No.109 混沌が滲む世界
光信聖教の対応を優先したことにより、欧州軍の各国の先兵や内偵に対する過剰なまでの処理が薄くなってきたことをロシア軍以外も見逃さなかった。ケビンの接触を確認してから、ずっと欧州軍を警戒していた米軍もまた、継続的に先兵を派遣し、欧州軍の情報を仕入れながら、付け入る隙を窺っていた。
「こちらにも宗教団体の刺客はいるにはいるけど、もともと民間人の志願制にしているし、情報統制や閲覧権限についてはすぐ問題になることはないわ。欧州軍の情報が入るようになったことはむしろプラスね。他国の情報は何よりも有力よ、そしてこのタイミングで情報が入ってきたことで次の行動を決められる」
ボイセンベリーはロシア軍同様、この好機を逃すまいと、欧州軍への攻撃に向けて作戦を立案する。欧州軍とは完全に敵対化したが、まだ全面戦争にまでは発展しておらず、牽制し合う膠着状態を継続していたが、それは欧州軍の戦力を始めとするあらゆる情報を取り切れず、大きな動きにつなげられなかったのが理由だ。その障壁を突破できた今、足踏みしている理由はない。
「ええ、もちろんよ。情報はまだ対応できるとしても、兵士自体を吸収されたり減らされれば痛手に変わりない。...民間人にもある程度の警告は流しておくべきよ。どこから寄生され、軍内部に影響を及ぼすか想定しきれないわ。...国民に騒がれることを恐れて、戦争に勝てるとでも?今、手を打たないと後からでは何もできない」
ボイセンベリーは政府関係者に対し、光信聖教に新規入信者がこれ以上増えないよう、メディアを通じて規制するよう情報戦略を提案した。軍関係者や兵士が日本よりも日常生活に溶け込んでいるがゆえに、軍への侵入経路もまた多様である。人口も人種も宗教も、すべてにおいて規模が異なる。能力兵も陸海空軍それぞれに所属しており、日本軍のような組織的な縦割りもない。能力に応じて部隊が組織され、役割を与えられる。どちらかと言えば、オーソドックスな組織編制と言えるだろう。
「ええ、それはそちらの仕事よ。私たちは命を張って国のために戦っている。その背中を仲間に撃たせないようにするくらいのことは、協力してほしいわね。...ええ、努力して頂戴。軍内部としても本格的な戦闘に向けた訓練を増やし、軍全体として外部と接触する機会を減らすわ。上層部には相互監視を徹底させ、自分たちで疑わしい者を洗い出すようにさせるわ。ええ、疑心暗鬼になったり、連携に支障が出る可能性はある。...それでも信じていた仲間に撃たれるよりはましでしょ?」
大国同士の戦争ともなれば、リスクを排除することこそ勝利への必要条件だ。戦況を支配できる兵器を保有していても、リスクに足元をすくわれて真価を発揮できなければ意味がない。消耗が一切ない戦争などない。削り合った最後により多く残っていた側が勝つ。
「私たちはこれから欧州軍に仕掛けるわ。技術も人員も他の国に狙われる前に米軍がもらう。この一手が命運を分けるわ。ということで、私たちはこれから今までにないほどの戦闘状態となるわ。それが落ち着くまでに宗教団体への対応は明確にして、実行に移しておいてちょうだい。でなければ、私たちも宗教団体に食われるわよ。...じゃあ、よろしく。...ふぅ」
通話を切り、ボイセンベリーはすぐに別のタスクに移る。政府関係者との与太話なんてのは二の次、三の次だ。欧州軍に仕掛けるための編成や作戦のほうが重要である。
「今回は全力いくべきね。...敵戦力は未だ未知数。そうなればこちらも何手か考えておかないといけないわ。...日本軍は中国と光信聖教で手一杯。こちらも出し惜しんだ以上、あちらの協力は期待できない。さあ、忙しくなるわね」
言葉とは裏腹に、いつでも戦争のこととなるとボイセンベリーの表情は心躍っているように見える。生粋の軍人は戦ばこそ花だと、血をたぎらせている。
欧州軍は緊急で作戦会議を開催した。メンバーはケビン、ゼシカを筆頭に、原子掌握のエドワースと見たことない明らかに軍人や政府関係者の数名が参加している。そして、そんな上層部の会議に、憂希が呼ばれていた。
「ゼシカ局長。ここに『正義』を参加させるのはいささか早すぎるのでは?」
軍服に身を包んだこわもての男がゼシカに進言する。憂希は自分が『正義』と呼称されていることを最近になってようやく認識した。理由を考えてみたが、思い当たるのは美珠と一緒に拉致された際に、レイリーに半ば強制的に占われたタロットカードの記憶だった。会議参加について、憂希自身も軍人の進言はもっともな指摘だと感じた。誰かが言わなければ会議が始まる前に自分から意見を申し出るところだった。そのくらいに場違い感が強い。というより、まだ環境に慣れていない状態でこういう会議には出たくないというのが憂希の本音だ。
「過去に類を見ないほどの危機的状況に対して、組織外からの目線は貴重と判断し、この状況を打破することを優先したまでよ。日本軍の所属していた彼は米軍との交流も、ロシア軍との交戦も経験しているわ。実戦では最前線。能力の詳細や攻略方法を一番把握している可能性が高いわ。これを活用しない手はない。出し惜しみしている状況ではないということよ」
「了解」
「改めて、状況を整理するわ。今、確認できている情報として、対ロシア軍前線基地がロシア軍により壊滅。ロシア軍はさらに進行を継続しているわ。そして、太平洋側沿岸部にて米軍の襲撃部隊を確認。こちらは対米軍前線部隊が交戦中よ。ただ、こっちも時間の問題ね。欧州軍は両軍の侵攻を迎撃し、襲撃部隊を壊滅させる必要があるわ。エドワース、詳細の説明をしてちょうだい」
一度、米軍と共に対峙した男を憂希は久々に目にする。あの戦闘では神酒やアレックスがいなければ確実に全滅していただろう。それほどに憂希は太刀打ちできなかった相手だ。
「あいよ。敵対しているはずのやつらが同タイミングで攻めてきてんのは、宗教問題に気を取られ、その隙を突かれたって感じだろう。ここが正念場って話だ。気にしても仕方ねえ。ロシア軍は例のアンドロイドを投入してきた。数は予想よりも少ねえが、問題はその制圧力だ。通常兵器じゃ何も通用しねえ。能力者必須だ。他にも能力者がいる可能性は高い。米軍はまだ能力者は確認できてねえ。空母と戦闘機を中心に仕掛けてきてる。港や市街で視認されねえようなルートできてるが、まあ、やる気満々よな。こっちも能力者はいるはずだ」
「ありがと。ここからは部隊編成の話。ロシア軍はエドワースを中心に対処して。相手が温度操作ならあなたが適任よね」
「ああ、そうだな。....だが、危険因子のおっさんが出てきやがったら話は別だぜ。まだ、相対してねえが、俺の能力を見抜かれたら詰みだ」
「そうね...。確か、変化の掌握よね?神崎 憂希。あなたは何か知っていることはある?」
「...一度、戦闘しました」
ゼシカからの問いに一言だけ答えた。しかし、その一言で会議室はざわつく。
「ただ、有効打は一切与えられていないです。苦し紛れに裏をかいて、退けましたが、その後も継続して戦闘していたら、こちらは全滅だったと思います」
「能力については?」
「...究極の先出しという印象です。俺は特に、何かを動かしたり発生させたりするのが基本なので、そもそも手を潰されている状態のような感覚でした。移動も温度も形状も何も変化できない。直接的な攻撃はあまり印象にないですが、まだすべてを確認できたわけではないかと」
「聞けば聞くほど無敵に感じるわね。...グレード1でも攻略困難。危険因子は伊達ではないわね。...では、黒埜も派遣しましょう。不変という能力に唯一対抗できる可能性があるわ」
「了解。まあ、やるだけやってみますわ。危険因子以外を壊滅させんのはマストって感じで」
「お願いね、エドワース」
「お嬢の頼みなら、何なりと」
欧州軍においてロシア軍の兵力と絶対の能力に対抗するため、絶大な能力で対抗する。じゃんけんのように明確な有利不利がない戦争においては、持てる手段をどう押し付けるかで戦局は大きく変化する。
「米軍は今までの比にならないほど、兵力を投入しているわ。安易に能力兵を表に出してこないなんて、消耗を嫌う米軍にしては珍しい。兵器を潤沢に投入して、本格的に全面戦争をするつもりと見ているわ。こちらからは喧嘩を売っていないのに、完全に目を付けられていたけど、最悪なタイミングでこうなるとは。本当に最悪よ...。ただ、簡単にやられてあげるつもりはない。喧嘩を売ったことを後悔させてあげましょう」
「お嬢。俺と黒埜がロシア側ってんなら、誰が米軍を相手にするんだ?米軍の戦力は正確に把握できてねえよな?」
「このゼスが出るわ」
「なっ」
局長自らが前線に立つという発言にエドワース含め、驚きを隠せない。憂希がグリゴリーと対峙したことを打ち明けた時の何倍ものざわつきが会場を満たしていく。
「お嬢。俺は対ロシア軍で編成されるんだよな?誰がお嬢の護衛をするんだよ」
「もちろん、単独ではないわ。ケビン、そして神崎 憂希。一緒に来てちょうだい」
ゼシカのその発言でその会議室に充満していたざわつきが噴き出すように勢いを増す。ケビンならまだしも、憂希を米軍との戦闘に参加させることに反感が生まれるのは当然だ。
「お嬢、それはさすがに」
「文句なら後で聞くわ。米軍の情報を多く持ち、継戦能力も高い。私の能力との相性も悪くない。ケビンがいれば最悪の事態でも切り抜けられる。神崎 憂希の真価を図り、戦果をもってあなたたちにあり方を示してもらう。その結果がどうなるかが一番わかりやすいでしょう?回りくどいの嫌いなのよ。ロシア軍にエドワース、あなたを抜擢するのは確定だし、必然的にこれがベストな選択肢になる。おわかり?」
「...了解。おい、『正義』っ。お前、お嬢に何かあったら死んでてももう一回殺すからな。命懸けで護れよ」
「...ゼシカ局長」
「ゼシカでいいわ」
「おい、俺への返事は?」
「エドワースさん、すいません。その前に確認したいことがあります。...俺は光信聖教への対応で参加しているはずです。他の国との戦闘にまで参加する話は聞いていません。そもそも、皆さんと一緒に戦うには連携も作戦の理解度も全然足りません。...気概だけで参加するとなれば、ゼシカさんを護りながら米軍も相手にするというのは難しいです」
「そう。...ここで引いてもいいけど、この提案を降りるのはおすすめしないわよ。あなたは今、組織単位ではなく個人単位の人間ってことは理解してるわよね?」
「...はい」
「戦争に限らず、この世界は基本的に数がものを言うわ。多いほうが有利。あなたが今、死なずにいるのは欧州軍に片足を突っ込んでいるからよ。これは脅しでも比喩でもない。どこかの組織に属していないということは、戦争に身を置く人間として危機的状況だということくらい、あなたも理解できるでしょう?光信聖教の件で欧州軍と対等と思っているならそれは傲慢だと忠告するわ。欧州軍の誰かが約束を違えても、あなたは数に負ける。報復や復讐で傷はつけられたとしても、致命傷にはならない。それが組織よ」
「...」
「なら、本当にイーブンにして、対等になり、借りを作らせるくらいじゃないと、個人単位のままのあなたは自分を保証できないの。危機的状況で使える手段は全部使う。そのために話が違うと言われてもあなたを利用する。それが組織のトップたるゼスの役目よ」
憂希はゼシカの言い分に何の反論の無かったわけではない。ただ、その通りだと納得するしかない。ネカフェより安心して寝られる寝床も、気にせず口にできる料理も、自分を探す日本軍がいない環境も、与えられているだけに過ぎない。自分だけでは隠れ、怯えながら生きるしかなかった。この場所を今失えば、真実を知るどころではない。
「...ありがとうございます。引き受けさせてください。」
かつて共に戦った相手を敵にしても。それが日本軍全体の信用にかかわろうとも。自分が今より反逆者として認識されようとも。誰も味方がいないとしても。ここで腐っては、両親に顔向けできない。自分のせいで死んだ、両親の命に報いることができない。そうなれば本当に、何の意味もない。それだけは、何としても阻止しなければならない。仲間を裏切ってなお、仲間を護るという矛盾に、その組織の長に真実を問うという目的を混ぜ、混沌の渦中にいる憂希は、更なる深淵に進むのだった。
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