第17話 純粋
レインは迷わなかった。
敵か味方か――そんな線引きは、いまこの場に必要なかった。ルキウスは倒れ、毒に侵され、確実に命の灯が細くなっている。
「……死ぬなよ。」
レインがそっとルキウスに声をかける間に、メルキオルは毒のまわりかたや傷の具合を見立てる。一刻の猶予もなく、失敗も許されない。ソワン族のような特別な力は持っていない。自身の持つ知識と論理的思考力のみが彼の武器だった。
「レイン先生、青魔法です!この毒はまわるのが速いうえに毒性がかなり強い。解毒を優先して、その後裂かれた肉体の回復術に移りましょう。」
「わかった。これから術式に入る。メルとリーナは止血にあたってくれ。まずは最短で解毒を終わらせる。」
レインは二人にそう告げると、両掌をルキウスの首筋にあて青魔法を念じた。掌の先に古代ソワン語で記された魔法陣が浮かび上がり、青白く光っている。レインは目を閉じてより一層ルキウスの体内に集中する。
(毒はどこまでまわっている…… 。)
ルキウスの臓器、血管、骨格、全てに至り毒に侵されている部位を総当たりする。レインの予想以上に毒のまわりが速く、青魔法を注入しなければならない箇所が多い。
「くっ……!」
レインの瞼に力が入り瞳を見開く。ここで”代償”に敗北することは、命を諦めることに直結するということをよく理解していた。ひとつひとつ毒に侵された部位を丁寧に解毒する。この短時間でこれだけの解毒を行ったのはこれがはじめてだ。魔術の代償がレインの体を蝕む。もう何日も不眠で働き続けているかのような疲労がのしかかってくる。
「あとは……ここさえ処置すれば……っ!」
レインはありったけの力で青魔法を注入した。ルキウスの苦悶の表情が幾ばくか和らぐ。体内の猛毒が浄化されたのだ。
「先生!容態が良くなってます!」
包帯で傷口の止血を試みるリーナが叫ぶ。彼女もまた、患者を救わんとして必死に役割を果たしている。手先は鮮血で赤く染まっていた。
「次は、傷を癒――」
語りかけたその時、ぐらりとレインの体が地面に倒れる。魔力を使い果たしたことでその”代償”を払う時がきた。視界が揺れ、聴力は著しく弱まっている。睡魔とはよく言ったものだ。まさしくあらがうことのできぬ魔物のようにレインを安らかな眠りへと誘う。
「レイン先生!」
止血のために包帯や布切れを道具入れから用意していたメルキオルが焦燥と絶望の表情でレインのもとへ駆け寄った。
「いけません!今ここで眠ったら患者は失血死してしまう!目を覚ましてください!」
微動だにしないレインの肩を揺さぶり必死に起こそうと試みるも、レインの意識は戻らない。
「もう終わりです……。レイン先生がいなければ、治療の見込みなんて――」
「だめ!!!!」
リーナが叫ぶ。
「メルさん、諦めちゃだめです。先生がいなくても癒し続けるんです!」
目に涙をためたリーナ。その手は真っ赤に染まるも傷口の圧迫をやめようとしない。
「先生が眠ってしまったのならせめて起きるまで私たちで治療しましょう!交代で止血して、先生の帰りを待つんです!」
リーナの突拍子もない提案に、即座に反論するメルキオル。
「非現実的です。先生がいつ起きるのかもわからないんですよ。この患者はもう――」
「この人はまだ生きてますっ!!」
リーナの声が祭殿中にこだまするとともに大粒の涙がリーナの瞳からこぼれ落ちた。絶望的な状況でも諦めきれないこの命の葛藤に心が壊れそうになる。
「生きているのに……諦められません!私たちは……”びょういん”です。たくさんの人を、苦しんでいる人を助けるんです。」
少女の強い意志に、はっと息を飲むメルキオル。”びょういん”を認めさせ、人々が救われる世の中にする。そんな大志が意志の奥底から呼び起こされた。
「……すみません。私も混乱していました。リーナさん。私も諦めません。手分けして傷をおさえましょう。レイン先生が戻るまで、私たちで”びょういん”を守ります。」
血で染まった包帯を取り替え、リーナと止血を交代するメルキオル。必ず患者を救うという強い意志、そして必ずレインが戻ってくるという強い信念を胸に、”びょういん”の二人は処置にあたる。
ルキウスがジル=サルハと戦闘したことで救われた審問官の二人も”自分たちにできることはないか”と共に処置に参加してくれた。人を救いたいという純粋な”人間の希望”が宗派の教義を乗り越え彼らを突き動かした瞬間でもあった。この祭殿にいる全員がルキウスを救うために全力を尽くしていた。
――静寂だった。
重力も音も、痛みさえもない、ただ青く深い闇の中。レインは、そこにいた。
(……ここは、どこだ……?)
視界に広がるのは、淡く光る水面のような足元と、星々が漂う夜空のような天井。空気は澄んでいて、どこか懐かしい匂いがした。
「……レイン=ソワン」
どこからか声がした。
それは人の声というにはあまりに柔らかく、風のようで、水のようでもあった。振り返ると、そこには淡く発光する“人の形をした光”が立っていた。白銀の衣をまとい、顔ははっきりと見えない。それでも――どこかで会ったような気がした。
「お前は、我ら“ソワン”の子。癒しの系譜に連なる者」
「……俺は、死んだのか?」
「否。お前は“選ばれた者”として、生きている。ただ、力を使いすぎた。今は魂がここへ戻ってきただけだ」
その言葉に、レインはゆっくりと目を伏せた。自分の中にある疲労、焦燥、そして恐れを噛みしめる。
「……俺は……ただ、救いたかっただけだ……。敵だろうと、誰だろうと……見捨てたくなかった」
「だからこそ、お前はここへ導かれた。ソワンの血は“癒し”のためにある。だがそれは、呪いのような力でもある。使えば、命を削る。それでも――お前は、歩むのか?」
その問いに、レインは息を吐いた。
浮かぶリーナの顔。メルキオルの叫び。鮮血に染まったルキウスの姿――そして、自分の“選択”。
「歩むさ。俺は、“びょういん”を作る。……生きて、誰かを救うために。だから、今は――戻らなければならない」
語ると同時に、空間が強く震えた。
足元の水面に波紋が広がり、星が砕けるように瞬く。精霊の輪郭が薄れ、微笑む気配だけを残して、消えた。
「そうか。ならば、行け。癒しの者よ。力の代償は癒しを止めることを忘れるな――」
その言葉が、最後に耳に残った。
* * *
「っ……」
現実へと引き戻された瞬間、レインのまぶたがゆっくりと開いた。
見慣れた石天井、魔術の灯り、焦げた薬草の香り。そして、自分の上には、涙ぐんだリーナの顔があった。
「先生……!」
「……戻った……!」
彼の声に、リーナとメルキオルは目を見張る。
レインは苦しげに体を起こすと、包帯を握るリーナの手をそっと押さえた。
「もう大丈夫だ。解毒は済んでる。今から、傷の修復に移るぞ。……手伝ってくれるか?」
「はいっ!」
レインは震える指で再び魔術陣を描いた。右の掌をルキウスの傷口に、左の掌を地面につける。体の調子は万全ではない。むしろ満身創痍でいつ倒れてもおかしくない。焦点は定まらず、耳もまだ聞こえにくい。しかしもう倒れてはいられない。目の前に救いを求めている命がある。
緑色の光が、彼の掌からルキウスの身体へと流れていった。
「さあ、今度こそ――助けるぞ。誰も死なせはしない……!」
“癒し”の魔が、ふたたび燃え上がる。
それは、かつて忌み嫌われた異端の力――けれど今は、ただ一人の命を救うために在る、希望の力だった。




