No.103 泥中に咲く
憂希は振動たちも憂希が押し付けられた理不尽について知っていたことにショックを受け、日本本部から逃げるように立ち去った。そのまま和日月に対して怒りをぶつけても、どちらかが死ぬまで終わらないだろうと感じた。それ以上に、自分のキャパシティーをはるかに越える残酷な事実という刃物に、憂希の心はずたずたにされ、逃げる以外の選択肢を根こそぎ奪われたのだ。
「....」
仏花も持たず、憂希は約半年ぶりに両親の墓の前に座り込んでいた。憂希が頻繁に花をそえることがなくなった今でも、誰かが花をそえていたのか、まだ新しい花がそなえられていた。軍の誰かなのかはたまた知らぬ他人か。考える気力もない。
「....」
今になって思い返せば、落雷での死亡者なのにニュースや新聞には一切取り上げられていなかった。あの時はそれどころではなかったし、仮にそういったものがあったとしたらうざったくて仕方なかっただろう。なくてよかったとすら感じている。そんなどうでもいいことすら頭に流れ込んできては、そのままどこかへと流れていく。
「ふざけんなよ...」
憂希は墨汁のように濁って光の無い瞳なまま、座り込んでいる。今まで努力してきたすべてが何の意味もなかったような無気力に襲われている。それに抵抗することもなく、ただただ気力を食わせて、自分を見失っている。すべてに裏切られた気分だった。
「...もう行くよ。ここにいたら見つかるから」
次に行く場所など見当もついていない。行く当てもなければ、向かいたい場所もない。ただ無気力にその場から去るのみだった。自分の中に存在する能力すら今の憂希にとっては耐えがたいほどのノイズだった。能力を体に植え付けられた直後に感じていた親の仇がその身に宿ったような感覚を、フラッシュバックするように色濃く実感している。
「...」
夜、誰もいない時間帯をふらふらと歩く。戦争の喧騒とはかけ離れた街並みが今となっては、誰かが描いたフィクションのように感じる。自分が少し前までいたはずの世界。しかし、それは随分前から大きな力で捻じ曲げられていた。歪んだ世界を正しいものと誤認し、錯覚しながら生きてきた。
「あのいかれた宗教団体も案外間違っていないな...。戦争を引き起こすような集団はないほうがいい。...だが」
血が固まったようなドロッとした憎悪と溶岩を噴き出す火口のような怒りが常に自分のどこからか出ているのに反して、あまりに冷え切った考えが一つ、頭の中で浮かんでくる。
「能力者を撲滅するとか言っていたくせに、能力者を増やすようなことをしている日本軍は...何がしたいんだ」
今、憂希が持ち合わせている情報だけでは矛盾だらけで正当性のかけらもない組織としか見れない。自分の両親を手にかけ、自分の人生をめちゃくちゃにすることを是とした根拠や主張がまるで読み取れない。和日月がそういう人間であるとは到底思えないからこそ、あまりに説明不足なこの状況に沸々と怒りとはまた別の気持ち悪さが沸き上がってきている。
「すべてを...説明させる。そしてその上で、どう責任を取り、何を免罪符にするつもりかを聞き出してやる。...そのためには、あの能力を攻略する必要がある」
冷え切った脳の中で、憂希は一つの決断をする。復讐心や怒りのままに突き進む先に自分の納得いく世界はない。いくら殺したくても、許せなくても、何も知ることができないまま終わるのが一番耐えがたい。ならばいっそ、自分がどうしてこうなったのか。すべての経緯を洗いざらい吐かせる。能力者とは何なのか、この戦争とは何なのかをすべて。ただ、あの状況になっても和日月は一切説明する素振りはなく、それどころかそのまま強硬的に憂希を抑え込もうとしていた。そうなると、深入りしようとすればするほど戦闘は避けられない。
「切断...。俺はどうすれば勝てる。...まずは、生活する場所を決めないと」
憂希は重い足取りでそのまま進む。その先にあるのが希望か絶望かを知る者はいない。
日本軍においても、憂希が起こしたこの一件から不信感が次々に発生し、波紋のように広がっていく。憂希が意識不明の状態から覚醒し、消息不明となった翌日、全体説明の場が設定された。その筆頭となったのは和日月ではなく、振動、花菱、矢場の各将校だった。今まで最前線でその戦果を重ね、日本軍に多くの勝利を残してきた憂希が起こした反乱に近いこの一件は、日本軍の中で大きな混乱を生んでいる。これを各将校は危機的状況と捉え、日本軍の士気を分散させないよう対策を講じた。
「本日未明、皆もすでに把握しているだろうが、神崎伍長による司令室襲撃事件が発生した。一週間の消息不明により、捜索隊を派遣しても発見できなかったことから死亡扱いになっていたが、三日前に消息不明となった作戦エリアで発見。保護した直後に意識不明となり、本日未明に覚醒。その後、冒頭に伝えた事件が発生した。この件を皆に説明するために、ある情報を皆に開示する必要がある。これは軍を越え、国家規模の秘匿情報であり、君たちに開示することは本来ないものだ。軍の統制や国政を優先してのことであるということを理解してほしい。そのうえで、今から君たちにその情報を開示する意味を各々考えて聞いてほしい」
振動らは日本軍が能力者への進化について、死のリスクを軽減するという名目を強く主張しながら、今まで行ってきた能力者への進化に対してのあらゆる実験についての概要を説明した。あくまで軍、国家側の正当性を説明するためだ。第二次世界大戦時代に行われていた肉体的負荷実験についてはここでは明言しなかった。人体実験ではなく、あくまで能力者が必要となる世界情勢において国民を護るため、という主張だった。
「...精神的負荷って」
だが、それでもすべてをすんなり受け入れられることはなかった。境遇的に人生における精神的負荷が高い人間の適応率が高い、という結論は、裏を返せば境遇に恵まれなかった人間を軍事利用しているという捉え方もできる。そして、境遇的に精神負荷の低い人間は変わらず、適応率は悪く、死ぬリスクは消せていないという結論だ。それで、はい、そうですか、と呑み込めるわけがなかった。
「統計的な事実であり、世界的にこの能力者という存在を我が国も迅速に確保しなければならない中で、この情報を有効活用することが生命線だった。しかし、この事実を伏せ、君たちに戦いを強いたことは紛れもない事実であり、グレードや戦果に応じた待遇で帳尻合わせができているとも考えていない。毎度、命懸けの作戦であり、その都度、多かれ少なかれ犠牲が出ている中で、誠意に欠ける対応であると非難されても仕方ない」
しかし、ここで一方的に非を認め、頭を下げるだけでは、今までの行いのすべてが間違いであり、その延長で作り上げられたこの軍そのものを否定することになる。それだけは避けるため、ここで振動は続ける。
「だが、我々に選択肢はない。中国、ロシアという近隣諸国が能力者を保持し、それらを軍事利用している状況で、緊張状態になることは避けられず、国防できる軍事力を緊急で備えなければ、一方的に蹂躙され、侵略されただろう。それをなんとしても阻止し、国民を護ること。それを優先し、我々は君たちと共に戦っていることをどうか数多の片隅に入れてほしい。そのうえで、君たちがこの件をどう考え、どう解釈し、どう判断するのかは各々に任せる。今一度、それぞれで考えてほしい。以上だ」
一同はざわついている。理由はいくつかあるだろう。元々存在するリスクを軽減できる条件がわかっただけであって、そもそもリスクが存在するものだという前提があるということ。精神的負荷を多く受けてきた人が軍に所属し、命を懸けて戦うことを強いられるようになっていくことへの危惧。他国はこのリスクに対して何か対策を講じているのかという疑問。あらゆるものにまだまだ引っかかりを抱えている。
「...それで憂希君が、あんなに怒る?あんな辛そうな顔する...?」
仁野は今の説明だけでは納得できなかった。全体的な説明は小難しくて、全部は理解できなかった。でも、そこに憂希が和日月を怒りのまま攻撃する理由は思い至らなかった。輪廻が怯えるほどの怒り。あそこまで憎悪を全面に出している憂希は初めて見た。
「矢場ちゃんっ」
ざわつきながら緊急集会が解散している中で、仁野は矢場に駆け寄って、声をかけた。ここで呑み込めないまま過ごすのは我慢できなかった。
「仁野...。まあ、そうだよな。神崎をそこまで知らねえやつなら今の説明でもいいだろうが、お前のように深くかかわっているやつには不十分だわな」
「うん...。だって、憂希君があんなに怒ってたんだよ。変だよ」
「お前から見て、神崎と関わりが深そうなやつらに声をかけてくれないか。振動たちと話をして、神崎についての詳細を話す。...保険を張りたいわけじゃねえんだが、この件については俺らも後から知った。賛成だの反対だの、意見を言う暇すらなかった。だからよ、強く抗議してきたつもりだったんだがな」
「...」
その矢場の歯切れの悪さに仁野は嫌な予感を感じざるを得なかった。聞かなければならないと強く感じる一方で、とてもつもなくその話を聞くのが怖かった。優しい人間を追い込み、怒りに震えさせるほどの情報を、自分がうまく処理できるとは思えなかった。それでも、聞かなければならない。それが今、仁野にできる唯一の歩み寄りなのだから。
日本が憂希の暴動に揺れる一方、欧州でも大きな問題が発生していた。
「...ようやく夢から覚めたのね。ゼスたちの儚い平和な日々も終わりよね」
明らかに一般市民の装いではない洗練された衣服に、それを越えるほどのスタイル。華やかさに拍車をかける長い髪。近づきがたく、冒しがたい存在感がベールのように包んでいる。
「お嬢。もとよりこれを乗り切るしか道はねえって話だっただろ?俺たちが乗ったレールがガタガタだろうと途中で途絶えていようと、走り切らなきゃならんってよ。いつ来るかわからねえ正念場より、見えている方がいくらかましだろ」
その傍らにはエドワースの姿があった。かつて米国との戦闘エリアに終止符を打つように姿を現した原子掌握の能力を持つグレード1。日米合同かつグレード1が複数投入された戦場を一人でひっくり返すほどの実力者だが、その役割は軍人ではない。
「わかってる。いいじゃない、少しくらい。わが社の集大成を軍事に投入したあの日から、もう運命は決まっているもの。どれだけ悲鳴を上げたって、このコースターは勝手に進むのでしょう?なら気持ちよく悲鳴くらい上げさせてって思うじゃない」
何畳あるかわからないだだっ広いワンフロアに置かれたキングサイズのベッドよりも大きいソファーにもたれかかりながら、その女性は自虐的に言う。
「グラム社に例の宗教に入信している人間が約一割近くいる。軍にも恐らく同程度はいるでしょうね。その調査結果が手元に来た瞬間、軍の小隊長クラスの暗殺事件が多発。能力兵も関係している」
数枚の紙にずらっと敷き詰めらえれた文字の羅列を読みながら、その中身を淡々と呟いていく。
「今、手を打たねえよやべえってことだろ。うちはロシア軍と米軍から茶々を入れられてはいるが、致命的な全面戦争は避けてる。ここで内部をクリーンにしておかねえと後々、カビだらけになってたら目も当てられねえ。うちの技術も奴らが狙ってるとみていい。...お嬢。あんたが判断するんだ。グラム社CEO兼欧州軍防衛開発局局長、ゼシカ・グラム」
欧州最大の軍事開発民間企業、グラム社。現在は欧州軍防衛開発局の直属となり、兵器を中心に兵器開発を担っている。そのトップに君臨する若き才女は大きな花弁で下を向く花のように俯く。
「わかってるわ...。はぁ。...会議を開くわ。関係者を集めてちょうだい。できるだけ宗教の息がかかっていない人でお願いね」
ただ静かに凛と咲く彼女もまた、この戦乱の世に根を下ろす者。
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