第二十二話 囲む日
雪解けの水が引いた朝に、ダンは数えるものが三つ増えていることに気づいた。
十一年目の春である。
一つ目は、歩くようになった。
ノエは、去年の秋に生まれてから冬を越し、春には自分の足で家の外まで出るようになっている。
出てくるときは、生成りの布に包まれていたぶんが解けて、肩から先だけが日に当たり、当たったところだけ薄紅が濃くなった。
出るとまっすぐには歩かず、何かのほうへ向かって、途中でしゃがんで、そこにあるものを掌へ載せる。
載せたまま立ち上がって、また別のほうへ行き、行った先でもう一度しゃがむ。
止める者が要る、というのが冬のあいだの言い方だったが、春になってそれが変わった。
止める者ではなく、止めるものが要る、という言い方に変わった。
二つ目は、勝手に来た。
その大きな獣は、南の谷から上がってきて、畑の東の草の厚いところで三日過ごし、四日目にも同じところにいた。
背は人の胸の高さまであり、体の幅は、塩山羊を四頭並べたぶんに近い。
角は短く、外へ向かって曲がっていて、先だけが鈍く磨り減っている。
毛は鳶色で、腹の下へ回りこむあたりだけ色が抜け、抜けたところに乾いた泥が灰白の粉を吹いていた。
追い出そうとした者はいるが、背を押しても動かず、前へ回って手を振ると、こちらを一度見て、それからまた草を食んだ。
「鳶牛だな」
そう言ったのはカイで、なぜその音が出たのかは本人にも分からなかったらしい。
分からないまま、その語はその日のうちに全員へ回り、翌日には誰もが牛と呼んでいた。
三つ目は、二年前に自分たちで植えたものだった。
一昨年の春、生きた木を伐るかわりに、伐った本数ぶんをその年のうちに植えると決めた。
植えたのは三十一本で、そのうち四本は据えたそばから傾いたので掘り直し、翌年の春に二本が枯れている。
残っているのは、二十九本である。
二十九本が、この春に二度目の葉を出した。
出たばかりの葉は、去年の枝の先から二枚ずつ出ていて、去年の枝のほうは、もう黄緑を抜けている。
二年前に据えたときは、どれも掌に載る高さだった。
出したということは、これから毎年その数を数える対象になる、ということでもある。
「線を引こう」
ダンがそう言ったのは、その二十九本を見て回った日の夕方だった。
「何の線だ?」
「どこまでが俺たちのぶんかっていう線だ。……木を数えるなら、どこからどこまでを数えるかを先に決めないと、来年になったら数が動く。動いた理由が、伐ったからか、はじめの数え方が違ってたからか、区別がつかん」
彼はそこで一度、指を折る手を止めた。
「あと、あの子が出ていく。牛が入ってくる。……出ていくほうと入ってくるほうを、両方いっぺんに決められるものは、線しかない」
*
その線をどこに引くかで、五日かかった。
決めたのは広さではなく、杭の数である。
フィンが一本の杭を立てるのにかかる時間を計ったところ、掘って、据えて、突き固めるまでで、日が指一本ぶん傾いた。
一日にできるのは六本から八本で、雨の日は掘った穴が崩れるのでやらない。
夏の終わりまでに使える日を数えて、そこから引ける本数のほうが逆に出てくる。
「百二十」
ダンが言った数はそれである。
「一本ずつのあいだへ、山羊の囲いと同じに横木を渡す。だから間隔は、渡せる長さで決まる。だいたい二歩だ。百二十本なら、二百四十歩ぶんの線が引ける。……輪にするなら、囲えるのは端から端まで七十歩くらいの内側だ」
「高さは?」
「山羊の囲いと同じでいい。跳べない高さだ。あれより高くする理由が、いまのところ無い」
跳べない高さ、というのは五年前にフィンが言った言い方である。
山羊が自分で跳んで戻ってこないぶん人が上がることになった、というあの言い方が、そのまま集落の縁まで延びていく。
要ったのは、杭の数ひとつだった。
「七十歩」
「七十歩だ。畑の南のほうは全部入る。家も倉も入る。山羊と巻き羊の囲いも、いまの位置のままで入る」
そこで彼は言葉を切った。
切ってから、続きのほうを言う。
「東の端が、入らない」
杭を打つ位置に縄を張ったのは、その翌日である。
まだ晒していない縄を、削りたての杭と杭のあいだへ、膝の高さで低く渡していく。
渡し終えたところから見ると、縄は地面のわずかな起伏に沿って上下し、遠いところでは黒い土の色に紛れて見えなくなった。
*
杭は、フィンが三十日かけて打った。
三十日のうち、打てたのは十七日である。
掘るのは思っていたより難しくなく、難しいのは掘り上げたあとの土のほうだった。
穴一つで両手に二十杯ぶんの土が出るので、百二十本ぶんなら、それが百二十回ある。
最初の二十本ほどは掘った脇へ寄せておいたが、寄せた土は雨のたびに崩れて穴のほうへ戻り、戻ったぶんを掻き出すのに、掘るのとほぼ同じだけかかった。
三度それをやって、三度とも同じところが崩れたので、フィンは寄せる場所のほうを変えることにした。
「置き場が要る」
フィンはそう言って、線に沿って土を積みはじめた。
積んだのは、土の置き場としてである。
ほかに置くところが無く、遠くまで運べば運ぶぶんだけ日が減るので、掘ったすぐ脇へ寄せた——それだけのことだった。
積むうちに、それは低い畝のような形になった。
高さは腰までで、それ以上は積まない。
積んでも崩れるからである。
崩れないところまで積んでから、上を掌の付け根で三度ずつ叩いて締めていく。
締めると、掘り上げたばかりの赤土の下から、切れた根の断面がいくつも覗いた。
太いものは指の太さほどあり、断面のところだけが濡れていて、日が回ってきてもしばらく乾かずに残った。
三十日目に、フィンは自分が積んだものを端から端まで歩いてみた。
歩いてみて、それが端から端まで一本に繋がっていることを確かめた。
確かめたのは、そこまでである。
端から端まで歩くのに、日が指二本ぶん傾いた。
*
その土を寄せた先に、穴があった。
見つけたのはリアで、掘った土を運ぶ列のいちばん後ろを歩いていたときのことである。
縄の内側の、南寄りの草の薄いところに、掌がすっぽり入るくらいの穴が開いていて、縁のまわりの土だけが濡れた黒褐に光っている。
口のところは真円ではなく、片側が少し崩れていて、崩れた側から下へ向かって、細かい土の粒が筋になって落ちていた。
光っているのは、内側から張り出している糸が濡れているからである。
覗いてみると、光の届く範囲では底が見えず、内張りの糸だけが奥へ向かって細くなりながら続いている。
「これ、埋めるか?」
聞いたのはフィンで、聞いたときにはもう鍬を取りに戻ってきている。
「待って」
リアは腹這いになって、穴の口へ顔を寄せた。
顔を寄せたまま、彼女はしばらく動かずにいる。
息のかかる距離まで近づけると、穴の口の細かい土だけが、息に合わせて内側へ吸われていった。
奥のほうで何かが位置を変え、変えたときに内張りの糸が一度たわんで、たわんだところが琥珀に光った。
「大きい」
「どれくらい?」
「掌より、たぶん」
答えてから、彼女は顔を上げずに、片手で草を掻き分けて周りを見た。
同じ穴が、そこから三歩ぶん離れたところにもう一つある。
そちらは口が塞がっていて、塞いだものが糸なのか土なのかは、上からでは分からなかった。
セトは、その塞がった口を上からしばらく見ていた。
二年前の秋、屋根の草が鳴った晩の数だけを、彼は枕元の石板へ刻んでいったことがある。
線は九本でとまった。
歩数で覚えておいた場所の蓋も、あの年のうちに閉まっていた。
九本と蓋が同じものかどうかは、あのとき分からないままにしてある。
いまも、片方しか分からない。
草の上を通るものと、土の中で口を閉めるものは、別である。
別だということだけが、二年かかって分かった。
土の中のほうは、蓋蜘蛛と呼ぶことになった。
名前がついたのは、二年のあいだに三つ見つかって、三つとも蓋の縁だけに銀の糸が張ってあったからである。
三つとも、脇に何かが横になっていた。
埋めるかどうかで、その日は決まらなかった。
決まらなかった理由は、危ないからでも危なくないからでもない。
埋めれば穴は無くなるが、中にいるものがどこへ行くかまでは埋めても決まらない、というのがダンの言い分で、それに反対できる者はいない。
線は、その穴の外側を通っていない。
内側を通っている。
引いたときには、誰も気づかなかった。
*
噛まれたのは、それから四日あとのカイである。
穴の脇の草を刈っていて、刈った草をまとめて掴んだところに、それがいた。
「あ」
と言ったのが最初で、それから彼は右の手首を左手で押さえて、そのまましゃがみ込んだ。
見に来たリアは、まず噛まれたところを探した。
二つの点が手首の内側に並んでいて、あいだは指の幅より狭かった。
「動かさないで」
彼女は腕を胸より低いところへ下ろさせ、上のほうは縛らなかった。
縛れば、そこから先の血が止まる。
止まった先がどうなるかは、彼女にとってこれが初めてである。
日が指一本ぶん傾くうちに、手首から肘までが腫れた。
腫れたところは赤紫で、押すと沈み、沈んだところが戻るまでに時間がかかる。
その晩、カイは熱を出した。
翌日には腫れが肘の上まで来て、そこで止まっている。
三日目に、腫れが引きはじめた。
引きはじめてからも、指のほうは動かない。
握れと言えば握る形にはなるが、力が入っていないことは本人にもすぐ分かる。
「いつ戻る?」
「分からない」
「診ても、か?」
「見たことがないの。……骨は継いだことがある。傷も塞いだことがある。これは、どっちでもない。……戻るとしたら、たぶん、何もしないで待つのが一番いい」
カイは、その返事に文句を言わなかった。
文句のかわりに、動かない右手を膝の上へ置いたまま、左手だけを使って草を刈りに戻っている。
刈った量は、六日のあいだ、いつもの半分にも届かなかった。
腕が使えるようになるまで、六日かかっている。
*
腕が動くようになる頃には、線はもう縄だけではなくなっていた。
ソラの畑は、東の端にある。
去年の秋に、彼女が一人で開いた畝が四本。
刈り残した茎が枯草色のまま四本ぶん並んでいて、その並びの途中を、張ったばかりの縄が横切っている。
線は、その四本の外側ではなく、二本目と三本目のあいだを通っている。
杭が打たれる日、彼女は坂の上から、打ち込む音が四本目まで進むのを見ていた。
見ていて、口のほうは閉じたままでいた。
打ち終わった夕方、フィンが縄を巻き取りに来て、彼女がまだそこにいるのに気づいた。
「どうした?」
彼が聞いたのは、それだけである。
「四本ある」
「四本」
「畝が四本。去年、開いたの。……杭のあいだから見ると、二本目までが内側で、三本目から外。三本目と四本目は、去年いちばん採れたところ。西向きだから、午後しか日が当たらないんだけど、そのぶん霜が来るのが遅い。去年は、そこの豆だけ六日長く採れたの。……ダンが数えたのは知ってる。杭が百二十本しか立たないのも知ってる。だから、どこかで切れるのは分かってる。……でも、切れたところが、いちばん採れるところなの」
フィンは縄を巻く手を止めたが、止めたところで返す言葉を持っていない。
「入れてもらえない理由が、数だっていうのは分かるの。……分かるけど、その数が正しいのかどうかまでは、私には言えない」
彼女はそれだけ言って、坂を下りていった。
坂を下りながら、四本目の音が止まったところを、彼女は数えるつもりもなく数えていた。
*
その晩、フィンはそれをダンに伝えた。
ダンは聞いて、いったん数え直す手つきになり、二本目のところでその手を膝へ下ろした。
やめて、しばらく黙っていた。
杭を動かすなら、百二十本の配りかたを端から全部やり直すことになり、やり直せば、今度はどこか別のところが外になる。
どう引いても、どこかが外になる。
そのことは、彼の口の中で終わった。
線は、そのままになった。
*
打ち終えた杭の内側に、牛がいた。
線を引いた春から数えて、その大きな獣はずっと畑の東の、草の厚いところにいる。
線が引かれれば出ていくだろう、と最初は誰かが言っていたのに、言った本人が夏には言わなくなっていた。
杭が全部立った日、ウルは牛のところへ行った。
行って、まず横に立ち、それから肩のあたりへ手を伸ばして、掌を置いた。
置いても、動かない。
毛は鳶色で、根元だけが日に灼けた側より淡い。
掌を当てていると、皮の下で熱がゆっくり動いているのが分かった。
山羊のときより、はるかに遅い動き方である。
首を回すのに息を二つぶん使い、回しきったところで一度止まって、それからまた草のほうへ戻していく。
息が、鼻の先で白くなって消える。
もう秋の朝である。
「出すか?」
そう聞いたのはノアで、彼は縄を一本持ってきていた。
角に掛けて引いてみると、頭がわずかに下がって、それだけである。
縄は角の根元で滑り、滑ったところの毛が三筋ぶん逆立って、そのままになった。
四人で引いても結果は同じで、後ろから押しても、前へ回って追っても、こちらが疲れるまでそこにいた。
「出せないな」
「出せない」
出せないので、その日はそのままにして、翌日も、その次の日も、結局そのままになった。
囲ったから内側にいるのではない。
内側にいるものを、囲ってしまったのである。
ウルは、その一頭に名前をつけなかった。
つけようとしなかったのではなく、二度、口のところまで来て、二度とも出さなかった。
出さなかった理由を、彼は自分では言えずにいる。
トトのほうは、呼んでいるうちに名前になっていた。
ムムのときは六日かかって、それでも出た。
出てこないものを無理に出すと、そのぶん何かが減る気がした。
離れたところで、カイがそれを見ていた。
見ていて、自分の右手を一度開いて、閉じた。
六日かけて戻ってきたその手は、いまはもう何の不自由もなく動く。
動く手で、彼は何にも触れていない。
山羊はウルのところにいる。
羊もウルのところにいる。
煤狼はノアのところへ来る。
遠見鷹はセトが木を倒す日の上にいるし、夜蝙蝠の出る刻はミラが数えている。
彼のところへ来たものは、いまのところ何もない。
開いて、閉じて、それだけである。
*
門ができたのは、秋の終わりである。
横木を渡したのが日の傾く頃で、渡し終えたときには、木の上側だけが茜を受けて、下側は影のまま藍を含んでいた。
杭を二本ぶん空けて、そこだけ土塁を切り、切ったところの両脇へ太いものを一本ずつ立てて、上に横木を渡した。
扉は付けなかった。
付けるという話が出なかったわけではない。
「扉は?」
聞いたのはウルである。
「要るか」
「分からない。……門があるのに開いたままなのが、なんとなく変な感じがする」
「変な感じで付けるのか」
「そうじゃないけど」
ノアは横木の下へ立って、上を見上げた。
「付けるとしたら、何のために付ける」
「閉めるため」
「何を閉める」
ウルはそこで詰まった。
詰まったまま、彼は柵の内側を一度見回した。
内側にあるのは畑と家と倉と囲いで、そのどれもが、閉めても閉めなくても同じところにある。
「……分からん」
「俺にも分からん。分からんまま付けると、そのうち外すことになる」
「外すのは面倒だな」
「面倒だ。それに、付けたら、今日は開けるか閉めるかを毎日決めることになる。……決めることが一つ増えるのは、そんなに安くない」
二人が黙ったところで、そのまま次の話になった。
門というのは閉めるためにあるものだと、のちの世は決めることになる。
この一同が立てたのは、閉め方を思いつく前の門である。
門のほうは、閉められる日をまだ知らない。
ヴェルドは、その横木の下に立ってみた。
立ってみると、内側と外側とで明るさが違っている。
違うのは日の角度のせいであって囲いのせいではないのだが、それでも、違って見えた。
シルヴァが来たのは、その三日あとである。
坂の下からではなく、線に沿って歩いてきた。
歩きながら、杭を一本ずつ見ている。
手のほうは、下げたままでいる。
肩から胸にかけて、雨のあとの苔と同じ濃い緑がひとところに寄っていて、その脇に、枯れかけた木の灰が薄く混じっていた。
門のところまで来て、そこで止まった。
「……線を、引きましたね」
「引きました」
「……前に、私は、線を引かないと言いました。境と言うと、線を引くことになる。線を引けば、どちらの側かを決めることになる、と」
「覚えています」
「……はい。……それが悪いという話ではありません。……こちらが引かないのは、引けないからです。私たちは、動きませんので。動かないものの周りに線を引いても、線のほうが先に朽ちます」
彼女はそこで、内側の畑と家と倉を順に見て、見終えてから、外のほうへ向き直った。
「……あなたたちは、数えます。木を数えて、実を数えて、日を数えて、いまは杭を数えました。……いつ終わるかを知らないのに、数えます」
「そちらは?」
「……私たちは、知っているので、数えません」
ヴェルドは、その先を待った。
「……知っているからです。……生まれたときに、一緒に生えた木があります。その木が枯れはじめたら、こちらのほうが先ではないと分かります。私のは、まだ枯れていません。……ただ、上のほうの枝が、去年より二本、葉を出しませんでした」
風が一度、門のほうから内側へ抜けた。
「……二本です。数えたわけではありません。……見たのが二度で、二度とも、同じところが出ていませんでした」
彼女はそれきり、その話をしなかった。
帰りぎわに門の横木を一度だけ見上げ、それから林のほうへ戻っていく。
ヴェルドは、彼女が林の際で見えなくなるまでそこにいた。
*
その晩、彼は外に何が残ったかを数えた。
数えたのは、囲えたもののほうではなかった。
水場が一つ。
坂の下の、水の湧いているところである。
十一年、そこから水を汲んできた。
夜に見ると、湧き口のあたりだけが空を映して暗い水色に沈み、そこから先は流れも岩も見分けがつかない。
線の内側へ入れるには、杭が四十本足りなかった。
ソラの畝が二本。
去年いちばん採れたほうの二本である。
北の岩のほうへ抜ける通り道が一本。
冬に薪を取りに行くときに使う道で、線を引いたことによって、行きも帰りも門を回ることになった。
それから、まだ戻ってこないものが、いくつか。
セトが刻んだ数のうち、この年から二つ並ぶようになったものがある。
一つは、畑の隅の株を持って出た数である。
もう一つは、見つけた数である。
二つは、合わない。
置いたほうが多い。
多いぶんがどこへ行ったのかを、誰も追わなかったわけではない。
ノアは狼を連れて二度行ったし、鷹の回った高さを、セトは三度書き分けている。
それでも、見つからないものは見つからなかった。
見つからないものを、セトは数の外へ置かない。
置いた数と見つけた数を、合わないまま両方とも刻む。
刻んだあとで何かを書き足すことは、この年はしなかった。
ヴェルドは、その二つの数を横から見た。
見て、それから門のほうへ目をやった。
門は開いている。
開いているというより、閉める部分がそもそも無い。
横木の下をこの秋に何人が抜けたかを、この一同では誰も数えていなかった。
内側にいるものは、彼らが決めたものだけではない。
外にあるものも、彼らが決めたものだけではない。
数え終えてから、彼は門のほうをもう一度見た。
その年の記録は、三行である。
――十一年目。狼、三。水場へ来た数である。傷は、無い。
――音。四つずつ。尾根のこちら側。風は、日の暮れから川下へ。
――伐った、二十五。植えた、二十五。
その秋、一度だけ、川下から聞こえた晩がある。
北の岩でもなく、尾根でもない方角だった。
拍も、四つではなかった。
数えたのはソラで、戻ってきて言ったが、セトはその晩を三行のどこにも入れていない。
入れなかったのは、方角の並びが北の岩から尾根までの順になっており、川下を置く場所がそこに無いからである。
場所が無いものは、いまのところ、刻めない。
一行目を刻んでから、セトは石板を膝へ載せたまま、少しのあいだ次を削らずにいた。
三行目のほうは、去年より一本少ない。
少ないのは、杭に回したぶんを植え足せなかったからではなく、植えられる場所のほうが先に無くなったからである。
そのことを刻む行を、彼は来年までのあいだ探すことになる。
探しているあいだに来年の杭の数を出すのは、ダンのほうである。




