87.少女の魅了
ユミルテ王国から離れて1ヶ月。俺たちは着々とメリペール遺跡に向けて旅路を進めていた。
この地は山々に囲まれていて、尚且つ高原ということもあり気温が低い。時期が悪ければ豪雪に見舞われる。
積雪で足を踏み外したり、日によっては強い吹雪に襲われる危険な地帯だ。冒険中、何度も凍傷になりかけた。
今いる高原を抜け、次の山を超えたら世界最大の交易都市、ローグポリスがある。それまでこの凍える寒さを耐え忍ばなければならない。
といっても、俺たちのパーティーには優秀な炎魔法使いがいることを忘れてはならない。
「イヴィアナ、炎もうちょっとちょうだい」
震える手でイヴィアナに近づくと、エリィとグレアムも寄ってきた。
「イヴィ、僕も」とグレアムが息を吐きながら言い、エリィはその背後から「俺も」と呟いた。
「炎炎ってうるさい!私を焚き火みたいに扱わないでよ!」
イヴィアナは地団駄を踏んで怒鳴った。
「いいじゃんか、別に減るもんじゃないし」と、俺は不貞腐れながら言う。
「魔力を使ってるんだから減るに決まってるでしょ!?」
そう言いながらも、イヴィアナは俺たちに炎を分け与えてくれる優しい少女だった。些か俺たちが高慢なところあったが、彼女の魔力量の心配をすることはない。
「シェルを見てみなよ、防寒具1枚だよ?情けない男たちだね」
イヴィアナは不服そうに頬を膨らませた。
――いや、これに関してはシェリロルがおかしい。
シェリロルは防寒具――というより上着1枚で、マフラーもしていない。それなのに、体を震わせることは一切ない。きょとんと俺たちを見つめる。
俺たちも似たような防寒具を着ているが、その薄い上着1枚だけでこの極寒を耐え凌げるはずがないのだ。
それに、シェリロルは天から舞い降りる降雪を口に入れたり、積雪に足跡をつけて雪を満喫していた。未知の環境で好奇心に毒されているにも程があると俺は思う。なぜなら、彼女は素足だからだ。
「リアトさんが言っていた、雪だるまというものを作ってもいいですか?」
シェリロルは合わせた手を口元に持ってきて、かまととぶって懇願した。
そんな可憐なシェリロルの願いを断れるはずもなく、この極寒の高原でしばらく休息を摂ることにした。ついでにイヴィアナの炎でいつもの焚き火を焚いてもらった。
「さ、さむい……」と、震える声でグレアムが呟く。
「ほんとにな……」
俺は静かに同調し、エリィは寒さで声も出ないようだった。こうして男三人衆は、仲良く焚き火の目の前で手を伸ばしてのほほんと温まった。
一方で、イヴィアナはシェリロルと仲良く戯れている。
シェリロルの純粋に楽しんでいる声、イヴィアナの溌剌とした笑い声をじっくり堪能した。この何気ない旅路が大好きだった。
「魔族だ」と、唐突に真剣な声でグレアムが言う。
「魔族?!」
俺は唖然と視線を向ける。グレアムは既に斧剣を持って戦闘態勢に入ろうとしていた。
先刻まで「さむい」と、弱々しく発していた男だとは思えない。
「ここは山に囲まれた高原だし、居ないことは無いと思ったけど……」
イヴィアナが駆けつけ、俺に目配せする。
前回この高原を通った時にはない出来事だ。ここに訪れた日にちも2日や3日ほどのズレが生じているから、このような意表外な出来事も当然あるだろう。
「グレアム、エリィ、先走らないでみんなで行こう」
俺は今すぐにでも地面を蹴りそうな2人の肩に手を置いた。
魔族は魔物と違って自我を持つ種族。危険度も段違いだ。加えて、魔族は人間と同じように"魔法"を操り、俺たちを惑わす。
"認識を隠す"を仲間に施してから、走って現場に向かった。
慎重に行動すべきではある。だが、もし現在進行形で被害にあっている人がいる可能性を考えると、虎視眈々と近づくこともできない。
少し走ると、木々の間から魔族が垣間見えた。遠目で特徴は分かりにくいが、緑髪で角が生えていることを見るに悪魔魔族だろう。
目を眇め、推測と分析を巡らせていた俺の脳に、もうひとつの認識が現れた。視界には確実に捉えているが、脳が追いつかない。
「女の子!」とグレアムは叫ぶ。
グレアムの言う通り、悪魔魔族を眼前にして、無言で手を絡めて祈る人族の少女がいた。悪魔魔族が魔法を発動する兆しを見せても少女は祈る体勢を崩さない。
――嘘だろ……
「私が魔族を葬る」
イヴィアナは杖の先端の照準を合わせ始める。
「いやイヴィアナ。俺が女の子を助けるから、少しまってくれ」
イヴィアナの実力は信用している。――が、魔族と少女の距離がかなり近い。イヴィアナの"火炎放射"が少しでも当たって火傷してはいけない。
「でも、もう時間ないよ!」
渦中との距離は遠い。このままでは魔族の魔法発動まで間に合わない。魔法を選択できる時間も残されていない。
――あれしかないか……
この窮地を変える魔法は思い当たるが、今まで意識的に発動できたことがない。不安と先走る罪悪感に襲われた。
――まだ何もしていないのになに弱音を吐いているんだ!自分の実力を信じろ。
『|重要な時だけ時間を遅らせる《レイタルト》』
「今は重要な時だ!!!!!頼む!!!」
他でもない自分自身に祈願した。無駄に杖を強く握ってしまう。
不意に音や視界の様子が一変した。まるで水中に潜っているかのごとく、未知で神秘的な時空間だ。
並走していた仲間たちの動きが緩慢になる。そして、視線の先にいる魔族の動きも緩慢になっていた。俺だけが通常の時空感と同じ動きが出来る。魔法は成功したようだ。
――良かった!
善は急げだ。速度を緩めず疾走した。この時空間は時間が遅く動いているだけで止まっている訳では無い。刻一刻と魔族は少女を殺そうとしている。
それに、この魔法がいつ解けるか分からない。前の"|重要な時だけ時間を遅らせる《レイタルト》"は、イヴィアナとグレアムを助けるために無意識に発動した。その時はいつのまにか効力が切れていた。
俯いて祈り続ける少女を、俺の助走と体重の力で押し倒す。
すると、"|重要な時だけ時間を遅らせる《レイタルト》"は切れて、時間が通常通りに回り出した。
勢いで押し倒してしまったので、俺は「ごめん」と告げ、振り返って魔族と対面した。少女の顔を見る余裕もなかったが、状況的に見れば唖然とした顔をしていただろう。
『火炎放射』
魔族は晴天の霹靂のごとく現れた俺に警戒の色を見せていた。だが、その疑問を抱いている隙に炎魔法が襲った。
続いてグレアムが斧剣で魔族を斬首し、エリィがトドメに妖刀で突き刺した。
正直、イヴィアナの"火炎放射"の時点で魔族は即死だろう。しかし、魔族は再生能力を持つ可能性もあるから侮れない。故に自然とオーバーキルになるのだ。
「リアトが急に瞬間移動してびっくりした。何その魔法?」
イヴィアナは魔族の死体を横目に欠伸をする。
「ちょっと時間を遅らせるだけだよ。まだ完璧に使えてなかった」
無意識に魔法が切れてしまうのはまだ未熟な証拠だろう。時間魔法は本当に扱いが難しい。
「みなさん、怪我はなさそうですか?」
「大丈夫だよ、シェリロル」
心配性シェリロルの発言に俺を含めて、他のみんなも頷いて答えた。
「それより、君は大丈夫なのかい?」
グレアムが少女に問いかける。
助けられたから安心して少女のことをすっかり忘れていた。
俺は急いで少女に視線を遣る。戦闘中は逼迫していて見れなかった少女の容姿を初めて見た。
ひと目見ただけで、俺はその少女に引き込まれた。
――何故だろう……
――容姿か?それとも、彼女の宿す雰囲気?
少女からは妙な魅力を感じた。目が離せないような魔法が掛けられているのかと錯覚するくらいだ。
少女は雲ひとつない快晴さながらの髪を、耳ほどの高さでふたつに結んでいた。長い襟足を首の両脇から前に流している。
黒い瞳は漆黒ではなく、まるで宝石のような煌々とした種々の光を放った。そんな瞳に自然と吸い込まれる。ハルヴィンの二番煎じにはなるが、この吸い込まれる瞳はどこかで見覚えがあった。
――何色もの輝きを放つ……なんだったか。
蠱惑的な少女は俺たちの会話を無言で眺めていた。戸惑う素振りもなく、ただ佇んでいる。
「た、たしかに……!怪我があるのならば治療します!」
シェリロルは少女を憂慮して近づき、体の様子を窺った。
「アタシは大丈夫♪」
少女は澄んでいて清楚に聞こえる声音で、優しく愉しげな口調で話した。頭に残る声をしていて、何故だか彼女の会話は傾聴したくなる。
そう感じるのは俺だけではないようで、みんなはどこか陶然と、そして茫然としていた。少女に釘付けになっている。
「アタシは僥倖だね。助けてくれてありがとう♪こんなところで助けてくれる人がいるだなんて……主への祈りが少しでも届いたのかな?」少女は再び手を絡めて天を仰いだ。「うふふ♪主のお恵みに感謝を……♩」
本当に不思議だ。少女の全てに妙な魅力を感じる。
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