正しさ
俺がステフにボコボコにされた翌日、早朝に少し体を動かそうと思って中庭に出たら、フォレスト元子爵が中庭に連れ出されていた。
どうやらステフと一緒に来た聖職者みたいな服を着た男の人の指示らしいのだが。
フォレストが真ん中に正座させられると、それを見下ろすように男の人が前に立つ。
俺はそれを見ながら、屋敷からたまたま出てきたギルに「なにするの?」と声をかけた。
「いや、わからない」
「あの人は?」
「裁判官だな」
「裁判官? 司祭とかじゃなくて?」
俺が聞くとギルは少し驚いてから「あぁ」とうなずく。
「やつは裁判官だ。裁判は神に代わって審判をおこなうから裁判官は聖職者から選ばれるんだよ」
「なるほどね、だから聖職者みたい服なのか。ってか、じゃあ、今から裁判が始まるの?」
「わからない、俺も裁判のことは教わっているのだが、実際に裁判を見たことはないからな」
ギルがそう言って周りを見るので、俺もキョロキョロと見回したが、どうやら中庭にいるのは騎士たちだけで、アルもステフも、うちの旦那様もいないようだ。
するとギルが少し低い声で「裁判官殿」と声をかけた。
「こんな早朝からなにを始めるつもりだ?」
「これはギルバート様、これから私がおこなうことはあなたのような高貴なお方がご覧になるようなものではありませんよ」
「どういうことだ?」
ギルが眉間にシワを寄せたが、裁判官はうっすらと浮かべているほほえみを崩さないで「今からこの者に神の裁きを与えるのです」と答えた。
「神の裁き? おい! 殺すのか?」
ギルが怒鳴ると、裁判官はほほえんだままでゆっくりと首をかしげる。
「なにを驚いておられるのですか? この者は多くの罪なき者たちを生贄として、こともあろうか冥府の門を開いたのですよ」
「だが、それは操られていたからだろ?」
ギルがそう聞くと、裁判官は「フフッ」と笑う。
「操られていた場合は、罪に問わないとおっしゃるのですか?」
「いや、罪に問わないとは言っていない。だけどな、やはり情状は酌量されるべきではないか?」
「そうでしょうか?」
「えっ?」
「例えば、操られていた場合は情状を酌量してもらえるとわかれば、罪を犯した者たちが罪から逃れようと操られていたふりをするのではないですか?」
「だが……」
ギルがフォレストを見て顔をゆがめると、裁判官は「だから私たちは」と続ける。
「感情などに流されずに物事を客観的にとらえておこなわれた事象に対してのみ裁きを下さなければならないのですよ」
「フォレストは家族も、仲間も、爵位も失ったんだ。その上で命まで奪うのか?」
「確かにこの者は自分の弱さに漬け込まれたのかもしれませんが、それをかわいそうだと言うのならば意味もなく命を奪われた者たちはどうなるのですか?」
「それは……」
「懸命にその日を暮らしていた罪なき人たちの情状は誰が考えてくれるのですか?」
「フォレストが背負うべきだな、その罪を背負ってフォレストはこの先を生きていけばいいではないか?」
ギルがそう言うと、裁判官は「フフッ」と再び笑う。
「そうですね。ですが、背負えますか?」
裁判官は顔に終始たたえていたほほえみを消して、真っ直ぐにギルを見て「本当にその罪を背負えると思いますか?」と続けた。
「人ひとりの命は重い。きっと人にはほかの者の命を背負うことなんて一人分でもできませんよ」
裁判官がそう言うと、ギルが「グッ」と言い淀んで、裁判官は再びほほえむ。
「ギルバート様の優しさはわかります。ですが、その優しさはどうぞ被害者に向けて頂きたい」
「フォレストも被害者だろ?」
「はい、被害者であり、加害者です。それにこの者は自らの罪を認めて、神の裁きを受け入れて悔い改め、来世こそは正しく生きると言っております」
「馬鹿な! 来世などあるものか! 悔い改めると言うなら生きたかった者たちの分も生きて償え!」
ギルがそう怒鳴りつけても、フォレストは表情ひとつ変えずに前だけ見て座っていた。
そうだよな、妻も子も、自分を支えてくれていた騎士や領民も失い。この先を生きていくのは辛いだろうね。
だけどさ……。
「フォレストさん、タイラとタイナはどうするのですか?」
俺が聞くと、フォレストは少しだけ視線を揺らした。
「ふたりはあなたについて行くと言ってます。フォレストさんひとりでは生きていけないから、自分たちが支えると訓練をがんばってますよ」
俺の言葉にギュッと顔をしかめたフォレストが両手で顔をおおった。
「では、どうしろと言うのだ? 私は領民たち生贄にして、騎士たちを魔物堕ちさせて、息子を化け物にしたのだぞ」
「そんなこと、俺にはわからないですよ」
俺が言うと子爵は俺を見た。
「どうしたらいいのかなんて、きっと誰にもわからない。それでも、楽しいときはケラケラ笑い、怒ったときはプンプン怒り、寂しいときは誰かを頼り、泣きたいときはオイオイ泣き、人族なんてそんな者でしょ?」
「なにが言いたい?」
「これ以上傷つくのが怖いからってしらけたふりして、逃げてんじゃねぇよ!」
俺が怒鳴るとフォレストは驚いた顔で俺を見て、裁判官がクククッと笑う。
「本当にこれは面白いゴブリンですね。私たちが死を与えることが、救いであることだと理解しているのですか?」
「救いなんかじゃない! 子爵は現実から目を背けるためだけに逃げているだけだって言ってんだよ」
「つまりそれは苦しみから救いではないですか?」
「全然違うね。それに、あんたたちの神がそれを望んでいるとでも思っているの?」
俺が聞き返すと、裁判官が一瞬険しい顔をして、それから再びほほえみを浮かべた。
「加護を持たぬゴブリンが神の名を語るのですか?」
「うん、あんたたちの神は退屈が嫌いで、空から俺たちを見て俺たちが右往左往しているのを楽しんでいるんだ。だから自らの進んで死を選ぶなんてもっとも嫌いだと思うよ」
「なるほど、楽しんでいるという部分は納得できかねますが、確かに自らで死を選ばれることを是とはされないでしょうね」
「ならあんたもフォレストに死を与えずに生きる道を与えなよ。辛くても『負けるもんか』って思えれば乗り越えられない試練はないって誰かが言ってたよ」
「あなたもそれを信じるのですか?」
「うーん、わかんないよ。だけど、死にたいと思ってもいつも『負けるもんか』って思ってた。俺を馬鹿にする者たちにも、暴力を振るう者たちにも、そして、弱い自分にも負けたくなくて、だから本当に辛いときは逃げたよ」
「逃げた?」
「うん、生きるために逃げることは間違いじゃないんだ」
俺がそう答えると、裁判官は再び「クククッ」と笑った。
「生きるために逃げることと、逃げるために死ぬことは違うと言いたいのですね」
「うん」
俺が首肯すると、裁判官は「確かにそうかもしれませんね」と小さく呟いてから自分の手を見た。
「正しさとは、正義とは、なんなのでしょうか?」
「うん?」
「私は今まで多くの者たちの命を奪ってきました。それは救いようのないゲス野郎から、やむにやまれずに犯罪を犯してしまった者たちまでさまざまです」
そう言った裁判官は俺を見る。
「法とは被害者のためにあるべきだし、秩序を守るためには感情などに左右されずに事実だけを見て裁定を下すべきだとずっと自分に言い聞かせてきた」
裁判官は「だけど」と笑うと、空を見た。
「まさか、ゴブリンの言葉で今まで自分がしてきたことに迷うとは思いませんでした」
「違うでしょ?」
「えっ?」
「もう迷ってたんだよ。だけど、気づかないふりで目を背けていたんだろ?」
「そうですね」
裁判官はギュッと顔をしかめて、泣きそうな顔で笑った。
「きっと、私が殺してきた人たちの中にも救われるべき人がいたのですね」
裁判官はそう言ってうなずくと「あなたは神の使いなのでしょ?」と俺に聞いた。
「はぁ? いやいやいや、違うよ」
「違うのですか?」
「うんうん、全然違う」
「ですが、古い聖典にはゴブリンの王について、興味深い一説が残っておりますよ」
「うん?」
「冥府より来た魔王によって大陸の半分以上が支配されたとき、人狩り族やバーサーカーと恐れられたゴブリンの王が、神の啓示を受けて人族の味方となり、ゴブリンたちを率いて魔王を冥府へと追い返した」
「はぁ?」
「だから神の加護を持たぬ冥府の民であったゴブリンたちが現世に住んでいるのだと言われています」
おいおい、マジかよ。
「でもさ、その話が本当なら人族のために戦ったゴブリンたちが今は冷遇されているってこと?」
俺が首をかしげると裁判官は頬をかいて「それは……」と言い淀むと苦笑いを浮かべた。
「うん?」
「互いに言葉が通じないからでしょうね。正直に言えばあなたと話をするまで、ゴブリンがこれほどの知性を持っているとは知りませんでした」
「そっか、相手がなに言っているかわからないだけで怖いもんね」
「そうですね」
裁判官がうなずくので、俺は自分の首にはまった従属の首輪に触れる。
従属機能がない従属の首輪が作れたら言葉問題は解決するし、いい気もするけど、言葉がわかったからと言って通じ合えるものでもないもんね。
しかも、そんなことしてまかり間違って人族と魔物が全く争わなくなったりでもしたら、空から俺たちを見て楽しんでいらっしゃるやつの雷が落ちそうだ。
きっと争い合わせるためにわざわざ言葉を分けたんだろうからね。




