ある少女の憂鬱と豊穣祭(前篇)
日本にいた頃にも、様々な季節のイベントがあった。
ただし母国は宗教にあまり傾倒していない不思議な国だったので、様々な宗教的イベントをちゃんぽんにしており――バレンタインやクリスマス等は独自の様式で盛り上がっていたものだ。
この世界の人々は皆、大抵が唯一神を信仰している。ただし、神様が何かをしてくれるという概念はほぼ無く、人々を見守ってくれる大きな存在、という感覚らしいが。
とにかく、その信仰故に当然のように、神に感謝する祝祭日は存在するわけだ。神よりも、その眷属として身近な巫女の方が日常的には讃えられがちだが、その日は神の恵みに感謝し、豊穣を祝う祭りの日――どこの世界も似たようなもので、一言で言えば普段世話になっている相手や家族、恋人に感謝の意を伝え、共に祝う日なのだった。
実際は収穫祭、というよりも。
「…この世界でいうバレンタイン、かな…」
祭り事は嫌いじゃないのだが、現状的に厄介であることは間違いない。
お祭りと聞いて屋台の食べ物への期待感で一杯な海央は、いつも以上に周囲に花を撒き散らしている。
その様子を微笑ましさと呆れを織り混ぜた微妙な生温い視線で見ながら、有空は内心溜め息をついていた。
日本のバレンタインといえばチョコレート。本命チョコならぬ義理チョコに友チョコ、逆チョコなるものまで流行っていたが、海央や有空はチョコを貰う側で、あげたことなど殆ど無い。
貰うと言っても、同性から明らかに本命と思わしきチョコをいくつも贈られ辟易したり、海央のチョコには怪しげなものが混入してそうなブツがあって騒ぎになったりと色々色々あったが――それはさておき。
『豊穣の灯』と呼ばれる今回の祭りでは、男女に関係なく、互いにあるものを贈る習慣がある。
それは『月灯花』という名の花だ。
各国で指定される花の種類は違うのだが、月灯花はこの国にしか生息しない花で、初めて見た時はファンタジーだなあと感嘆する程に綺麗なものだった。
月灯花には二色ある。一つは淡い白銀に蒼空を混ぜたような蒼銀の花と、もう一つは、明るい陽光に朱を落としたような朱金の花。前者は蒼花、後者は朱花と呼ばれている。
そのどちらもが、独特な透明感のある硝子のような繊細さを持ち、五枚の花弁が包み込むように守っている中央には、蛍の灯りのように仄かな橙色の光が存在していた。
花を摘んでしまえば、そのままだと灯は三日と保たないらしいが、水に浸けて置けば一週間は大丈夫だという。
灯が何で出来ているのかはこれまたファンタジーな要素らしくよくわからないが、その光で虫を誘い、花粉を運んでもらうのだという点は、地球と同じく、花という種の知恵だろう。
二種類ある月灯花を用いる『豊穣の灯』では、蒼花と朱花で贈る意味合いが異なり、一般的に互いに贈り合うのは蒼花であるらしい。朱花は特別な相手にだけ贈るものだとか――現代日本で言うと蒼花が義理チョコ、朱花が本命チョコ、といったところだろう。
母の日のカーネーション然り、その日は月灯花の値段が高騰するのではと思いきや、そんなことをしては神への冒涜だとばかりに、各色一人一本分は国から無料で配られ、花売りも普段と同じか低価格で販売するらしい。勿論、独占販売も禁止されている。
国の人々が贈り合うという風習はとても素敵だとは思うのだが――有空にとっては、『豊穣の灯』は少々頭の痛いイベントだった。
理由は最早、言わずもがなだが。
「ミオ、豊穣の灯では私にも花をくれるかい?」
銀髪の皇太子の問いかけに、海央はあぐあぐとドーナツのようなものを頬張りながら、こくりと頷いた。
「ん、いーよ」
春の柔らかな日差しに喩えられるという美貌を更に甘く綻ばせて、感極まって抱きつこうとしたので、彼は危うく腕が無くなる所だった。
「美味しいですか?」
「うん! あ、食べたい?」
「いいえ、ミオに差し上げたものですから。……代わりと言っては何ですが、今度私に月灯花を下さいませんか?」
「いいよーあげるー」
チョコレートに似た甘いお菓子を次々と口にしつつ、にこにこと言葉を返した天使は、金髪の宰相に溶けて指についた菓子を舐め取られそうになった所で、間一髪、銀の一閃に救われた。
冷酷な美しさを持つ悪魔は、かろうじて服の裾が裂けただけで済み、毒舌を吐くも、それを気にも留めず、姉は片割れの指をタオルで拭ってやった。
「……これ、ミオに」
「ありがとー。もしかして、この間言ってた、よく眠れる枕?」
「……そう。良い夢が見られるように、魔法がかけてある」
「へえー!」
「……ミオ、俺も、ミオから花をもらいたい」
「うん、わかった! …あれ? あーちゃん、なに?」
嬉しそうに、ふわりとした心地よい肌触りの淡い色をした枕を抱えていた所、姉に呼ばれて天使は退室した。
お菓子で釣っている間、枕は気の毒そうな顔をした白銀の美少女――魔剣――によって、一度徹底的に調べられ、安眠効果以外に掛かっていた全ての魔法を解除されてしまった。
天使の笑顔に興奮して出かけた赤い液体を我慢しながら、妖しい魅力を持つ青銀の髪の魔法使いは、自分が掛けた魅了だとか誘惑だとかの魔法を無駄にされて、憮然とした。
「なあミオ。お願いがあるんだ。聞いてくれるか?」
「なにー?」
「豊穣の灯で、ミオから月灯花が欲しいんだよ。くれるなら、俺の作った菓子は全部ミオのものだ」
「あげるあげる! わあ、全部食べていい!?」
「ああ、ミオのためなら、いくらでも作ってやる」
精悍な顔立ちを優しく和ませて、騎士長は骨張った大きな手で白い頬を包み込んだ。顔を寄せようとした瞬間、目の前から愛しい人物の姿が消える。
「海央。私この人と手合わせする時間だったわ。アリアと一緒にお昼寝してきたら? いい天気よ」
「そうなんだ! うん、ひなたぼっこしてくるね。アリア、行こー」
天使が消えた途端、部屋の中は戦場になった。
そんな風に、渦中の巫女は何も気付かぬまま、姉は日々攻防を繰り返し――祭当日を迎えるのだった。
久々です。友人提供のネタから出来た話。
ある少女は気まぐれ連作なので、ネタが降ってこないと更新できないんですよね…。
この話は前後篇かな。多分間あきますが。