第39話 その声は古海蓮に届く
戻ってきた、という本能的な確信があった。
「……古海くん……?」
互い違いの瞳が私を見る。真っ赤に染まっていた片目が、すうっと元の灰色に戻っていく。
「神崎さん」
彼が一歩踏み出すごとに、周囲の吹雪が止んでいく。冷たい空気が解けていく。まるで奇跡のように、雪もあられも暴風も、彼を中心になりをひそめた。
動けない私のそばまで歩いてくると、ひどくゆっくりと手を伸ばしてくる。その仕草があんまりにも弱々しくて、咄嗟に私も、受け止めるように自分の腕を広げた。
すがりつくような強さで抱きしめられる。吐かれた息が熱くて、震えている。
「神崎さん、生きてる……」
「こ、古海くん、だよね?」
「それ以外に見えるの……?」
「や、見えない、見えないけど」
万が一、まだ中身が神様だったら、この体勢は非常に危なくてですね。
そう思った私に文句を言うように、古海くんが無言で腕の力を強めた。ぐえっと可愛くない声が出る。
「何? 神崎さんは、僕の中身が違っても分からないってこと……?」
「わ、分かる! 分かるよ! 今は絶対に古海くんだって分かるよ!」
わたわたと焦った私は、慌てて彼の背をさする。古海くん、なんかちょっと、甘えたになってない……!?
いや、これはこれで新鮮というか、今まで甘えてくれることもほとんどなかったしむしろ嬉しいのだけど、あまりにも急だ。
困惑する私のすぐそばで、震える声が聞こえた。
「神崎さんが、死ぬかと思った……」
「えっ」
「神崎さんが、凍えて、無理やり体をねじまげられて、死ぬかと思った……」
「私、そんなことになってたの?」
「挙句の果てに、な、泣かせたし……」
「あっ、そっちのほうが重いんだ」
別にひどいとかは思わないけど、どういう優先順位なんだろう? 死にかけたことに比べたら、泣いたくらいは誤差じゃないかな?
けど、すぐに思い直した。私は大したことないと思うけど、もしかしたら、古海くんにとっては誤差じゃないのかもしれない。
もしかしたら、私が泣くことのほうが、ずっとずっと、怖いのかもしれない。
「あのね、古海くん」
ぽん、ぽん、と背中を叩きながら、私はゆっくり、言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「私が泣いたのは、古海くんのせいじゃないよ。全部神様とやらが悪いのであって、古海くんは何も悪くないよ」
「僕が一瞬、負けたからではあるでしょ」
「うーん」
ずっ、と鼻をすする音が聞こえて、私は古海くんの背を緩やかに撫でる。本当に大丈夫なんだけど、今は言葉より行動のほうが伝わる気がした。
「ニコ姉が……」
「え?」
「ニコ姉が、好きな女の子泣かせるのは最低だって言ってた……嫌われたくなかったら絶対に泣かすなって……」
「へ、へえ、ニコお姉さん、男前すぎる……ん?」
やっぱり格好いいなあ、と思ったところで、思考が止まった。
え?
今、古海くん、なんて言った?
「神崎さん、僕のこと嫌いになった……?」
「き、嫌ってない! 嫌ってないよ!」
安心したように吐かれた息が熱い。ぐずぐずと鼻を鳴らす音がする。あ、あの古海くんが、私に嫌われたかもしれないって泣いてる!?
衝撃で動けなくなった。ぎゅうぎゅうに抱きしめられているので、そもそも動けないんだけど。
「古海くんって、私に嫌われるの、嫌なんだ……!?」
「嫌だよ……当たり前でしょ……」
私はどうにか息を吐いて、こく、と喉を鳴らした。
一世一代の大勝負のつもりで、口を開く。
「そ、それって……私が好きだからってことで、合ってる……?」
「合ってる……」
「合ってるんだ!?」
雷に打たれたような衝撃だった。廃工場のときの会話では、まだ古海くんの本心はよく分からなかった。だって、ちゃんと好きって言われたわけじゃないし。
でも、今回ははっきりくっきり好きって言ったよね!?
しかし、一人百面相をしていた私は、そこではたと思い直す。
いや待って。まだだ。まだ人類愛の可能性が否めない……!
目の奥が熱い。頭の中がどくどくいっている。心臓がもう一個増えてしまったみたいだ。
もしかしなくても私は今、恋が成就するかどうかの瀬戸際にいるのでは……!?
「こっ、古海くん、古海くん! 古海くんの言う『好き』ってつまり、あ〜〜〜〜、なんて言ったらいいのかな!?」
「意外と元気だね、神崎さん……」
「絞り出してるの、これでも!」
思わず叫んだ。今の私がどれだけアドレナリンどばどばだと思ってるんだろう?
「ええと……そうだ! ニコお姉さんとイサーンお兄さんみたいになりたいってことで、合ってる!?」
古海くんがぴたっと動きを止めて、ようやく少しだけ体を離した。
互い違いの瞳と目が合う。その目じりは赤らんでいて、こんな状況じゃなければ自分の手で冷やしてあげたいくらいだった。
でも、今は古海くんの一挙一動を見逃すわけにはいかない。
私が食いいるように見つめた先で、古海くんの形のいい目が、心の底から不思議そうに細められる。
「それ以外の意味で、言ったことないけど……?」
息が止まった。
なんなら心臓も止まった気がした。
かっと目を見開いて硬直する私を、古海くんが心配そうな顔で覗き込む。
「神崎さん?」
「や……」
「や?」
「やっ、たあ……!」
これって、勝ったってことでいいよね、ゆかりちゃん!?
私の頭の中のゆかりちゃんは呆れた顔で「まあそうなんじゃない?」と言った。私は全力の笑顔になった。
「本当に本当!? ニコお姉さんとイサーンお兄さんみたいに仲良くなりたいの意味での好き!?」
「うん、そう。好きだよ」
「やったあ! 私も好き!」
「うん、ありがとう、嬉しい」
「信じられないくらいあっさりしてる! 全然人類愛の可能性ありそう! けど両想いだって言ってもらえたし全部どうでもいい! 勝ったよゆかりちゃん〜〜!!」
頭の中のゆかりちゃんが「そこで私の名前呼ぶんじゃないわよ!」と叫び「ていうかそもそも恋愛って勝ち負けじゃないけどね」と付け加えたのは半ば無視した。古海くんとの恋愛は戦い以外の何物でもないでしょ!
今までで一番というくらいはしゃいでいた。思ったこと全部が口からダダ漏れだったし、なんだか全部が報われた気がしたのだ。
だから、気づくのが遅れた。
古海くんがやや不満そうな顔をしながら、低い声で顔を近づけてきたことに。
「神崎さん、信じてないんだ? そう……」
「へ?」
ぱちり、と瞬いたその刹那のことだった。目の前いっぱいに、古海くんの灰色の瞳が広がる。
そして、私の唇を何かがかすめた。
「……へ?」
なんか自画自賛みたいになってしまいますが、私か読者だったらここで切られて丸一日待たされるの耐えられないので、本日20時に次話を投稿します。
続きが気になる!と思った方は、ブクマや星などつけつつお待ちいただけますと嬉しいです!




