第九話 織る手
夏の盛りに、ダンが上着を数えた。
数えるつもりがあったわけではない。
川で洗ったものを平たい岩へ広げて干し、乾いた端から順に畳んでいるうちに、手のほうが勝手に数えていただけである。
干し場は、住処の裂け目を出て東へ四十歩ほどの、日に灼けた砂色の岩の段である。
朝のうちに広げれば、風のある日なら昼を回るころには乾く。
段は三つあって、上の二段が着るもの、いちばん下が笊と籠と決まっていた。
二十四枚あった。
そのうち、肩から袖の付け根までがひと続きに繋がっているものは四枚で、残りの二十枚は、どこかしらが別の布で塞がれているか、塞ぐものが無いまま口を開けたままになっていた。
生まれたときには、どれも同じ沈んだ青をしていたはずである。
五度の夏に灼かれ、四度の冬に濡らされて、いまはどれも似たような藁の色に褪せ、褪せ方の違いだけが、どれが誰のものかを見分ける目印になっていた。
ダンは畳みながら、袖の内側の褪せ方でどれが誰のものかを言い当てていく。
二十四枚のうち二十二枚までは言い当てられて、残りの二枚は、褪せ方まで同じになっていた。
いつから着ていたのかを誰も覚えておらず、気づいたときには、それはもう体の上にあった。
最初からあった物が減って、それきりになるということを、この一同は五年のあいだ、ただの一度も考えたことがない。
「四枚だ」
「何が?」
「まともなのが」
ノアは干し場のほうへ目をやり、それから自分の肘の下にある、去年からそこにある裂け目を見た。
指を入れると、去年より深く入る。
「繕えばいいだろ」
「何で繕う?」
「……何かで」
「その何かが無いから、四枚なんだ」
カイは口を開き、開いたまま何も出てこないので、そのまま閉じた。
ダンは畳みかけの一枚を膝へ置いて、袖の裂け目へ指を入れた。
去年の冬、セトはここへ別の布を当てて綴じつけている。
当てた布はもとをただせば一枚の上着で、その上着のほうは、いま干し場のどの段にも出ていない。
掛けるのと、継ぐのとは違う。
ヴェルドが二年目の冬からやっているのは前者である。
自分のを裂いたものをウルの足へ掛け、朝になると畳んで戻す。
掛けたものは朝に戻ってくるので、数はそのままだった。
去年セトがやったほうは、戻ってこない。
あのとき、まともなものは五枚から四枚になったのだが、ダンはその引き算を去年はしていない。
していれば、繕うたびに一枚ずつ減るということに、去年のうちに気づいていたはずだった。
*
毛を当てにするほかに道が無い、というのがダンの見立てである。
その毛を持っているのは、二頭の塩山羊である。
山羊のほうが、先に居着いていた。
窪地から川へ下りる途中に塩の吹いた岩があって、そこへ朝ごとに来る。
塩の岩へ来るほうの獣、という言い方がそのうち縮んで、塩山羊になった。
縮めたのが誰かを覚えている者はおらず、日ごとの話では、たいてい山羊とだけ呼ばれる。
いつから来るようになったのかを、ダンは覚えていない。
数えておくようなものだと思っていなかったからで、気づいたときには、来ない朝のほうが珍しくなっていた。
母親のほうは煤けた鳶色、子は雨に濡れたような栗色で、塩だけが岩の面に霜のように散っている。
掻き集めても指の腹に薄く残る程度しか取れず、舐めれば苦く、食い物に使えるものではない。
角の短い母親と、その脇について離れない小さいほうの二頭で、こちらが近づいても逃げず、かといって寄ってくるわけでもなく、ただ舐めるものを舐め終えるまでそこにいた。
名前をつけた者はいないので、二頭は母親のほうと小さいほうという呼び分けのまま、この夏まで来ている。
毛は、前から拾っていた。
棘のある茂みに毛が引っかかって残るのを、リアが二度目の冬から袋へ集めていて、いまは袋の半分ほどが、泥を噛んだままの乳白色でふくらんでいる。
「柵を作る」
そう言い出したのはフィンである。
「逃げるぞ」
「逃げるなら、もう逃げてる」
「囲われたら話が別だろ」
「別かどうかを、確かめるんだ」
彼は誰の返事も待たずに、作業場の脇へ積んだ枯れ枝を岩場の陰まで運び始めた。
腕の太さのものだけを選んで、三十七本。
二本を地面へ挿しては一本を渡して蔓で締めるのを、塩の岩をぐるりと囲う形に繰り返していく。
下の隙間だけは石で塞ぎ、上は開けたままで、高さはフィンの腰から少し上までしかない。
飛び越えられる高さだったが、飛び越える理由が向こうに無ければ、それで足りるという考え方だった。
二日かかり、二日目はカイとウルが手伝った。
「低いだろ、これ」
「低い」
「越えられるぞ」
「越えるなら越える。越えた先に塩は無い」
囲いの中に入っているのは、塩の岩と、その周りの草の生えたところと、雨をよける岩の張り出しが一つきりである。
囲ってしまえば逃げると誰もが思っていたのに、実際に囲ってみると、二頭は囲われたことに気づいていないかのように草を食み、夜になると勝手に隅で寝た。
乳が出ることに気づいたのは、それから四日後である。
子のほうが母親の腹の下へ潜り込むのを、ウルが毎朝見ていて、ある朝、同じところへ手を伸ばした。
指が濡れて、舐めると甘かった。
搾ってみると、器の三分の一ほど溜まったところで出なくなる。
朝に一度、それだけで、温かいうちは薄い黄みを帯びている。
子が離れても、この獣の乳は止まらない。
次の子を産まないままでも出しつづけるのが、塩山羊の性である。
「甘い」
「甘いのか?」
「舐めてみろよ」
「……ぬるい」
「朝はぬるいんだ。冷めると、上に膜が張る」
飼うと決めたときには誰も考えていなかったものが、飼ったあとから出てきた。
乳が増えても、上着は増えない。
毛を梳いて集める役は、言われる前にウルが引き受けた。
木の枝の先を細かく割って作った櫛を背中から尻へ滑らせると、抜けかけた毛だけが引っかかって梳き取れる。
当てるのは毛の生えている向きに沿って上から下へで、背の片側を終えてから、山羊を回して反対側へ移る。
逆から当てると根のついたまま抜けて、山羊が身を捩る。
山羊は嫌がらない。
嫌がらないので、ウルは毎朝それをやり、集めたものを籠へ入れて、籠が一杯になると干し場のほうへ持っていった。
「そいつ、おまえのこと好きなんじゃないか?」
「そんなことないよ」
「梳かれて逃げないんだから、好きなんだろ」
「塩の岩からいちばん離れたところで梳くから。終わると、岩へ戻す」
「じゃあ塩が好きなんだな」
「たぶん」
ウルは櫛の目に詰まった毛を、一本ずつ指で払い落としてから籠へ戻した。
十日ぶんの籠を空けて、ダンが床の上へ広げた。
一枚の上着に要る量は、誰も知らない。
知らないので、ダンは古い上着を一枚ほどいて広げ、その面積のぶんだけ毛を寄せて敷き詰めるという、ひどく手間のかかるやり方で確かめた。
ほどいたのは、いちばん口の開いていた一枚である。
綴じ目を端から解いて平らに伸ばすと、肩から裾まで、ダンの腕を三度置いた長さになった。
その上へ、梳いた毛を指で薄く均していく。
薄すぎれば下の床が透け、厚くすれば足りなくなるので、透けるか透けないかの境で手を止めると決めた。
袖の片方で、毛は尽きた。
袋に残っていたぶんを足しても、片袖が二本になるだけである。
三年ぶんで、二本だった。
「片袖だ」
「十日で片袖か?」
「両袖で二十日。背中まで入れると、ひと月では足りない」
「ひと月かければ一枚できるってことだろ。それなら悪くない」
「二頭しかいない」
カイが黙った。
「増やせば」
「増える。小さいほうは雄だ。来年か、再来年に」
「今年の冬は?」
「今年の冬に間に合う数え方は、俺の知ってるかぎり一つも無い。毛は抜けたぶんしか取れない。いちばん抜けるのは春と秋で、いまは、そのあとの残りを掻き集めてるだけだ。二頭を四頭にしても、間に合うのは再来年だ」
ダンはそこで数えるのをやめた。
毛で届かないなら別のもので、という順序で皮を試したのは、その次だった。
淵の大魚は、あれから三度獲れている。
剥いだ皮を四隅から枝で引っ張って日に向け、乾ききるまでに四日。
乾いたものは蜜蝋を厚く刷いたような飴色になり、板のように硬く、風をまるきり通さない。
それを幅ごとに切って、前と後ろで二枚にし、脇を細く裂いた皮で綴じ合わせて、首と腕の通るところだけを開けた。
頭からかぶる形の胴着である。
三尾ぶんで、三枚しかできない。
暖かい。
少なくとも、風の当たるところは暖かかった。
「腕が上がらない」
カイが両腕を横へ広げようとして、肩のあたりで止まった。
「上げなくていいだろ、着てるだけなんだから」
「着てるだけで済む日ばっかりじゃないんだよ」
彼は柵の結び直しをやりに行き、じきに戻ってきて、胴着を脱いで岩の上へ放った。
蔓を結ぶのに、指の先まで力が届かないのだという。
綴じ目の縁が手首の内側に当たって、そこだけが薄く剥けて、下から生々しい肉の色が出ていた。
セトが石板に一行だけ刻んだ——皮は暖かい、そして指が利かなくなる、と。
ダンはその一行を、刻んでいる横から読んだ。
暖かいという言葉と、利かなくなるという言葉が、同じ行の中に並んでいる。
石板にそういう並べ方の行が載ったのは、この日が初めてである。
*
秋の初めに雨が三日続いて、その足りなさは数字ではなくなった。
夏の雨ではなかった。
降る前から風のほうが先に冷たくなり、降り出してからは入口の裂け目から風が斜めに吹き込んで、簾を押し上げるたびに鉛色の雨が幾筋も入り、火のそばの床までが濡れた。
簾は樹皮を縦に並べて蔓で綴じたもので、上から吊るしてあるだけなので、風が下から入ると裾が持ち上がる。
裾へ石を並べて押さえると、今度は風が横から回り込んで、綴じ目の隙間を通った。
幹そのものは、どこからも漏らさなかった。
漏れたのは入口だけで、その入口が、三日のあいだ塞がらなかった。
一日目は、濡れた床へ灰を撒いて済ませている。
二日目には撒く灰のほうが足りなくなり、火の近い側へ全員を寄せた。
寄せると、外側になった者の背中が壁との間で濡れる。
「簾を、二枚にできないか」
ノアである。
「樹皮が足りない。いま剥ぐには、濡れすぎてる」
「乾いてからでいい」
「乾いたころには、この雨のほうが終わってる」
それで、その話は終わった。
二日目の午後は、簾の裾へ石を足す作業に使われて、足した石の数だけ入る雨の筋が減り、減ったぶんはどこにも行かずに、綴じ目のほうから入った。
二日目の夜に、ウルが震え始めた。
腕をさすっても止まらず、火のいちばん近くへ寄せても止まらない。
上着はと、リアが見た。
彼のそれは去年の継ぎ足しがあるきりで、もともと一枚ぶんの厚みが無い。
継ぎ足しの布は肩から胸までしか渡っておらず、その下は、指を当てれば向こうの肌の温さが分かるほど薄い。
唇のふちが薄い菫色になっていて、歯の鳴る音が、雨の音の合間に絶えず混じっていた。
「火を大きくしよう」
「薪が減る」と、ダンが返す。
「減ってもいい」
「減っていいのは今日だけだ。明日も同じことを言うぞ」
ノアは言い返さずに枝を三本足した。
足してから、ダンのほうを一度だけ見て、目を合わせないまま手を引いた。
熱が出たのは、三日目の明け方である。
額へ手を当てると、当てた掌のほうが冷たいと感じるくらいには熱く、リアはそのまま湯を起こしにかかった。
火から出した石を器の水へ落とすと、落とすたびに短い音がして、三つ目で湯気が立つ。
その湯へ、乾かしてあった葉を千切って入れた。
夏のうちに湿地で採って逆さに吊るしておいたもので、残っているのは、両手で掬えるほどしか無い。
飲ませるのに、頭を膝へ載せて起こし、少しずつ流し込んでは、咽せるたびに待った。
一杯を飲ませきるのに外が薄く明るくなるまでかかり、飲ませ終えてから、乾いた葉を胸へも当てた。
それでも足りずに、彼女は自分の上着を脱いで重ねた。
「葉は、あとどれだけ残ってる?」
「これで終わり」
「終わりって、いつまでだ?」
「来年の夏まで。生えるのが夏だから」
ダンは指を折らなかった。
折るまでもなく、来年の夏までに何日あるかを、彼はもう知っている。
「いまの一杯で、何日ぶんだ」
「一杯で、一人の三日ぶん」
「じゃあ、あと何人ぶん残ってる」
「残ってない。……いま、使いきったの」
火のところが静かになった。
「一つ聞くけどな」
ダンはそう言って、はじめて笊から手を離した。
「使わずに、朝まで待つっていう手はあったのか」
「あった」
「あったのか」
「あった。……震えるだけで済むなら、朝まで待てば止まることもあるの。止まらなかったときに熱が出る。熱が出てから使うほうが、たぶん効く。……でも、止まらなかったときには、もう飲ませられなくなってることもある」
「どっちに転ぶか、分かるのか」
「分からない。読めないから、早いほうで使った」
彼女は空になった器を膝の脇へ置いた。
「……次に誰かが震えたときには、これが無いの。無いまま、同じところで、同じことを決めることになる」
そこから先を、ダンは聞かずにいた。
聞かずに笊の縁へ爪を立てて、そこへ一つだけ印をつけた。
何の印かは言わなかったし、その印を、彼はのちに数え直していない。
セトは石板を膝に載せたまま、その晩は一行も刻まなかった。
刻む代わりに、継ぎ足しの綴じ目のほうを一度だけ見て、それから目を戻している。
朝までに熱は引いた。
引いたので、そのことは誰の話題にもならなかった。
ただ、リアだけが、その日から干し場のほうを何度も見に行くようになった。
見に行っても、岩の段の上の枚数は変わらない。
変わらないことを確かめに行っているのだと、途中からは自分でも分かっていた。
彼女が数えていたのは、上着ではなく葉のほうである。
両手で掬えるほどしか無かったものを、三日で一杯ぶん使った。
次に誰かが震えたときに、同じだけ残っている見込みは無い。
それを確かめに、彼女は森の外れの湿地へ足を向けた。
木がまばらになって、地面が水を含みはじめ、足を置くたびに、踏んだところから錆色の水が湧く。
歩けるのは株の根の盛り上がっているところだけで、そこを外すと、片足が膝の下まで沈んだ。
リアが熱を下げる草を採っていたのはこの一帯だが、この時期には、目当ての草はもう枯れている。
それでも彼女が歩いていたのは、来年どこに生えるかを覚えておくためだった。
去年の茎が、立ったまま残っていた。
根元だけが一年ぶん水に浸かって、そこから上は立ったまま、雨と霜を繰り返し受けている。
冬のあいだは凍って、そのあいだだけ何も進まない。
腐っているのに、倒れていない。
指で摘まむと、外側の柔らかいところは泥と一緒に指の腹へ剥がれ落ち、あとには芯だけが、糸を何本も束ねたような形で残った。
引いてみた。
切れない。
もう一度、両手で引いた。
それでも切れなかった。
立っているのは去年の茎だけで、今年伸びたぶんは来年まで使えず、つまり今年は、この湿地に立っているだけしか無い。
リアはその場にしゃがみ込んで、しばらく手の中のものを見ていた。
見つけた、という感じはしなかった。
それは去年からそこに立っていて、彼女が今日そこを通っただけである。
*
住処へ持ち帰ったものを、その日のうちに全員が引っ張った。
持って帰ろうと言い出したのは自分なので、ここで切れてしまったときにどんな顔をすればいいのかを、リアは決めかねていた。
カイが引き、フィンが引き、ノアが両端を持って体重をかけ、それでも切れなかった。
「蔓より強いぞ、これ」
「蔓は太い」
「太くて負けるほうが恥ずかしいだろ」
「恥ずかしいのは蔓のほうだ。こっちは何も悪くない」
最後にはダンが「切れないものを切ろうとして日が暮れた」と言い、それでその日の試しは終わった。
問題は、生きた茎ではそうならないことだった。
翌朝にフィンが湿地から刈ってきたのは、今年伸びたぶんである。
刈ってきたばかりのものを裂いても、外側の柔らかいところが芯にへばりついて離れず、爪で削ぎ落とそうとすると、下の筋のほうが先に切れる。
「なんで、湿地のだけ剥がれるんだ?」
カイが、刈ったばかりの束を指で弾いた。
「分からない」
リアは刈ったばかりの、まだ萌黄の残る茎と、湿地から持ち帰ったものとを並べて置いた。
「ただ、去年から立ってたほうだけが剥がれる。水に浸かって、凍って、また水に浸かって、そのあいだ一度も倒れなかったやつだけ」
セトが、並べた二本のあいだへ指を置いた。
「浸ける」
「何日?」
カイが聞く。
「一年」
「冬が来るぞ」
「だから、一年より短くて足りる日を探す」
「探すって、どうやって?」
「四つに分けて、別々の日に上げればいい。一つの束で一年待つと、外れたときに何も残らない。四つに分けておけば、外れた三つも、外れたという事実だけは残る。残ったぶんだけ、来年の浸け方が短くなる」
セトはそう言って、束を四つに分けにかかった。
一束は、片手で握って指の回るくらいの太さにする。
分けてから、川の淀みへ順に沈め、それぞれの上に形の違う石を載せた。
沈める先は流れの当たらない岸の内側の窪みで、流れのあるところへ置くと、載せた石ごと持っていかれる。
石の形を変えておけば、暗くなってからでも取り違えないという理屈で、これは前に、木へ傷をつけて確かめたときにも一度やっている。
そのときに何と何が違ったかだけは、まだ覚えていた。
三日で上げた束は、まだ剥がれなかった。
五日で上げた束は、半分だけ剥がれた。
七日で上げた束は、指で撫でるだけで外側が落ち、あとには青みを帯びた銀の筋だけが残った。
十日の束は、筋のほうまで腐って、引くと音もなく切れた。
「浸けっぱなしにすればいい、というものではないらしい」
セトはそう言って、十日の束を脇へよけた。
「七日だ」
セトは石板を膝へ載せ、その数字と、その日の川の水の冷たさを一緒に刻んだ。
冷たさは、肘まで沈めていくつ数えられるかで測る。
「六十」
「何がだ?」
「肘を入れて、六十まで数えられた。同じ七日でも、水が冷たければ剥がれ方は違う。日数だけ書いても、来年の役に立たない」
どちらか片方では足りない、というのが彼の言い分である。
七日で剥がせるようになった筋は、しかしそのままでは糸にならなかった。
短い。
撚り合わせれば長くなるが、指で撚っているかぎり、一日かけて腕の長さの三倍ほどしか作れない。
リアが夜通し撚った量を朝に測って、ダンが「これで袖の縁が一周」と言ったとき、誰も笑わなかった。
この速さで二十四枚ぶんが何日になるのかを、彼女は数えないことにした。
数えるのはダンの役目である。
*
その数を聞いた晩、ノアは火の脇で石をひとつ叩いていた。
叩いているあいだ、彼が考えていたのは糸ではなく、指で撚ると止まる、というその止まり方のほうだった。
撚っている指を離すと、筋は撚れたのと逆の向きへ戻ろうとする。
戻る前に次を撚るには、手を止めないでいるしかない。
止めずにいられる時間は、せいぜい二十を数えるあいだしかない。
回り続けるものが要る、と彼は思った。
平たい円にして、真ん中へ穴を開ける。
言うのが先で、割るのはあとだった。
去年の春に覚えたやり方が、そのまま使える。
崖から運んだ山の残りを一つずつ検めて、厚みの揃ったものだけを別に取り、日にかざして中の筋を見る。
円にするなら、筋は真ん中を通っていないほうがいい。
真ん中で割れると、これから穴を開けようとしているところで二つになる。
選んだ一つを掌へ載せ、縁を回しながら、出っ張ったところだけを軽く欠いていく。
一度に飛ばすのは爪の先ほどで、それ以上を狙うと、縁ごと持っていかれた。
円になるまでに、丸一日。
穴のほうは、フィンが川砂で擦って開けるのに三日かかった。
砂を水で練って窪みへ置き、先の細い石を立てて回す。
片面から半ばまで掘り、裏返してもう半ばを反対から掘って、真ん中で出会わせる。
片側から突き抜けると、抜けた側の縁が欠けるからである。
そこへ細い棒を通して、棒の先へ筋の端を結び、指ではじくと、円の重みで棒がひとりでに回り続けた。
回っているあいだ、筋は勝手に撚れていく。
「何をした?」
「重さを、先につけた」
「先にって?」
「軽いと止まる。止まると撚れない。だから、回り続ける重さを決めてから、その重さになるように割った」
彼は形を決めてから石を割ったので、その石は、割る前から円だった。
三日目に、リアが受け取ってはじいた。
棒が回り、指の間を筋が滑って上がっていき、彼女が夜通しかけた量に、そこから、まだ日の高いうちに届いた。
届いてから、同じだけがもう一度上がってきた。
「これ、いくつ作れる?」
「石があるだけ」
「じゃあ、たくさん」
「割るのは俺だぞ」
「知ってる」
その糸をどうするかは、リアが先に始めて、先に行き詰まった。
指で交互にくぐらせていく分には、確かに布らしきものにはなる。
ただ、幅が出ない。
両手の親指の間に張った糸のぶんしか広がらず、それ以上を張ろうとすると、そもそも張っている手が足りなくなる。
「手が二本しかない」
「増やせないな」
「増やさなくていい。張ったままにしておければ、片方の手は要らなくなる」
ノアが木枠を組んだのは翌日である。
四本の材を四角に組み、上の一本から下の一本へ、糸を等間隔に張って垂らす。
材は柄にするために取ってあった枯れ枝の残りで、上下の二本を長く、左右の二本を短くした。
横は、両腕を広げた幅より少し狭い。
それ以上広げると、真ん中まで手が届かなくなる。
垂らした糸は四十二本である。
「四十二か?」
「指の幅に二本ずつだ。増やすと、通す手のほうが入らない」
下の端には小石を一つずつ結んで、たるまないようにした。
組んでいるあいだ、ウルは火のいちばん近くに座っていた。
雨の夜からずっと、彼はそこに座っている。
山羊を梳く役は、この数日フィンが代わっている。
裂け目から差す光が縦糸を一本ずつ拾って、そこだけが薄い蜜の色に立った。
張りっぱなしにできるのなら、手は横糸のほうだけを動かせばいい。
籠を編むのと理屈は同じで、ただ、籠よりもはるかに細い相手だった。
巧かったのは、リアではなかった。
一同のうちでいちばん背の低い者が、いちばん巧い。
指が小さいと糸の間へ入る。
入ると、目が詰まる。
リアが一目を通すあいだに、彼女は三目を通した。
通した端をそのつど指の腹で下へ押さえて寄せるので、詰まり方がどこも同じになる。
誰に教わったわけでもなく、二日目からそうしていた。
彼女は朝から日の落ちるまで木枠の前に座り、通しながら小さな声で節をつけて何か歌っていて、その節は歌詞のあるものではなく、糸を一本通すたびに一度だけ上がる、それだけのものだった。
節が止まるのは糸が足りなくなったときだけで、止まれば、誰かが紡いだぶんをそこへ置いていった。
*
その節が幾度鳴ったかを誰も数えないうちに、最初の一枚が枠から外れた。
外すのに、下の端の小石を一つずつ解いて、上の一本のところで糸を切る。
切ってから広げると、縦が肩から腰まで、横が両肩にわずかに足りない。
一枚の上着には足りず、二枚を繋げば足りる大きさである。
ひどい出来だった。
端が波を打ち、目の詰まったところと透けているところが縞になり、色は、洗い落としきれなかった泥の残る、くすんだ生成りである。
広げてみると、どこから見ても布と呼ぶには足りず、かといって糸の束と呼ぶにも進みすぎていた。
その晩、雨がまた来た。
ウルが火のそばで膝を抱えているのを見て、リアはその一枚を持ってきて、肩から背中へ回して前で合わせた。
目の詰まったところが肩の骨に重く、透けているところだけが、背中で風を通していた。
火の明かりが縞の粗いほうを一筋だけ抜けて、膝の上に細い橙を落としている。
震えは、しばらくしてから止まった。
止まってから、ウルは自分の手のほうを見た。
「暖かいか?」
「……うん」
リアはもう一度、合わせ目のほうを見た。
「暖かいから止まったのか?」
ウルは少し考えて、それから首を横に振った。
「わかんない。けど、なんか、囲われてる感じがする」
炎を挟んだ反対側で、ヴェルドが自分の膝の上へ手を置いた。
置くものが何も無いことは、置いてから分かったらしい。
リアは布の端を彼の肩の上で押さえたまま、そのことについて何も言わなかった。
言わないまま、押さえている指のほうを少しだけ動かして、合わせ目が開かないように折り込み直した。
その一枚が八枚になるまでに、三十日かかった。
木枠は二つに増え、手の空いた者から順に座るという決まりが、誰が言い出すでもなくできた。
はじめの一枚に十日かかり、二枚目からは四日で上がるようになって、枠が二つになってからは二日に一枚である。
「三十日か」
「早いのか、遅いのかが分からん」
「はじめの一枚に十日かけてる。残りの七枚は二十日だ。次の八枚なら、二十日も要らない」
二つ目の枠の前でもやはりあの節が鳴っていて、歌詞が無いぶん、覚えるのは早かったらしい。
ダンが数えに来て、数え終えてからも、しばらく動かずにいた。
毛は毛で梳き続け、筋は筋で浸け続け、手の空いた者は誰でも紡錘をひとつ提げるようになって、干し場の岩には常に何かが広げてある。
着る順序が変わったのは、そのあとである。
布を肌の側に、皮をその外に。
そうすると、皮が肌に貼りつかなくなる。
貼りつかないと、腕を上げたときに皮のほうが動く。
綴じ目も手首の内側へ当たらなくなって、当たらなくなると、指の先まで力が届いた。
カイが柵の蔓を結び直して戻ってきて、何も言わずに座った。
「言うことは?」
「ない」
「無いのか?」
「腕が、上がる」
「上がると、何がいいんだ?」
「結べる。それから、結んだのを解ける」
「解けるほうが大事なのか?」
「解けないと、直せない」
彼はそう言って、自分の胴着の綴じ目を一度解き、また結び直してみせた。
布が色を持ったのは、その頃、こぼしたからである。
食べる分の実を潰していた脇に、干したばかりの布の端がかかっていて、跳ねた汁がそこへ落ちた。
洗った。
落ちなかった。
二度洗って、三度洗って、それでも布の端は熟れた実の色をしている。
リアは、次の日、十日の束から拾えたぶんの糸を汁の中へ沈めた。
「食べ物を、そんなことに使うのか?」
「使う」
「暖かくなるのか?」
「ならない。暖かくはならないし、腹の足しにもならない。でも、どれが誰のものか、褪せ方で見分けるのはもうやめたい。入れる場所は、めいめいで決めればいい。袖でも、裾でも、襟でも。同じ色でかまわない、同じところに入れさえしなければ」
「じゃあ、何になるんだ?」
「赤くなる」
赤いものというのは、この森ではだいたい食べられるか、そうでなければ血であって、着るものの上に載っている前例が無い。
カイはそれ以上聞かなかった。
聞かないまま、翌朝には、彼の袖の縁にも同じ色が細く入っていた。
染めた糸は、乾くと濃くなった。
沈めるのは実を潰した汁で、潰すのに笊一杯、そこから搾れるのは器の半ばほどしかない。
その半ばで染まるのは、腕の長さにして二十本ぶんの糸である。
濡れているあいだは熟れた実そのものの、透けるような紅で、乾ききると沈んで、火の脇で見ると黒に近い臙脂になる。
リアはその濃淡を確かめるために同じ糸を二度濡らし、二度乾かし、そのたびに違う色になることを、面白がるでもなく、ただ順に確かめていった。
セトが濃さの段を石板へ写した。
何日浸けたかと、どのくらい濃くなったかを、二列に並べて刻む。
このとき彼が刻んだ列は、あとで誰も使わなかった。
使わなかったが、消しもしなかった。
下に布を着て、その上に硬いものを重ねるという着方を、この種族はこのあと三千年やめない。
*
染めた糸が袖の縁で乾ききる頃、秋の終わりまでに、七枚の布が上着になった。
四枚は、もう継ぎようの無いものと引き換えに、はじめから一枚として仕立てた。
継ぎ目がどこにも無い、糸の色のままのもので、端の始末だけが甘い。
残る三枚は裂いて、口の開いていたものへ当てた。
二十四枚のうち、まともなものは十一枚になった。
まとも、の意味は、この秋のあいだに変わっている。
肩から袖の付け根までがひと続きであることではなく、冬に風が通らないことを、ダンはもうそう呼んでいた。
残る十三枚は、口を開けたまま冬へ回すことになる。
去年の秋には、まともなものは五枚あった。
その五枚が四枚になったことを去年は誰も数えていないが、今年は、数えたうえで十一枚になっている。
褪せた枯草の色と、まだ洗っていない生成りと、端にだけ臙脂の差したものとが、干し場の岩の上に並ぶようになった。
上の二段では足りなくなって、この秋からは笊の段にも広げている。
最初に織った、あのひどい一枚だけは、誰の上着にもならなかった。
ウルがそれを丸めて、梳いた毛を入れる籠にかぶせている。
丸めてあるので、目の粗いほうだけが外へ出ていた。
使うのかと聞かれると、使うと答える。
何に使うのかは、聞かれたことがない。




