82.対する海洋魔法
「リアト!」
イヴィアナの叫び声が聞こえる。何か魔法を使ってこの窮地を脱しなければ。適任の魔法は――白魔法の"無効力化"か。
『無効力化』
泡に触れ、魔法を詠唱するが俺を拘束する泡が消えることはなかった。動揺で体が固まる。
――まさか、この泡に拘束されていると魔法が使えないのか?
「リアトの魔法でも出れないの……?」イヴィアナはオルケアノスを睨めつける。「あんた、急になに?」
「急にと言えば貴殿も同じですよ。それより、火炎放射も使わないとは、随分舐められたものですね?」
イヴィアナは魔族や敵相手には容赦ないが、オルケアノスをまだ敵と認識していない。だから、火炎放射を使えなかったのだろう。
オルケアノスは短めの魔法の杖を回す。すると俺の入った泡が軽々と移動した。
オルケアノスは傲慢に足を組んで座り、手のひらに泡を乗せる。俺は滑稽に泡の中で鑑賞するだけだ。情けない。
――というか、イヴィアナとグレアム相手にこんなに余裕なんて、どれほどの強敵なんだ?
「ルールレ殿に顔向けできないので、このまま看過する訳にはいきません。ひとまず帝都に戻りましょう、イヴィアナ殿」
オルケアノスは短い杖を構えながら言う。
イヴィアナが無言で睨み続けていると、オルケアノスは泡に拘束される俺を見遣った。
「これは脅しですよ?」
「あんたは私に勝てないけど、私はあんたに勝てる。だからそれは脅しでもなんでもないよ」
『火炎放射』
イヴィアナの強烈な炎が発射された。攻撃力の高い炎が真横を過ぎり、背筋が凍る。彼女の大火力では泡を破壊すると同時に俺まで焼けこげるだろう。
「驚きましたね。すぐ真隣に貴殿のお仲間がいるというのに」
――オルケアノスもやっぱりそう思うのか……
「私は帝国魔道士だよ」
イヴィアナは厳然と言い放った。さすがの俺でもかっこいいと思わざるを得ない。
――これが帝国魔道士か。
「世界で5人しか言えない崇高なる文句、素敵ですね」
『渦巻く突撃』
『火炎放射』
高圧力の渦潮と烈火が衝突する。ぶつかった魔法から弾け飛ぶ魔法の残滓はこの部屋を破壊し始めた。
数秒の均衡を終え、炎が渦を飲み込んでオルケアノスを攻撃するに至った。しかし、彼は無傷の状態だった。水で生成された半馬半魚の海獣に跨っている。
オルケアノスの執務室はもちろん高い天井を持っていたが、彼の乗る半馬半魚の海獣のせいで相対的に狭苦しく感じた。
「ちょっとグレイ?後ろにいるだけって、なんで私が前線張ってるの?!」
たしかに戦闘に積極的な騎士グレアムにしては様子がおかしい。彼はなぜか気まずい顔をしてあたふたしていた。
「魔族はまだしも、オルケアノスさんと戦うのは……僕にはできないよ」
グレアムの戦意がないことは、斧剣を取り出していない時点で分かることだった。
「戦争起こってもそれ言えるの?!」と、イヴィアナはオルケアノスから目を離さないままグレアムに叱咤する。
「オルケアノスさんは味方だろう!」
「もういい!ならリアトを助けて。分かったね?」
「分かったよ。任せて」
次の瞬間には1番最後尾にいたグレアムはオルケアノスを越え、俺の入った泡を斧剣で切り込んでいた。
――相変わらず速い。
斧剣の刃が眼前に迫り、恐怖心と期待で感情が混乱した。
「名誉騎士は相変わらず天才ですね。見えなかった」
「私にも天才って言って?」
イヴィアナは杖に乗ってオルケアノスの背後を取り、彼の肩に手を乗せて"火炎放射"を詠唱した。火炎は海獣に直撃して蒸発した。
「随分手加減していますね。私を殺しそうで心配なのですか?」
オルケアノスはストラップ付きの眼鏡をくいと上げて、クスッと笑う。
「そんな心配はしてないよ。でも私、"ひとりじゃないと弱いから"」
「確かにそうですね"慈愛なき劫火"」
2人は炎魔法と海洋魔法の衝突を続けた。イヴィアナは華麗な回避術で海洋魔法を避け、"火炎放射フランメルン"をのべつまくなしに射出する。
それにしても、確かにいつもより威力が低いような気がする。
「グレイ?!まだ!?」
イヴィアナは焦燥混じりに叫んだ。
「割れない……」と、グレアムは目の前で呟く。
斧剣の刃が泡にめり込んでいるにもかかわらず、泡は破裂する兆しを見せない。グレアムは斧剣を引っ込めて無言で突破口を探り始めた。
『水面反鏡』
『火炎放射』
イヴィアナの射出速度に敵わないオルケアノスは、狡猾にも発動前に詠唱してイヴィアナの魔法に合わせた。
そしてオルケアノスに向けて発射された"火炎放射"は生成された透水の膜によって反射し、俺たちのいる場所に向かってきていた。
まるで"打ち返す"のような魔法だ。
――そういう事か。
イヴィアナはこの反撃を危惧して全力を出せずにいたのだ。
「まず……!グレイ!」
イヴィアナが叫んでもなお、グレアムは眉間に皺を寄せて黙考していた。
「おぉい!グレアム!!」
思わず俺まで叫んでしまったが、当たり前に杞憂に終わった。グレアムは反射されたイヴィアナの"火炎放射"を一顧だにせず斧剣で打ち消した。
――魔法を打ち消すって一体どう言う技術なんだ?
「そうか。魔法を打ち消す時と同じ感覚で壊せばいいんだ」
グレアムは瞼を閉じて一点集中した。数秒後に開眼して毅然と斧剣を持つ。
彼は斧剣の柄にあたる"剣"の部分を矛先にして突技を披露した。見事そのつき技で泡が破裂したのだが、そのまま俺に刺さる勢いだった。そのせいで、俺の口からは変な叫び声が出た。
「ありがとう、グレアム……」
感謝を告げて、久々の地上を堪能した。
「僕の後ろに隠れててリアト」
――そういえばそうだった!
まだ戦闘中なのを失念していた。
オルケアノスと戦い続けるイヴィアナに何か火力支援出来ないかと、手を意味もなく握った。魔法の杖がないと心地が悪い。
「イヴィ、もう必要は……」
あたふたするグレアムが恐る恐る話しかけた。
「わかってるよグレイ!」
俺の失態で無駄に戦闘させてしまったが、オルケアノスと戦う意味もない。あとは逃亡するだけ。何か簡単にこの場を切り抜けられる魔法を探せ。
――ある……あるにはあるけど、成功するかはわからない。
でも、そんなことを言っている場合では無い。試すしかない。
『火炎放射』
加減のない"火炎放射"が発動され、オルケアノスが少し怯んでいる。
――今だ!
机上の羽根ペンを奪取して、詠唱した。俺は杖を使っていた頃の方が長い。何か棒状のものがないと不安だったのだ。
『認識を消す』
"気配を消す《フドゥーファ》"の上位互換の魔法だ。魔力だけではなく、認識全体――聴覚や視覚も消すことができる。
――成功しろ!
機敏に自分とイヴィアナ、グレアムに魔法をかけ「退散するぞ!」と叫んだ。
俺の懇願が成就し、魔法は成功していた。
イヴィアナは爆速でグレアムと俺を拾い、バルコニーから外へ出た。
『渦巻く突撃』
既に俺たちの事を認識出来ていないはずだというのに、オルケアノスの魔法が真っ直ぐ向かってきていた。
彼は今、魔力も姿も認識できていないはずだ。当てずっぽうで魔法を発動し、それが偶然命中しそうだなんて最悪の運勢だ。
「任せろ!」と、俺は叫ぶ。少しは役に立たなければ。
『打ち返す』
パクった羽根ペンの先端に触れたオルケアノスの魔法は、反撃魔法でどうにか打ち返すことができた。羽根ペンのおかげで、手で反撃するよりかなり恐怖心がなくなる。
打ち返された大渦の突撃はオルケアノスの執務室を倒壊させた。彼は無傷のまま倒壊した部屋で、厭な笑みを浮かべて佇んでいる。
この屋敷は建設するのにいくらかかったのだろうか。考えるだけで鳥肌が立つ。こんなにも荘厳で綺麗な屋敷を破壊してしまった。
イヴィアナの爆速移動の寸前に、罪悪感でもうひとつ魔法を詠唱した。
『空に文字を描く』
侵入者を見失ったオルケアノスは崩壊していく執務室の中、空を見上げた。彼の視線の先にある夜空には「へやごめん」という5文字が描かれていた。




