プロローグ②
何とか無事にトイレまで辿り着いた僕は、個室に入ることはせず、洗面所の前で立ち止まると改めてナカガワに向き合った。
もっとも、僕は別にナカガワの言うことに興味があったわけではない。繰り返しになるが大して仲が良いわけでもないのだ。
だから僕が便所に向かったのは、本当は極力波風を立てずにナカガワと別れるためである。
便所に誰か別の生徒がいれば、さすがの奴も自分にスマホの画面を見せようとするのを諦めるのではないかと考えたためだった。
しかしこういう時に限って、便所には誰もいなかった。
まあ夏休みなので当然と言えば当然かもしれないが、いずれにせよその場所まで導いてしまった手前、他にどうにも仕様がなく、僕は尋ねてやらざるを得なくなったわけである。
「で、逮捕ってなんなんだよ」
「これだよ、知らねえのか?」
照明が灯されていても便所内はじめじめとしていて薄暗い。だからなのかナカガワのかざした機器の画面は、やけに強い光を放っているような気がした。
〈高校生の長女(15)の顔を殴ったとして、K県警Y署は20日、同県F町、県立高校教諭の男(43)を傷害容疑で現行犯逮捕した。Y署の発表によると、男は同日午後8時頃、自宅で長女の顔面を複数回殴り、けがを負わせた疑い。容疑を認め、「長女に反抗的な態度をとられて怒りを抑えられず、拳で顔を何度も殴った」と供述している。男の妻が110番し、駆け付けた警察官が逮捕した。〉
シラネエノカ、と尋ねられたが、正直知るとか知らないとかいう以前に、なぜナカガワが勢い込んで僕にそれを見せたのか、意図がさっぱりわからなかった。
同時に、見かけや言動から察するに明らかに鈍そうなナカガワには婉曲的な物言いは通用しないと考えた僕は、正直な気持ちをありのまま吐露した。
「……え、なにこれ」
「……それだけ? もっと驚くだろ普通」
「なんで?」
「これがヤグチだからだよ」
「……いやいやいや、さっきからお前何言ってんの? つまりこの『長女』とかいうのを殴った男がヤグチってこと? なんで? 名前とかどこにも書いてないんじゃん、なんでそれでこいつが担任のあいつだってわかんのよ」
「お前こそどこに目つけてんだ? 事件はこの街で起こってんだぞ、しかも高校だろ? しかも四十三歳だ、一見バラバラな情報の全てが、確かにあいつの存在を指し示してる」
「ヤグチって四十三歳なの?」
「入学式の日、言ってただろう、聞いてなかったのか?」
「……うーん、まあ興味なかったからなあ、正直……、てか証拠それだけかよ!? ……冗談は顔だけにしとけよ、もう俺行っていいか、職員室にいろいろ取りに行かなきゃならないし」
「でもヤグチ、今日来てないみたいだぞ」
「え?」
「今日、あいつ学校来てねえみたいなんだわ、まあ当然か、今頃留置所の中なんだもんな、だがこれでわかったろ、信じられないかもしれないが、あいつが逮捕されたってのは動かしがたい事実なんだよ」
「……マジでさっぱりわけがわからねえ、おかしいのはお前なのか? それともこの俺なのか……?」




