲撃の飛距離は変わってる。なら防御しながら攻撃する必要はない。...空間操作がいるってことはこっちに攻撃してきている能力とは別。火の能力者だっている。まだ拠点にも複数の能力者がいるだろうし」
中国軍側の能力者や動きを分析しながら憂希はまた集中する。一気に全開まで出力しなければ反撃や対策を許すことになる。複数の能力が敵にいる以上、憂希の位置を把握されたり、目視されれば即死的な能力で蹂躙される可能背がある。出し惜しみ無しの一撃で終わらせるのがベスト。
「見えない位置から...一気に仕掛けるしかない。ブラフは使えない。こっちの攻撃を全方位で防御されたら何やっても通じない。...全方位から最速で防御できないように」
劉には熱量で上回られたことで通じなかったが、今回狙う対象は能力者単体ではなく敵軍基地。そうなれば憂希の中で最速の攻撃は雷だった。ただ、空間を隔絶されたりすれば外側からの攻撃は難しい。だが、憂希はすでにロシア戦でその対策を学んでいる。
「拠点を起点に放電すれば防御なんて関係ないっ」
今度は自分に能力を付与するのではない。狙った対象に能力を付与し、そこを起点に最大出力を放出する。強制的に憂希の能力を付与され、内側から最大出力を解放された対象を反応する間もなく蹂躙するのが絶対防御的な能力には有効だ。
「ふぅ...。っ...なんだ。手にうまく力が入らない。....限界にはまだ早いぞっ」
自分の体が弱っていようが、疲労でうまく体が動かなかろうが関係ない。幸い、能力を付与する対象は自分ではない。自分がいくら限界だろうと敵拠点をいち早く壊滅させることが優先だ。敵の攻撃が人体に直接影響のある症状を出す以上、足踏みなどしていられない。憂希は自分の体にさらに鞭を打ち、能力の出力態勢に入る。
「日本にこれ以上...攻撃できないようにしてやるっ」
中国拠点を視界に捉え、その中心に雷の核のようなエネルギーを置いて、そこからすべてに伝播するように放電する。一気に解き放たれた稲妻は雲や岩に橋を架けるように広範囲に広がり、光り輝く枝葉を展開する。雷光の柱が何本も形成され、それらすべてが呑み込んだ物体を片っ端から消滅させる。雨雲に伝わった稲妻は雨雲の中を駆け回り、いくつか地面まで飛び出して戻ってくる。空間が引き裂かれたような轟音が唸りを上げ、それ以外をすべて静寂に変えた。
「はぁ...はぁ...はぁ...。...ダメ押しだっ」
超高電圧を数十秒、中国拠点の範囲で出力し続けたことが、憂希に肩で呼吸をさせる。だが、憂希はそれでも足りないと言わんばかりに、吹き飛ばした中国拠点があった大地に地獄の扉を開き、真っ赤に燃える地球の体液を噴き出させる。溶岩はたちまち地面を呑み込み、流血のように滴る。拠点を破壊したとしても、無生物の再生を始めとした他の能力を行使されては再建されてしまう。憂希はそれを阻止するため、地面を焼き尽くす溶岩に変貌させ、再生をすぐには許さなかった。活発な火山が山などなかった場所に出現し、傷口を開かれた地球は自発的に噴火を繰り返す。噴煙と火山灰が舞い上がり、作戦区域はたちまち避難エリアに変貌した。
「ぐっ...はぁはぁ...はぁはぁはぁ。くっ。...あれ」
さきほど感じた自分の体に力が入らなくなる感覚がより鮮明になる。だが、能力の過剰行使を何度も行ってきた憂希はそれに違和感を覚える。疲労感や倦怠感からくるような脱力感ではない。体が急に言うことを聞かなくなったような感覚に近い。前兆の無い脱力感。
「動け...ない」
能力もまともに扱えなくなり、空中から無抵抗で落下していく。抵抗すればするほどその脱力はどんどん強くなっていくような感覚すらあった。空を切る感覚が肌にこびりついていく。まだ完全に能力を使えなくなったわけではない。地面に衝突する直前の急ブレーキのために温存しながら、憂希は自分の体に起きている異変について思考する。
「っ...なにが」
『っ...ブブッ...ザッ...か...おう......。神崎じょ...聞こ...ますか。神崎上等兵、聞こえましたら返事を』
「花菱...さん。聞こえます」
『つながりましたか。こちら花菱です。状況確認の前にこちらから命令を出します。今すぐ戦場から離脱してください。敵の能力により日本軍は他二人を除いて行動不能となりました。実質的な壊滅状態です』
「なっ...」
『今、仁野一等兵が安楽堂上等兵と共に戦線を離脱し、安楽堂上等兵が作戦区域外から日本軍への治癒を試みています。ただ、それを当てにできるほど状況に猶予はありません。日本軍は直ちに撤退する必要があります。神崎上等兵もすぐに離脱してください』
「っ...。体にうまく力が入らず...ここから....移動できそうに...ありません。口もうまく...回らない」
『っ...。神崎上等兵も敵の能力に』
「拠点は...破壊しました。能力者は...わかんないです...」
『敵拠点の破壊を成し遂げたのですね。...敵の反撃は』
「...ない...で。....俺は...だいじょう...なので...。みんあ...いげて」
『...申し訳ありません。一度、今動ける兵士のみで撤退し、捜索隊と救護隊を編成します。安楽堂上等兵の能力は効果があることがわかっています。ここで彼女を失えば、日本軍は本当に壊滅です』
「はい....ふありを....よおしく...しあす」
『了解。申し訳ありません。すぐに戻ります』
花菱からの通信はそこで切れた。憂希は意識だけははっきりした状態のまま、迫りくる地表にギリギリで絞り出した能力による風でクッションを作り、勢いを軽減した。しかし、その出力は制御できておらず、思った以上に発生した衝撃により、憂希の体は地面と水平方向に吹き飛び、地面をしばらく転がった。
「うっ...ぐっ...」
もう声をうまく出すことさえ難しい。うつ伏せのまま動けないが、地面を少しでも抉り、敵に見つからないよう地表から深さを出し、身を隠そうとする。体の厚みのおよそ半分ほどが埋まる程度の位置まで周囲の地面を下げたところで、憂希は完全に身動きを一切取れなくなった。何もできぬまま、限られた周辺の情報の中で、静かにゆっくりと憂希に近づいてくる足音をマヒする感覚の中でもしっかりと憂希は感じ取っていた。
中国陣営、前線拠点および対日本軍用軍事基地、全壊。日本陣営、対中国軍奇襲中隊、地上部隊二名、爆撃部隊三名を除いて行動不能。意識不明者多数、心肺停止者少数。形としては日本軍側の作戦成功による中国軍大打撃という結果ではあったが、ほぼ痛み分けに近い結果となった。およそ半日後、米軍共同の捜索隊および救急隊が編成され、行動不能兵の回収作戦が決行されたが、唯一、憂希のみが行方不明となり、数日の捜索でも発見できなかったことから回収を断念。日本軍は貴重なグレード1の所在を掴めぬまま帰還することとなった。
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