夏の魔物④
僕は共感性羞恥の発症を予感したことも相まって程なくして耐えられなくなり、こみあげて来る不快さの念に突き動かされるようにしてハゲの背後に立つと、その手から缶を一本引き抜いた。
おめでたいことにハゲはそのような事態の到来を全く予期していなかったらしく、缶はほとんど何の抵抗を感じさせることもなく容易に僕の手の中に納まった。
しかしもちろんそれで終わりではない。
反射的に振り返ったらしいハゲの視線に敢えてぶつけるようにして、僕は缶を思い切り振ることを開始した。
エナジードリンクという風に一般に呼び表されてはいるが、カテゴリとしてはそれは炭酸飲料に該当するはずで、炭酸飲料を激しく振り回せばいかなる事態が出来するか、わざわざ特筆するまでもないだろう。
実際そこでようやく何かが起こり始めているということを悟ったらしいハゲは、皺の目立つ色の悪い顔をさっと強張らせた。
まずまずの社会的地位にありそうで、且ついい年をしたハゲがうろたえる様というのはもちろんそれ自体かなりの見ものだったが、その程度で済ませてしまうわけにもいくまい。
ちょうどよい感じで缶の側面が外側に向けてせり出し始めた頃合いを見計らってプルトップを開けた。
噴出の勢いはこちらの予想・意図をはるかに超えて弱く、正確に描写すればそもそも「噴出」でさえなく、液体は缶の口の開いた隙間からゆっくりと漏れ出るようにして流れ落ちていくだけだったが、ハゲは思い切り顔をしかめ、苛立たし気に言い放った。
「なあに、やってくれてんだよおめえはあよおっ!」
一般的にオッサンがブチ切れる様というのは、周囲の者にそれなりの恐怖心を喚起するものである。
例えば電車内でいきなり大声を上げ始めた五十歳の中年オヤジを想像してみたまえ。頭がひどく痛み始めるとともに怖気が走ること必至だ。
私見によればそれは、当該の人物がオスの極致に達した獰猛な存在であることに加え、人生が終わりに近づいているということで、何をしでかすかわからないという不気味さを常に全身から発散しているからだと思われる。だが、この時のハゲの「ブチ切れ」はこちらが意図して引き起こした出来事であったがゆえ、滑稽さ以外の感覚を僕が抱くことはなかった。
もはや皆まで言わずとも明らかだろうが、ハゲを憤怒させてその攻撃の矛先をシライシから自分へと逸らすことこそが、ここで言う僕の「意図」だった。
そういう事情で、叱責されたにも拘らずむしろ少し気分をよくした僕はさらに畳みかけるようにして言った。
「うるせえな、大声で叫ぶなよ……、だがまあいいや、どちらにしろ調子こいていられるのも今のうちだけだ、さっき警察呼んだからな、お前は終了だよ、終了、まあそれも、いいかもしれないが、ククク、クククククククク……」
「な、にを……」
ハゲはそう言いながら視線を斜め上に彷徨わせ、ほんのしばらくの間、眉根に皺を寄せて黙り込んでいた。要するに頑張って何かを考えるような風を演じていたわけだが、やがて諦めたのか、手提げカバンからバリバリの財布(札入れの部分をマジックテープで止める奴)を取り出し、無言で500円玉一枚をレジ台に叩きつけた。そしてエナジードリンク一本を手に握りしめたまま、そそくさと店の外に出て行ったのだった。




