No.78 よりどころ
憂希は倉庫整理で見た資料がβ版であったことが頭から離れない。最後の精神的負荷に移行するという文言からα版として正式に実験された、もしくは継続して何かをしているとすればそちらだろうという予測も容易だ。
「...」
ただ、それを振動たちに相談すべきかも悩んでいた。理由は単純で、そもそも日本軍の立て直しが優先されるこの状況に置いてさらに問題を発生させることは適切ではない。内部での揉め事となればなおさらだ。
「でも...俺やニノは意識はなかったにしろ、精神的に何かされたわけじゃない。何か施術を受けたんだろうが、それもよく知らないし」
施術時間はそこまで長くはなかったと記憶していることもあり、この世界に入った直後に連想できるものは思い当たらない。
「...また後にしよう」
憂希は一旦この問題は置いておくことにした。環境変化どころではない状況で皆がピリついている。まずは今できることをやることが最優先だ。
憂希は自室から輪廻がいる部屋へと向かう。今までは専用の隔離部屋で生活してきた輪廻だが、本部襲撃に伴い今は憂希や仁野と同じような部屋で生活している。部屋の広さもそうだが、そもそも人間的な生活に慣れていない輪廻からすれば生活環境の激変という、日本に連れてこられたとき以来のストレスが襲ってきている。その当時からすれば人間性はかなり向上したが、それでも精神的に安定しているかは別の話だ。
「輪廻、いるかい?」
扉をノックするよりも声をかける方が輪廻を刺激しないと判断し、憂希は優しく扉の前で声をかけた。
「ゆーきっ」
扉の向こうから輪廻の元気そうな声が聞こえ、憂希は少し安心しながら扉を開けた。
「ゆーき!」
輪廻は大型犬のように大きな動作で部屋の奥から飛びつくように駆け寄ってきた。能力で変化していなくても尻尾が見えるようだった。
「大丈夫かい。ここの部屋には慣れた?」
「ん~きらいじゃないけど...すきにはなってない」
まだ慣れていないのだろう。そこまでリラックスできるような環境ではないことを輪廻は知っている言葉で一生懸命に説明している。
「輪廻が好きそうなタオルとかクッションをちょっと持ってきたんだ。前の部屋にあったやつとはちょっと違うかもしれないけど」
「ん~...スンスン」
輪廻は値踏みするように匂いを確認する。新品の匂いは人工的で動物は好まないのかもしれない。
「これがいい」
「え、これ?」
憂希は少し驚いた。大きめのクッションがなかったこともあり、ダメ元で持ってきた大きい犬のぬいぐるみを輪廻は気に入ったようだ。
「ちがうけど...おなじかんじがする」
「...あぁ、そうだね。じゃあこれにしようか」
憂希はすぐに納得した。輪廻が感じたのはそのサイズ感と風貌がかつての母親にどこか近い雰囲気なのだろう。それに安心感を本能的に求めているのかもしれない。
「...輪廻、この前の戦いのとき、助けてくれてありがとう」
「うんっ」
憂希は改めて輪廻に命を救われたことに対する感謝を伝えた。輪廻は褒められたと思って嬉しそうに返事をした。
「さっきね、しらないひとがこれくれたの」
「え?」
その言葉だけ聞くとまるで不審者に接触を受けた児童のようだが、ここは軍の関係者しかいないし、輪廻は言動こそ幼いが背格好は憂希と変わらない。
「これっ」
そこにはずらっと並べられた様々な生物図鑑の山があった。後から聞いた話では、軍の関係者が自分の子供が卒業した図鑑類を輪廻に寄付したようだ。
「すごいな、本部が焼けて図書室もなくなったけど...これなら困らないね」
「でね~。...これなに~?」
その中で輪廻が見せてきたのは伝説・神話の生物図鑑というものだった。子供向けのようで絵柄は神話の記述のようなタッチで描かれていて中々リアルなものだった。・
「ん~なんて言ったらいいのかな。昔の人はね、言い伝えを残しているんだけど」
「いいつたえ?」
憂希は伝承や神話を説明しようとするが、頭の中で考えれば考えるほど難しい。現時点で実在しない架空の存在をなんと言ったらいいのかわからず、少し混乱する。
「輪廻は風や水、雲や木はわかるよね?」
「うん」
「それが何であるのか、っていう難しいことを昔の人は物語にしたんだよ」
「ものがたり?」
「そう、お話にしたんだ。風は誰かが作ったとか、海は誰かが作ったとかいう風にね。この図鑑の生き物はその話の中に出てくる生き物なんだよ」
そこから憂希はなるべくわかりやすく、完結に神話や伝承について説明しながらその図鑑を輪廻に読み聞かせた。恐竜の時と同じくらい目を輝かせてそれらを眺めていた。確かに架空の生き物ともなればさらにロマンが詰まったものだ。生物への関心が高い輪廻にとってはなおのこと興味深いだろう。
「こういう話は大人子ども関わらず好きな人は多いんだよ。憧れというか夢というか」
「へえ~~すごいね~~」
「ふふ、そうだね」
純粋な輪廻に癒され、憂希は思わず笑みがこぼれた。最初は能力のヒントになるかと思い、読み聞かせ始めたが、今は輪廻とのコミュニケーションとしての側面のほうが大きいだろう。
「あとで映画やアニメとかのおすすめをニノやラプラスに聞いて、出てくる幻の生き物を映像でも見てみようね」
「うん!」
恐竜の時にもこの話をしたまま、見せてあげられていないことを思い出し、憂希は少し罪悪感を感じながら本を閉じた。もう少し落ち着いたら映画でも博物館でも行こう。可能か不可能かもわからない平和な日常を先延ばしにするように、憂希は心の中で呟いた。
中国が日本を仕掛けている間、米軍は一度追い詰めたロシア軍に継続的な攻撃を仕掛けており、日本軍の援護にまで手が回らなかった。支部襲撃から本部襲撃までのスパンも短く、米軍が介入する隙が無かったとも言える。それは中国側の作戦勝ちといったところだろう。
ロシア軍は米軍からの攻撃に防戦を強いられ、前線をかなり押し上げられた結果、米軍の侵攻は海を越え、ロシア領地にまで及んでいた。米軍はユーラシア大陸に上陸し、海を背にした前線基地を構えることでロシアに対してかなりの圧をかけている状況。米軍にとっても中国の日本奇襲は予想外ではあったが、ロシアを攻める好機を逃すわけにもいかず、目の前の戦いに集中する方針を固めている。
「なぜニコの施術を止めなかったのですか」
そんな追い詰められた状況であるロシアにて、ネスメヤナはグリゴリーに詰め寄っていた。感情が見えない冷静沈着な彼女が珍しく感情を感じさせる態度を示していた。
「お前は賛成側だと思っていたが、何を危惧している?」
「失った部位に義手、義足を取り付けるのはまだ理解できます。...しかし、それに武器を内蔵するというのはいかがなものかと」
「ニコの提案だ。能力との相性もいいだろう。AZの技術も活かし、人間の体に適応するように施術する。それの何が不満なのだ」
「...いえ、出過ぎたことを申し上げました。申し訳ございません」
「思うことがあるならニコと話してみよ。俺は当人の意志を尊重したまでよ」
「了解」
ネスメヤナは自分でも少し混乱していた。軍に尽くし、国の勝利に貢献することこそ自分たちの存在意義であり、銃に込められる弾丸と同じだと自負していたはずだった。それは自分だけではなく、この軍に所属する者すべてに当てはまる。そう教えられ、疑うこともなくそれを信念として戦ってきた。
「あ、ネスメヤナ!やっほ~」
そんなネスメヤナの心象を微塵も気にしないニコはいつも通りの反応で返す。しかし、その大きく振る手には少女の体に似合わぬ重厚な金属がついていた。ネスメヤナの目に少しだけ力が入った。
「見てよっ。かっこいいでしょっ。さすがにロケットパンチとかは無理だけど銃弾やナイフは仕込めるよっ」
まるで新しく買ってもらったおもちゃではしゃぐ子どものように自分の体に施された改造に目を輝かせている。ネスメヤナはどうしてか、その光景に知らない痛みを感じた。
「...それでよかったのですか」
「うん、何で?」
本当に何の後悔もない顔をしてネスメヤナを見る。それは何の穢れもない無垢と呼べるのか怪しい純粋さだった。
「武器を扱うならまだしも、その腕と足でまた無茶な戦い方をするのではないですか」
「戦い方に無茶とかなくない?必要な時に必要な分だけ必要なことをする。...なんかそんなことよく言ってなかったっけ?」
「私が言ったのは...いや、今はそういう話では」
手足が機械に変わろうとも本人は何も変わらないニコに、ネスメヤナは自分がいつも通りではないことを自覚する。
「どうしたの?大丈夫?」
「はい、すいません。忘れてください」
「ネスメヤナ見てよ!義手や義足に仕込むなら何がいいと思う?AZもスラスターとかいろいろ装備してるから普通の人間相手なら能力無しで戦えるかもね」
ニコの病床の机に描かれていた義手義足の改造案を見て、ネスメヤナは何も言えなくなった。その自分自身にすら困惑していた。自分でもなんて反応したかわからないまま、ネスメヤナはその場でニコを見続けることができずに思わず病室から出た。
「...私は何に」
確かに付き合い長さはこの部隊においてグリゴリーやニコはずば抜けて長い。この戦争が始まる前からこの世界にいるのだ。ネスメヤナやニコはそもそもが軍人以外の選択肢を人生に用意されていなかった人間だ。一般常識を学ぶよりも先に武器の扱いと戦闘技術を学んだ。
「...隊長が怪我をすれば私はどう思うのでしょう。...ニコが死ねば私はどうなるのでしょう。...私が死んでも二人は変わらないのでしょう」
長いこと身を置いている殺し合いの世界でなぜか、ふと俯瞰してしまった。顔色が変わらない無表情に物悲しさの色が移った。銃身のように冷たい心が少しだけ温度を取り戻したが、冷めきっていた心にはその温かさが火傷のように痛む。痛みに慣れているはずなのにそれが今はたまらなく痛むのだった。
ご拝読ありがとうございます。
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素人の初投稿品になります。
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