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契約③

 ジェムに連れて来られたアビーは「わぁ」と笑い「大きいね」とほほえんだ。


「アビー、ボアと契約してくれる?」


「いいよ」


「軽っ!」


 簡単にうなずいたアビーはもう抱きついてワキワキしたいみたいで、ソワソワし出した。


 奥様はボアを見る。


「あなたは従属をわかっているのかしら? もう人族には逆らえないし、あなたの同族や家族とも戦わなければならないかもしれないのよ」


「フガ」


「特にボアは肉として重宝されているわ、この先も我が家は多くのボアを殺して食べるでしょう。それでもいいの?」


「フガ」


 奥様は「はぁ」とため息を吐いて「本当にわかっているのかしら」と呟く。


「あと戻りはできないわよ。ある意味であなたはボアではなくなるの」


 奥様の言葉で俺の中で何かがしっくり来た。


「あなたは魔物だけどブラックドッグ家の人間になるのだから、ブラックドッグ家に仇なすものは全てが敵であり、ブラックドッグ家の利益を優先しなくてはいけないのよ」


「フガフガ」


「そう、わかっているならいいわ」


 奥様がそううなずくと、誰かがゴクリと唾を飲み込む音がした。


 ジェムによってあのパパパパーンな儀式が行われて、アビーが「誓います」と答える。


「ポチたちはいいな」


「えっ?」


「俺たちもブラックドッグ家の人間になりたかったよ」


「ハンス?」


「いや、悪いな」


 ハンスがそう言いながら頭をかくと、奥様が「なにを言ってるの?」と言った。


「あなたたちもブラックドッグ家の人間でしょ? 馬鹿なこと言わないで」


「「はぁ?」」


 ハンスたちが首をかしげると奥様は「フフッ」と笑った。


「うちが子爵家、伯爵家と陞爵したら、どうなると思う?」


「えっと、領地が広がり、屋敷も大きくなりますね」


「そうよ、そして、農地も広がるでしょう。だけど、領地が大きくなれば、その全てを旦那様が見ることは不可能だわ。すると、各地の農地の管理を任せる人が必要になる」


「ええっ、奥様、それって」


 ハンスが目を見開くと、村人の1人がその場に尻餅をついた。


「任せるならよく知っていて、信頼できる人間がいいわね」


「嘘ですよね……」


「嘘じゃないわ、ハンス。一緒に苦労してくれたあなたたちを私たちが無下にすると思うの?」


「奥様」


「まぁ、陞爵できればだけどね」


 奥様はニヤリと笑って「ちなみにうちの陞爵はポチの働きにかかってるわ」と続けたので、ハンスたちの視線が俺に突き刺さる。


「応援してるぞ、ポチ」


「あのさ、その応援はあからさますぎてうれしくないから」


「そうか?」


「例えばさ『俺の出世がかかっているんだから今度のプロジェクトは絶対に失敗するなよ。応援してるぞ』とか、できない上司的なことを言われてもやる気出ないでしょ?」


「いや、例えがまったくわからんが、なんとなく言いたいことはわかった」


 ハンスがうなずくので「こういうのは、要は伝わればいいからね」と俺もうなずく。


「まあ、なんにせよ、つぎはウルフを頼むぜ、ポチ」


「そうね、頼むわよ、ポチ」


「そうっすね、アニキ」


「そうだぞ、ポチ」


「ポチ、頑張って」


 うん?


 ガシッとアビーが俺に抱きついて来て、その後ろからボアが来た。


「ポチのアニキ。よろしく」


「おぉ、よろしく」


 俺がボアにそう答えると、アビーが「ジローだよ」と笑う。


「そっか、ジローね」


 俺がアビーの頭をなでながら胸をなでおろすと、アビーが「あれ?」と首をかしげた。


「文句言わないの?」


「文句?」


「そうだよ、いつもみたいに」


 無邪気に笑うアビーに俺が「えっ」と驚くと、ジェムが「なに驚いてんだ?」と言う。


「いやいや、俺のはあくまでも意見であって、文句とかそういう類のものではないからね」


「「はぁ?」」


 タマとジロー以外のみんなすごい顔で俺を見る。


「お前のは主に自分のためだから文句だろ?」


「いやいや、基本的にはみんなのためを思っているんだよ。だいたい俺の意見は巡り巡れば世界平和のためになる貴重な意見だからね」


「どこが?」


「『どこが』って、全てがだよ。全ての道はローマに繋がるってぐらいに、俺の意見は全て世界平和に繋がっているよ」


「意味わかんないし」


「えっ?」


「『えっ?』じゃねぇ!」


 ジェムが叫ぶと、アビーが「ケラケラ」と笑って「『えっ?』じゃねぇ!」と真似する。


「えっと、アビー?」


「なあに?」


「そういうのは覚えなくていいから」


「なんで?」


「『なんで?』って……」


 俺がジェムを見ると、ジェムが世界の終わりみたいな顔している。


「アビーがジェムみたいになったら困るだろ?」


「ジェムみたいになったらダメなの?」


「そりゃあ、ダメさ。だってジェムは馬鹿みたいに頭が硬いのにムッツリなんだよ」


「おい!」


 ジェムがツッコミを入れると、アビーも「おい!」とツッコミを入れてくる。


 かわいいよ、かわいいけどね。


 俺が恐る恐る奥様を見ると、奥様が俺たちを見ながらものすごい笑顔でこめかみをヒクヒクとさせていた。


 まずい、これは非常にまずい。


「ジェムのせいで、アビーが大変なことに……」


「おい! 俺のせいじゃないだろが!」


「おい! おれのせいじゃないだろ、が!」


 アビーが「ケラケラ」と笑うと、奥様が「やめなさい」と言った声が低すぎて、俺たちの時間が止まった。


「お母様」


「もうポチの真似も、ジェムの真似もしちゃダメよ」


「なんで?」


「あなたは女の子でしょ?」

 

「でもキムも真似してるよ」


「「えっ?」」


 俺たちがサッとキムを見ると、キムは『あっ』という顔をした。すると奥様が「キム?」と首をかしげる。


「奥様、えっと、その……」


「やめなさい」


「はい、わかりました」


 キムがうなだれると、アビーが「つまんない」と言った。


「アビー、言うことを聞きなさい。あなたはもっと大きくなったら学園に行くの。そしたら高貴な友達がいっぱいできるのよ。そのときに、友達にそんな言葉づかいしたら笑われるわよ」


「そんな学園なら行きたくない」


 おいおい。


 アビーがうつむくと、奥様は「でも友達がたくさんできるわよ」と言った。だがアビーは「いらない」と答える。


「ポチとタマとジローとジェムとキムがいるもん」


「アビー……」


「みんなで笑ってたほうが楽しいもん」


「そうなんだけどね」


 奥様は苦笑いしたあとで、アビーのまえにしゃがみ込んで顔を覗き込んだ。


「アビー、あなたが良い物を着て、暖かい家で寝て、お肉をたくさん食べられるのはあなたが貴族だからなの」


「うん」


「ポチやタマ、ジローの従属の首輪も貴族だから持っているし、ジェムやキム、ハンスたちが私たちのために働いてくれるのも、私たちが貴族だからなのよ」


「うん」


 アビーが奥様の顔を覗き返す。


「だからあなたは貴族の友達をたくさん作ってブラックドッグ家の地位を守らなければならないし、爵位の高い家から婿をもらったりみんなのために働いたりしてブラックドッグ家の繁栄、ひいては私たちのために働いてくれる領民のみんなを幸せにしなくてはならないの」


 奥様はそう言ったあとで、俺たちを見た。


「みんなが笑っていられるようにするのが、私たちの務めなのよ」


「私が頑張ればみんなが笑えるの?」


「そうよ」


 奥様がうなずくとアビーは満面の笑顔で「わかった」とうなずいて「がんばる」と言った。


 だけど、わかってないだろうね。


「まあ、使い分けを教えればいいんじゃないですか?」

 

 俺がそう言うと、奥様は「ポチ?」と俺を見た。


「アビーは貴族だからもちろん公の場では淑女らしい振る舞いが必要ですが、家族といるときぐらいはふざけてもいいのではないですか?」


 俺はそこまで言って「ギルも使い分けているようでしたよ」と付け加えた。


「王族や上位貴族と一緒の式典やパーティーの席での振る舞い、学園の学友と一緒のときの振る舞い、友達や家族と過ごすときの振る舞いを分ければいい」


 奥様は「そうね」とうなずいたが、ジェムが『馬鹿やろう』と口パクした。


 うん?


「ポチ、どうやら私はあなたから話を聞かなければならないようね」


「奥様?」


「ポチ、少し応接間で話をしましょうか? ジェムもいらっしゃい」


 奥様がそう言って屋敷に入って行くので、俺はジェムを見た。


「馬鹿やろう。ゴブリンが王族との式典やパーティーなんてことを知ってるわけないだろ?」


「あっ」


「『あっ』じゃねぇよ、マジか? お前はマジもんのあれか? 頼むよ」


「やばいね」


 俺が苦笑いを浮かべると、ジェムも「あぁ、やばいだろうな、俺は知らねぇぞ」と言って苦笑いを浮かべた。


「用事思い出してもいい?」


「ダメだろ?」


 ジェムは俺の首輪を見る。


「それがあるからな」


 俺は首輪を触って「そうだね」とうなずいた。

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