第40話 あなたがたは一人で生まれた
え、今の――
「僕、ちゃんと好きだって、アピールしてたと思うけどな。そっか。伝わってなかったんだ」
「へ、あの、古海く……むぐっ!?」
気のせいかな? と思った瞬間、再び噛みつかれるように唇がふさがれる。文字通り呼吸が止まった。
でもそれは数秒足らずの時間で、私が目を丸くした直後にはもう、古海くんの唇は離れていた。
ぽかん、と口を開けてしまう。
まるで獣に食らいつかれたようなキスだった。驚いて後ろに下がろうとしたのに、なぜか頭は動かない。気づけば、私のうなじにはがっちり手が添えられていた。
「あ、あの、古海くん?」
「何?」
「な、何じゃなくて、あの、近くて。あと、手が……」
「うん、そうだね」
あれ? なんか雲行きが怪しい?
たら、と背中に汗が流れる。古海くんは無表情だった。それはいつものことだけど、なんかこう、神様の子であることとは関係なく、冷気が漂っているような……
すり、と彼の指がうなじをかすめて、変な声が出そうになる。
「もう一回しようか? そうしたら信じてくれる?」
何のことを指しているのか分からないほど、鈍感じゃなかった。
「い、いいっ! 大丈夫っ! もう信じてるから!」
「本当に?」
「本当っ!」
こくこくこく! と首を縦に振る。古海くんは無表情のまま、笑みなんだか睨みなんだか分からない仕草で目を細めた。
「そっか」
「そう! だからちょっとあのー、ね! まずこの手を緩めてもらえると嬉しいかなって」
「でも僕がしたいからするね」
「へっ? あ、ちょ、むっ……!」
がぶ、ともう一度食らいつくように口づけられて、私は心の中で「わ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」と叫んだ。
待って待って待って待って!
今度はだいぶ長かった。唇が甘噛みされているのが嫌でもわかる。全力で古海くんの胸を押したのに、後頭部を掴まれたまま身じろぎすらできない。
私はびっくりしすぎて死ぬほどまばたきを繰り返しているというのに、古海くんは私をずっと見ていた。よく分かんないけど、キスって目を閉じるものなんじゃないの!?
古海くんはじっと私を見ながら、舌で私の唇をとん、とん、と突く。これもしかして「口開けて」って言われてる!?
流石にハードルが高すぎる。流石の私も、キスが唇を合わせるだけの行為じゃないってことくらいは知ってるよ。知ってるけど!
だって私、初めてなのに! これ以上は無理!
どうにかこうにか首を横に振る。古海くんの眉が少し下がった。古海くんの胸を押す私の手が掴まれて、一瞬だけ唇が離れる。
「……だめ?」
「だっ、だめっ! もうわかったからっ、冗談とか言わないから!」
「うん、じゃあこれはまた今度だね」
また今度があるの!?
愕然とした私の前で、最後にするっと頬を古海くんの唇がかすめて、離れていく。
「あ……」
何か言おうとした唇を、咄嗟にぱっと手で押さえる。今、離れられるとそれはそれで寂しいなとか思ってしまった。何それ。心ふたつある?
古海くんはそんな私をじっと見て、きゅっと手を握ってくる。
「神崎さん」
「えっ!? あ、何!?」
「僕がまたアレに乗っ取られたら、僕のこと、殴ってね」
「へっ!?」
とんでもないことを言われて、ぱちぱちぱち! とまたたく。弾みでちょっと冷静になった。
「そういえば古海くん、今どうなってるの? 神様は?」
「ああ、なんか引っ込んでるね」
「そんな出し入れ可能なやつなの!?」
叫んだ私を見て、古海くんはふはっと笑った。
「そんな簡単じゃないはずなんだけど、神崎さんの声が聞こえたときに、主導権が逆転したんだよね、なぜか。言葉だけでそれなら、殴ってもらえたら一発だよ」
いや、無理すぎる!
ふるふるふるふる! と首を横に振ったのに、古海くんはなぜか励ますように私の手を握る。
「神崎さんならできるよ。あいつ、神崎さんには上手く手出しできないみたいだったし。知らないだろうけど、神崎さんの中に入るのも、結構大変そうだったんだよ」
「そ、そういうことじゃなくてね!? 好きな人のこと殴るの嫌だよ私!」
古海くんは動きを止めて、きょとんと私を見た。なんでそんな、予想外みたいな顔になってるのか分からない。好きな人を殴れるわけないなんて、当たり前の感覚だと思う。
古海くんは私の手をきゅっと握って、嬉しそうにふわっと笑った。
「じゃあ、僕の名前、呼んで。神崎さんの声だけは、ちゃんと聞こえるから」
それも不思議な話だ。はたと動きを止めて、古海くんを上から下まで見つめる。
「神様になってたとき、古海くん、どうなってたの……?」
「白い部屋みたいなところで、ずっと座ってたよ。自分が誰なのか、強制的に端から忘れさせられるような部屋だったな。どうでもいい思い出から、母さんとの記憶まで、ぼろぼろ忘れていって、忘れてることさえ忘れていって……神崎さんの声が聞こえなかったら、自我ごと消えてたかもね」
ひょえ、という声が出る。そんなさらっと言うことじゃないよ!
でも、古海くんはなんてことなさそうな顔で笑って、私の手をぎゅっと握った。
「だから、次にそうなったときは、僕の名前を呼んでね、お願い」
「ええと……古海くん、って?」
「下の名前がいいな。古海は二年前から名乗ってる苗字だから記憶が浅くて」
「じゃあ、えっと、蓮、くん?」
古海くんはふっと、嬉しそうに笑った。
「うん、お願いね、琥珀ちゃん」
かっ、と顔が熱くなる。それを見て、古海くんがかすかに笑った。指の甲で、頬をするすると撫でる。
「りんごみたい」
「〜〜〜〜〜〜っ!」
「仲睦まじいところ悪いんだが」
唐突に低い声が投げかけられて、私はその場で飛び上がった。見れば、賢さんを地面に押さえつけ、何かの寝技を決めている響さんがいる。ぜ、全部何!?
「こっちを手伝ってくれないか。こいつ、中々落ちない」
響さんはどうやら殴られたのか、ほっぺを腫らして、唇の端から血を流していた。なんなら腕もざっくり切られている。なのに、平然と賢さんを拘束しているのだから怖い。傷口に爪を立てられてもまるで表情が変わっていなくて、私のほうが痛いくらいだった。
「響さん、そういうところがニコ姉に怒られる原因なんだよ」
「何がだ?」
賢さんは赤いんだか青いんだか分からない顔をひどく歪めて、私と古海くんを見ていた。古海くんが冷めた目でそれを見下ろして、賢さんの首に手を伸ばした。
「だめだよ響さん。それ、痛いだけで落ちるタイプの技じゃないから」
言って、首をぐうっと片手で絞める。私は慌てて古海くんの腕に飛びついた。
「こ、古海くん! 死んじゃうよ!」
「大丈夫。頸動脈押さえて落とすだけだから」
「な、何が何!?」
「よくやられてたから、力加減は間違えないよ、大丈夫」
私は絶句した。そういう問題じゃない……と思いながら、思わず賢さんを凝視する。彼は古海くんではなく、私をものすごい形相で睨みつけていた。多分、この人は私のほうが嫌いなんだろう。たぶん、神様を汚したと思っているのだ。
「この……涜神、者、が……!」
「よく分からないけど、私、あなたのことが嫌いです」
思わず、言葉がこぼれ落ちていた。
「古海くんのことを殴ったあなたを、ずっと許さない」
その言葉を聞いてもなお、その人は馬鹿にするように笑った。私は顔をしかめる。ああ、本当に嫌いだ。
古海くんが、ぐっと指に力を込める。
「子供を馬鹿にして楽しんでいるところ悪いけど……あなたが大好きな僕の父親は、あなたよりも神崎さんのほうが好きみたいだよ。何言われても腹が立たなくて面白いって言ってたし、自分の子でもないのに神崎さんを器にしようとしてた」
笑っていたはずの目から温度が消えて、ぐりん、と古海くんを凝視した。入れ替わるように、古海くんがうっすらと唇を歪める。
「あの神様はずっと、自分の巫女が帰ってくるのを待ってて、神崎さんを『そう』だって誤認したんだ。分かる? あの神様の愛した人間に一番近いのは神崎さんだ。お前じゃない」
「この、かみのうつわの、ぶんざ、いで……」
「巫女の血を引いてるのはあなたも一緒なのに、可哀想だね。あの神様の中に、お前の記憶なんかひとかけらもなかったよ。毎日毎日僕を殴って祈りを捧げた結果、村に来たこともない神崎さんに、愛し子の立場を奪われる気分はどう?」
なんか、古海くんがすごいこと言ってる。どうしよう。あとそれ私に恨みが向かない?
「ああ、でも元々、あなたは愛し子なんかじゃなかったね。認識すらされてなかったんだから」
そのままぐっと力を入れ、古海くんはすんなりとその人の意識を刈り取った。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます!残すところ1話となりました!本当に長かった……
最終話は明日の20時頃に更新となります。最後まで楽しんでいただけたら嬉しいです。




