「仕事」について④
ところでそんな風に非常に問題含みの職場であるにもかかわらず、私が約十三ヵ月もの長きにわたって律儀に勤務を続けているのは、なぜだろうか?
端的に言えば、それはひとえに一人の女子生徒(以下、Xと記載)の存在に起因している。
Xはだいたい一年前の七月、ちょうど夏期講習の開始に合わせるようにして塾にやってきた。
先に述べたように、滞在時間の9割が生徒個人による「自習」に費やされているという状況下において、「夏休み」などという、尻の青いクソガキ御用達の恣意的な時間区分に乗じ、「夏期講習」などと銘打ったイベントを、「紋切り型」的に展開することがいかなる効力を持つのか、私にはさっぱりわからなかったが、反面、Xが当の「イベント」の気運に誘われて塾にやってきたというのは明白な事実であった。
つまり少なくともその意味においてのみ、「夏期講習」は確かに有効性を発揮したのだとも言える。
初めて目にした時から、Xは妙に気になる存在だった。
恐らく、細くて高い鼻梁と、短い髪の毛が、私の潜在的な部分における何かと共鳴したのだと思う。
簡単に言い直せば、容姿が私の好みだったということだが、それだけでなく、Xが初対面で明るく朗らかな笑みを湛えながら挨拶してきたのも重要なポイントだった。
なぜならその塾だけに限らずかつて勤めていた学校においても同様だったのであるが、所謂「年端もいかない」クソガキどもは、基本的に挨拶ができないからである。
これまでの経験を踏まえ、こちらが「こんにちは」と声をかけた場合のクソガキどもの反応を、割合の数値とともにまとめ上げれば、だいたい以下のようになる。
➀無視…6割
②ちらりと一瞥して無視…2割
③軽く会釈…1・5割
④元気に挨拶を返す…0・5割
……たわけている、あまりにたわけていすぎる……。
「子宝」というフレーズに象徴される通り、世間一般には、「子供」というのは「宝」、すなわち「未来を担う貴重な人材」としてとらえられる風潮にあるようだが、とんだ食わせ物だ。こんなのによって「担」われる「未来」など、どう好意的に見積もってもロクなもんじゃない。「宝」どころか、「荒くれ」もしくは「ゴロツキ」と呼ばれる方が実情に適しているだろう。塾に来て「お勉強」をするより前に、まず普通の「常識」を身に着けるべきだ。そうすべきなのは絶対確実に間違いなく、間違いのないことだ……。
翻って考えれば、そういうヤバい奴らの見本市のような場所において、ほとんど唯一の良心として燦然と輝いていたのが、まさしくXだったのである。
ある種の「オアシス」として、接する者に多大なる癒しを与えていたと言えば、その尊さが伝わるだろうか。
いずれにせよこれが、私が「塾」改め、クズの掃き溜めにおいて、それでもなお粛々と勤務を続けていた最大にして唯一の理由なのである。




