No.102 驟雨の気配
司令室を吹き飛ばしたのは憂希の攻撃ではない。この瞬間、誰も誰かを攻撃しようとはしていなかった。しかし、憂希が自分の中で能力の出力を最大限まで引き上げるという訓練が、このタイミングでは悪影響を及ぼした。怒りと衝撃、悲しみと悔しさ、絶望と失意。あらゆる感情の抑えが和日月の返事をトリガーにして取り払われたことで、無意識に能力が憂希から出力された。意識が能力の制御において重要となる中で、感情がそれを上回るとき、能力が自発的に周囲へ影響を及ぼす。憂希の中で初めて芽生えた、明確な殺意。この鋭さはあらゆる理性を貫通した。
「ぐっ....くっ。何で....何でだっ!?どうして俺だった!?なぜ殺す必要があった!?何か悪いことをしたのか!?何でっ!?」
「環境の激変により強い精神的負荷を受ける条件に該当していたまでだ。明確に君に断定した理由はない」
ここで何も取り繕わず、事実を淡々と述べる和日月らしさ。刀のように鋭利で冷たく、情や心などを容赦なく切り捨てる。人の心を捨てた修羅は表情を変えることなく、告げる。
「この国の平和、世界の平和を確かなものにするため、我々は手段を問わない。数年後の未来がかつての平和を取り戻しているのであれば、この数年で命さえ捨て去る覚悟だ。君に謝罪はしない。今までの罪に対し、贖罪も否定もしない。切り開いた平和な世界の先で、罪諸共地獄の業火に焼かれるまでだ。鬼だろうと外道だろうと、なって変わる世界があるなら、私は自ら道を外す」
「お前の都合ばかり押し付けるな...っ。...いかにも正しいことをやっているって顔するんじゃねえよ!!お前の考えに賛同したことは一度もないっ。光信聖教のほうがよっぽど人道的だ。俺の人生をめちゃくちゃにしておいて何をすました顔してんだよっ。当事者だ。本人目の前にして何平気な顔して語ってんだっ!!」
先ほどまで雲一つなく晴れていた星空は分厚い黒雲に覆われる。冷たく鋭い風が吹き荒れ、雷鳴が威嚇するようにうなっている。雹が周囲に雨と混じって降り始め、嵐が目の前まで迫っている。
「ここで地に額を付け、ひれ伏すように謝罪を示せば、君の心は晴れるのか?私は常々伝えてきたはずだ。平和のために手段を問わないと」
「開き直ってんじゃねえよ!なら最初から言ったらどうだったんだ。お前を能力者にするために両親を殺し、お前の体を勝手に命を懸けて改造したって...っ。俺はお前の刀でも銃でもない。一人の人間だ。兵器扱いを勝手にしてんじゃんねえよ....」
「君と論争するつもりはない。恨むなら恨み、憎むなら憎め。被害者である君にこちらの意図に理解を示したうえで、協力してもらうつもりはない」
「じゃあ....反逆していいって話か?」
「反乱分子はねじ伏せる。最初に言っておこう。私は君たちグレード1の能力者全員を含む、この軍全員を殺せる力を持っている。ゆえに、この立場にいるのだ」
「暴君がっ」
話し合いとは言えない問答を切り上げ、憂希は怒りと殺意のままに能力を解放しようとする。和日月どころか日本本部含む周辺環境がどうなるかなど眼中にない攻撃。しかし、それが和日月に放たれることはなかった。
「ゆーきっ!!」
憂希の能力行使を感じ取り、司令室が吹き飛んだ轟音をもとに輪廻が憂希のもとに駆け付けた。しかし、その声は震えており、目に大粒の涙を抱えながら、輪廻は少し遠くから叫んだ。まるで憂希だとは思えないほど殺意と怒気をまとっているその後ろ姿に、輪廻は恐れ、逃げ出したくなる感覚を押し殺しながら必死に名前を呼んだ。
「...輪廻」
「神崎っ。...これは何が起きたんだ」
「なにこれ!?司令室が...。憂希君っ、目が覚めて...これどういうこと」
振動や仁野を始めとし、この異常事態に目を覚ました兵士たちが次々に司令室へと駆け付けた。しかし、和日月と憂希が対峙しているその光景に皆が状況を呑み込めずに固まっている。
「っ!」
憂希はすぐに怒気を取り戻し、和日月と自分を囲うように黒雲を貫くような氷壁を形成する。さらにその外周に超高速の竜巻を発生させ、部外者の侵入を防ぐ。
「憂希君っ!どうしたの!?」
「何をしているんだ。...なぜ総司令を」
「仁野っ。オレが世界を止める。その直前にあの竜巻と氷壁を破壊できるか?」
「っ...。わかった!」
ラプラスはこの異常事態を察し、状況をこれ以上悪化させないようにするために憂希の無力化に動く。隣にいた仁野に声をかけ、これ以上事態が悪化する前に食い止めようとする。
「憂希君...何が。っ...ラプちゃん!いくよ!せーの!!」
「せーのっ!」
二人とも技名など意識に無かった。それほどに咄嗟で必死に呼吸を合わせて能力を行使する。その二人の行動を最善だと考え、振動らも止めはしない。状況を把握し、冷静な判断をしているような時間はない。
「今、この竜巻の中を全部止めているっ。仁野っ、まずは総司令をっ」
「わかった!!」
仁野が竜巻と氷壁に風穴を開けた場所から中に入り、時間停止している和日月を外に連れ出す。位置情報だけ移動できるように仁野が行って戻ってくるルートだけ時間停止を解除する繊細な時間制御。仁野が突入して、和日月を抱えて戻ってくるまで一秒にも満たない。
「和日月総司令っ。これは一体どういう状況ですか!?」
振動が時間停止を解除された和日月に詰め寄る。目の前にはまだ憂希の殺意が表現された天変地異が止まっている。それに視線を移しながら、この異常事態を把握しようと試みている。
「神崎伍長の反乱だ」
和日月から放たれた言葉を処理しきれず、振動らはまたその場に固まる。言葉すら出ない。絶句という言葉では表現できないほどの無音。眉一つ動かすことのできない衝撃がその場に広がった。
「どういうこと...?憂希君がそんなことするはずないっ」
「目の前の光景を見ろ。拉致された後にその集団から精神を不安定にされるような情報を植え付けられた。ゆえに、神崎伍長は」
「憂希君がそんな理由でこんなことしないって言ってんの!」
思わず仁野は声を荒げる。あまりに衝撃的な状況に感情の整理がつかず、そのまま表に出てしまう。言い放った後、仁野はバツが悪そうに少しうつむいた。
「和日月総司令は一度この場から避難してください。花菱中佐、和日月総司令と同行していただけますか。神崎は私が話を聞きます」
「暴れるならまたオレが止める。仁野、仮に錯乱状態になっていたら、力尽くで止めよう」
「え...」
「それはない。この時間停止を解除した時に私がこの場にいなければ、神崎伍長の動きは止まるだろう」
「それはどういう」
「事情聴取は各々でやってくれ。オレの能力を継続させるのには限界がある」
「了解。では、総司令は避難を。仁野一等兵は戦闘態勢で待機。時間停止を解除した段階で神崎伍長への接触を図る。気を抜くな、我々は神崎伍長がどういう状態かを把握できていない。臨機応変に対応せよ」
「「了解っ」」
和日月がその場から離脱した直後、ラプラスは時間停止を解除する。範囲指定とはいえ、その空間内に存在する大気すべてが憂希によって激しく動いている。著しく消耗するわけではないが、長時間は維持できない。
「解除したっ」
轟轟とうねる竜巻が徐々に消えていく。氷壁は一気に崩れ落ち、地面に衝突する前に空中で雪のような粉末にまで分解されていく。その中から憂希の姿がゆっくりと現れる。
「...和日月はどこに行った」
「神崎っ、状況を教えてくれ。何があったっ」
「皆さんには関係ありません。俺とあの人との問題です」
「それでは納得できないっ。その問題を我々にも共有してほしいんだ」
「どこで暴れてんだ、神崎っ。目を覚ましたと思ったらまだ寝てんのか!?何してんだよ!」
「...この場では無理です。...誰かと一緒にこの場を離れているんですね。失礼します」
振動や傀の言葉を一切耳に入れず、憂希はその場から立ち去って、和日月の後を追おうとする。いつもの憂希からは想像もできないほど聞く耳を持たない姿勢を崩さない。
「ゆーき、ものすごくおこってる...。たたかってるときより...おこってる。...うぅ」
憂希がまとう空気がいつもと違うことを感じ取り、その怒気と攻撃的な戦闘態勢に入っている感覚を輪廻は本能で感じ取っている。憂希の覚醒を感じ取り、能力行使を感知した時点からずっと、身を引き裂かれそうなほどの怒気を輪廻はビリビリと感じていた。この空間がまるで雷雲の中のような感覚がまとわりつき、恐怖が鳴り響いている。
「ダメっ。憂希君、ちゃんと話そ?うちらわけわかんないし、憂希君がそんなに怒ってるの心配だし。何より、うちらは仲間でしょ?悩みとか不安とかそういうの全部、共有しよ?」
「いつも聞き手が多いんだ。たまにはオレたちが聞く側になろう」
憂希の前に立ちはだかるように仁野とラプラスが憂希の行く手を阻む。二人ともはっきりと言葉を発してはいるが、正直手足は震えていた。いつも優しい、その優しさのあまり自分で自分を責めて誰よりも傷ついている憂希が初めて見せる明確な憤怒。人から発せられる感情に乗った殺意に晒され、身は強張り、緊張が走る。
「この話をここでしたら、日本軍は間違いなく崩壊する。それでもいいんですか?振動さん、矢場さん。俺は日本軍が隠していた俺についての真実を知りました。これで伝わりますか?」
憂希は声を怒りで震えさせながら、必死に理性を絞り出して言葉を放つ。押し込めた怒りが能力に漏れだし、放電や気流の乱れが憂希の周りで発生する。
「な....」
そして、各隊長たちは憂希が問いかけた意味をすぐに理解する。憂希がここまであれるほどの情報で、日本軍が秘匿してきたものと言えば心当たりは一つしかない。
「...そうですか、お二人はご存知だったんですね」
その反応を見た瞬間、憂希の怒気に悲壮感が混ざり、今にも泣き崩れそうなほど表情を歪ませたまま、憂希はその場から目で追えぬ速度で離脱した。その瞬間、バチッと放電のような音が静かにこだました。
「あっ...。嘘、目で追えない...。また速くなってる。....矢場ちゃんっ。今のってどういうこと?」
「隊長二人は憂希が何に怒っているのか知っているようだが」
「....」
「隊長っ。...神崎は何にキレてんすか。あいつがあそこまでブチキレてんのなんて見たことないっすよ」
「すまんが、ここで言えねえ。振動。こうなった以上、旦那ともきっちり話をつけなきゃならんわな。俺らがどうこうする前に、神崎がこの件をどっかから聞いたってわけだ。最悪の事態だ」
「そうですね...」
「ねえっ、矢場ちゃん!」
「仁野、こいつはちゃんと話す。だが、ここで雑に話せる内容じゃねえ。恐らく、神崎のやつもこの件で旦那とやり合ったんだろ。立場が違えば意見は割れ、神崎の言う通り、軍が崩壊する」
「...ちゃんと説明してくれるんだよね?」
「ああ、黙ってるってことはしねえさ。まずは神崎を探せっ。あいつを落ち着かせることが最優先だっ。話はその後だっ」
「「了解」」
この指示は達成することはなかった。正確には、憂希を止めることも説得することも、ましてやもう一度面を向かって話すこともできなかった。その日、その深夜から、憂希は再び姿を消した。日本本部どころか、各支部に至るまで姿を一切確認できない状態となった。この件を皮切りに、死亡扱いとなっていた憂希は軍からの脱走となり軍機違反および総司令襲撃未遂並びに軍への反逆行為として、国家指名手配となる。
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