隣人との交流②
私は隣人にアメイジンググレイスを歌わせようと考えていた。
オリジナルの讃美歌を聞かせれば、さすがの「赤子」も黙らずにはいられないだろう……。
それが私の算段だった。
他人に助力を乞うのは、本来私の良しとするところではないが、「赤子」をめぐる問題に関しては致し方あるまい……、私はそう、考えていた。
しかし残念ながら、何度ボタンを押しても応答がなかった。
連打してみたり、リズムをとってみたり、ビートを刻んでみたりしたが同じだった。
いつまで経っても隣人が出てくる気配はなく、聞く者を居心地悪くさせる呼び出し音だけが、繰り返し廊下に響き続けた。
もちろん本来であれば「応答がない」というのは「留守にしている」ことを意味し、そうだとすれば、「少し経ってから改めて出直す」というのが対処法としてはオーソドックスなものとなるはずである。と言うかそれ以外、方法はないだろう。
だが私はどうしても、そうする気になれなかった。
わざわざクソ暑い中、一分半ほどもの時間をかけてご足労願ってやり、さらに骨折や腱鞘炎をはじめとする様々な身体症状を呈する可能性を抱えながら「ボタンを押す」という大層繊細な物理的働きかけを根気強く行ってやったにも拘らず、結局何の成果も得られなかったことにムカついていたのではない。
問題は、時刻がいよいよ午後九時を迎えようとしていたという点にこそ存する。
午後九時。
それは先に言及しておいた通り、隣人が毎晩「リサイタル」を披露し始める時間帯と正確に一致する。
裏を返せば、奴が今このタイミングで家の中にいないなどということは、天地がひっくり返ってもあり得ない、その、はずだった。
しかし結局事態に進展がないまま、時刻は午後九時を回った。
ほぼ同時に我慢の限界を迎えた私はいったん自室に戻り、愛用のウォークマンを持ってくると、コード式のイヤホンの端を隣家の新聞受けの中に突っ込んだ。
ここで言う「新聞受け」とは、簡単に説明すれば、外から新聞などを差し入れ、中から蓋を開けて取り出すという仕組みの装置を指している。
もちろん私の目的は、「イヤホン」を「突っ込」むこと自体ではない。
確かにそれは傍から見れば、所謂「釣り」を彷彿させる仕草として捉えられなくもなく、工夫次第ではある程度の楽しさを誘発してくれそうではあった。だが、その時の私には新たなお遊戯を開発して大喜びできるほど余裕はなかった。
感情の浮沈を極力抑えたまま、機械的に音量を最大にすると、早速再生を開始した。




