隣人との交流③
ところで、ここで私が用いた手法について、「効力」の面で少なからぬ疑いを抱く輩がおられるかもしれない。
まあ他に類を見ないあまりに斬新な取り組みなのであるからして、真価を捉え損なうのは当然と言えば当然だ。
だが、舐めていただいては困る。
私愛用のウォークマンは、もう二十年近く前の型のものなのだが、MAX(数値としては「30」)まで音量を上げてから再生すると、大げさでなく、イヤホンの先から爆音に酷似した音が流れて来るのである。
「音漏れ」とかそういうレベルじゃない。5メートルぐらい離れていても、歌詞だけでなくそれを支える重低音さえもがはっきりと聞き取れるレベルだ。誤ってイヤホンを耳に突っ込んだまま同じことを行ってしまおうものなら、恐らく一瞬で鼓膜がお釈迦となるだろう。
これを制作した者は、いったい何をもってこのような仕様を機器に埋め込んだのか?
この状態(音量MAX)で音楽を聴く者が本当に存在するのだと、想定していたのだろうか?
私は昔からそのことがはなはだ疑問だった。
ちなみに普段の私は音量を「3」に設定している。それで十分すぎるほど音はクリアである。にもかかわらずその十倍だと? 誰が聞くのだ?
だが、少なくともこの時隣人を襲撃するにあたって「(音量)30」は、確かに自らの面目を躍如する機会に恵まれたわけである。
改めて当該の場面に戻れば、再生ボタンを押したことで流れ出したのは、「お経」であった。
オーソドックスな「般若心経」。
厳しい現実に取り囲まれ、絶えず圧迫され続けてきた私は、修練の一環として、日常的にお経を聞くことを自らに課していた。
もちろん言葉の意味など理解できず、そもそも何と言っているのかを正確に聞き取ることさえ困難だった。
しかし反面、音声の形でそれを垂れ流し、眼を閉じてその中に身を浸しているだけでも十分効果があると、昔働いていた職場の同僚から聞いたことがあった。
お経を構成する言葉は、それの意味するところではなく、一つ一つの音自体が、「悟り」への階梯を成しているのだそうである(ただし、「悟り」に至るためには、一人の人間の一生などでは全く足らないらしいが)。
そして実際、再生開始からものの数秒で、お経は確かに効力を発揮した。
室内を慌ただしく駆けるような物音が聞こえてきたかと思うと、不意に玄関の扉が開き、その隙間から「隣人」が顔を覗かせてきたのだ。
長い間焦らされたのが嘘のように、奴は何食わぬ顔で普通に家の中から出現した。
「ウニ」のように逆立った髪が特徴的なその男は、至近距離から見ると顔表面の全体的な肌質の良さと、対照的に額にいくつも散らばった吹き出物の存在とが目立ち、意外と年齢が若いらしいという印象を与えてきた。もしかすると、大学生ぐらいなのかもしれない。




